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高井尚之が読み解く“人気商品”の舞台裏

創業半世紀の老舗喫茶、なぜコロナ禍でも黒字確保?『青天を衝け』でコーヒー指導も

文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント

「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。

喫茶を利用したお客が、持ち帰りで買うことも多い「コーヒー豆」(筆者撮影)
喫茶を利用したお客が、持ち帰りで買うことも多い「コーヒー豆」(筆者撮影)

「ありがたいことに、こんな時期でも本店にはお客さんが次々に来てくださいます」

 茨城県と首都圏に店を展開するサザコーヒー創業者の鈴木誉志男会長は感慨深げにこう話し、さらに続ける。

「当社の強みは本店です。首都圏の店が営業自粛で休業しても、本店が支えます。昨年の4月、5月は14店(当時)中9店が休業となりましたが、本店は大きな影響を受けませんでした。

 その一方、取引先の飲食店が営業を自粛した影響で、コーヒー豆の卸は対前年比約4割に落ち込み、この2カ月は赤字が拡大しました。打開策として、営業する店でケーキのテイクアウトを始め、インターネット通販で家庭用コーヒー豆の販売に注力したところ、それぞれ売り上げは前年の3倍増と4倍増となりました。休業した店が再開するとお客さんも戻り、2020年度の決算は黒字を確保できたのです」

 取材したのは、その本店(茨城県ひたちなか市)で、JR勝田駅から徒歩約7分。勝田駅東口にも支店(勝田駅前店)があるが、駅から少し離れた本店の存在感は別格だ。

 喫茶コーナーはうなぎの寝床のように細長く、いくつかのエリアに分かれている。晴れた日にはテラス席も人気だ。店の入口には物販コーナーもある。コーヒー豆や地元の笠間焼の食器などが陳列され、よく売れる。営業時間中は無料で自由に見学できるギャラリーもある。

 サザ本店の強みは、この喫茶コーナーと物販の双方で売り上げを伸ばせることだ。

サザコーヒー本店の物販コーナーで販売される食器類(筆者撮影)
サザコーヒー本店の物販コーナーで販売される食器類(筆者撮影)
ギャラリー・サザ「とってもいいカップ展」
9月14日からはギャラリー・サザで「とってもいいカップ展」が開催される。とって=取っ手(を取っても)に引っかけた洒落だ。

大河ドラマを見据えた「渋沢栄一のコーヒー」

 7月11日、大河ドラマ『青天を衝け』(NHK)の中で、パリのアパルトマン(アパート)でコーヒーを抽出するシーンがあった。

 実は、ここで使われたコーヒー器具や食器を提供したのはサザコーヒーだ。番組の最後に流れるエンドロール(クレジット表記)では「コーヒー指導・鈴木誉志男」と記された。

『青天を衝け』は、2024年に発行予定の新一万円札の顔としても脚光を浴びる渋沢栄一(演じるのは吉沢亮さん)が主人公だが、江戸幕府15代将軍・慶喜の名代として渡仏した徳川昭武(同・板垣李光人さん)も登場、この回でも2人が共演した。

 同社は2021年1月に「渋沢栄一仏蘭西珈琲物語」というコーヒー(200グラムの豆は税込み1500円)を発売し、売れ行き好調だ。開発したのは鈴木会長だが、大河ドラマでコーヒー指導の役目を担ったのは「たまたま依頼を受けて」だという。ただし商品開発は、同番組の主人公として話題を呼ぶことを想定して、発売の約1年前から着手していた。

「明治以降の活躍で知られる渋沢栄一ですが、幕末までは徳川慶喜に仕えた藩士。慶喜の弟で最後の水戸藩主だった昭武に随行して、1867年のパリ万国博覧会に出かけています。

 フランスなどの欧州歴訪中にコーヒーを飲んだことが日記にも記され、それをもとに当時の食生活を調べ始めました。この商品の豆は、当時のフランスで使われていたエチオピアとイエメン産のモカを用い、深煎りのフレンチローストに仕上げています」(鈴木会長)

 本連載前回記事で紹介した、鈴木太郎社長の仕掛けが「流行や意外性」なのに対して、父の会長は「伝統や文化」といえよう。商品開発で行うのは「地域文化のありもの探し」だ。

「青天を衝け」で使用された抽出器具(筆者撮影)
「青天を衝け」で使用された抽出器具(筆者撮影)

松戸市・戸定歴史館との共同取り組み

 同社には話題性コーヒーの成功体験がある。2004年に開発した「徳川将軍珈琲」(同1500円)だ。1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』(水戸藩出身)にヒントを得た。縁あって知り合った、慶喜のひ孫でコーヒー通の徳川慶朝氏(故人)と共に、史実を基に味を現代風に再現。豆はインドネシア産マンデリンを使用し、数多いコーヒー豆のなかでも看板商品となった。

 前述の昭武にちなんだ商品も共同開発している。「プリンス徳川カフェ」という商品だ。これは慶喜や昭武に関する資料を保管する千葉県松戸市の戸定歴史館の協力により実現したもので、同館の名誉館長・齊藤洋一氏は『青天を衝け』の時代考証を担当し、テレビやラジオの歴史番組でも解説を行う。「徳川将軍珈琲」の時代考証も同氏が担った。

 一般社団法人・松戸観光協会の協力も得た。「新たな松戸の銘品をつくりたい」と市内の各店に呼びかけ、各店がプリンス徳川カフェに合うスイーツやお菓子を開発してくれた。

 こうした活動は「点」を「線」や「面」に広げる取り組みといえる。企業におけるプロジェクト活動だが、この時に大切なのが、変にマウンティングをしないことだろう。

 鈴木会長は、ひたちなか商工会議所の会頭(現名誉会頭)を長年務めるなど公職も多いが、基本は「昭和の喫茶店おやじ」(本人談)――。土日には妻の美知子氏(前社長、現取締役)とともにカウンターで皿洗いもする。当時流行した言葉を借りれば“喫茶店マスターとママ”として令和時代も取り組むのだ。店で働くことは苦にならないという。

将軍珈琲の豆を使った「徳川将軍カフェオレ」(写真提供:サザコーヒーホールディングス)
将軍珈琲の豆を使った「徳川将軍カフェオレ」(写真提供:サザコーヒーホールディングス)
松戸市内の店で販売される「プリンス徳川カフェ」と「銘菓」(写真提供:松戸市観光協会副会長・石上瑠美子氏)
松戸市内の店で販売される「プリンス徳川カフェ」と「銘菓」(写真提供:松戸市観光協会副会長・石上瑠美子氏)

歴史文化も「新しさ」を打ち出す

 前述した「ありもの探し」は、地域の活性化でよく行われる。筆者の取材経験では、戦後の高度成長期から取り組んだ代表例が大分県の由布院だ。大型開発に反対して「昔ながらの自然」を残し、まずは住む人ありきという生活型観光地を目指した結果、集客に成功した。

 ただし、歴史探訪や地域文化の深掘りは、ややもすれば古臭くなってしまう。そうならないコツは「新しさ」の打ち出し方だろう。カバン業界の事例を紹介したい。

 日本を代表するバッグメーカーとして知られる吉田カバン(社名は吉田=吉の“士”部分は正式には“土”)がかつて発売した限定商品に「博多献上PORTER(ポーター)」という商品があった。商品の一部に伝統工芸品の博多織を取り入れたカバンだ。

 当時の取材では、「博多献上柄のように連続化した模様は欧州の文化にもある。吉田カバンが追求するのは、流行ではなく新しさです」(同社)と話していた。さらに数年前には、ビームスとの共同開発ブランド「B印YOSHIDA」からも博多織を用いた商品が販売された。

 大切なのは“現代風にアレンジ”で、それはコーヒーも変わらない。前述した「渋沢栄一仏蘭西珈琲物語」「徳川将軍珈琲」「プリンス徳川カフェ」も、当時の味を現代風に再現したからこそ、舌の肥えた現代人に支持された。目指すのはレトロモダンだ。

サザコーヒーが販売する豆の中でも、屈指の売れゆきを誇る「徳川将軍珈琲」(右上)
サザコーヒーが販売する豆の中でも、屈指の売れゆきを誇る「徳川将軍珈琲」(右上)
今年は「将軍珈琲」として紙パックのアイスコーヒー(900円)も販売した(写真提供:サザコーヒーホールディングス)
今年は「将軍珈琲」として紙パックのアイスコーヒー(900円)も販売した(写真提供:サザコーヒーホールディングス)

歴史探訪の活動で、専門家のお墨付きを得る

 鈴木会長は「商品のブランド化にはストーリー性が大切です」と話す。前述したように、商品に込められた物語をコーヒーの“隠し味”にして味を高める。それがお客さんに支持されればブランドになっていく、という意味だろう。

 その歴史探訪への興味は尽きることがない。一端を紹介したい。

 江戸時代に鷹見泉石(たかみせんせき:1785~1858)という人がいた。蘭学者であり、下総国・古河藩の家老を務めた。一般の知名度は低いが、渡辺崋山が描いた「鷹見泉石像」(国宝)の絵画で知られる。「日本人の中にコーヒーを飲む習慣が生まれたのはいつか、を調べるうちに鷹見泉石が残した80冊に及ぶ日記に興味を持った」(鈴木氏)という。

 当時の文献に徹底してあたり、コーヒーの味も推察する。その結果を専門誌「珈琲と文化」にも寄稿する。同誌は大学教授やコーヒー店店主、研究家などが多く執筆する。読者の多くは業界関係者なので、寄稿内容はスクリーニング(審査やふるい分け)されていく。

 商品化にあたって時代考証をしてもらうのもスクリーニングだ。これらで評価されれば“専門家のお墨付き”として、商品や活動の「深み」が増す。次に行うのが「広がり」だ。

 先ほど「商品化では現代風にアレンジ」と記したが、イベントなど関係者で試飲する場合は別だ。当時の味を再現して提供することも多い。コロナ以前はよく行ってきた活動だ。

珈琲店経営情報誌「珈琲と文化」(発行:いなほ書房)にも定期的に寄稿する
珈琲店経営情報誌「珈琲と文化」(発行:いなほ書房)にも定期的に寄稿する

映画の興行プロデューサーで培った「仕掛け」

 サザコーヒー本店がある茨城県ひたちなか市の勝田地区(合併前は勝田市)は、日立製作所(創業地・同県日立市)の関連企業や施設も多く、転勤者も目立つ。こうした“よそ者”を受け入れてきた土地には、自由な気風も根づきやすい。

 ひたちなか商工会議所会頭時代の鈴木氏は、歴史の長い「勝田全国マラソン」を“日本四大マラソンのひとつ”と位置づけた。また、兵庫県明石市(タコの捕獲量日本一)とひたちなか市(タコの加工量日本一)が交流して、タコ料理を競い合う「世界タコ焼きグランプリ」も開催した。いずれも地域の「ありもの探し」だが、注目したいのはその発想だ。

 実は同氏は、20代後半で家業の映画館(勝田宝塚劇場=1984年閉館)の一角に喫茶店を開業したが、以前は東京楽天地(東京都墨田区)で映画の興行プロデューサーをしていた。

「映画の興行は、いかにお客さんに興味を持ってもらい来館してもらうかがカギです。当時は公序良俗に反するもの以外は何でもやるような世界。ここで仕掛けを学んだのです」

 前回記事で「遊びをせむとや生まれけむ」(=遊びをしようとして生まれてきたのだろうか。出典『梁塵秘抄』)という言葉を紹介したが、この先達が鈴木会長なのだろう。

数億円の借金を背負い、30年かけて完済

 ここまで何もかも順調だったわけではない。時代性もあるが、時には後先考えずに取り組んだ活動も目立つ。

 1989年に本店を新築した際、鈴木氏は数億円の借金を背負った。随所で設備や什器にこだわり、当初の想定以上に費用がふくれあがった結果だ。「よく金融機関が貸してくれたと思いますが、昨年30年かけてようやく完済。でも借金が事業活動のエネルギーとなりました」(本人)

 コロンビアの中古農園を買い、自社経営に乗り出したのもコーヒー屋としてのロマンからだった。これまでにサビ病などで3回全滅。良質な豆が栽培できるまで歳月を要した。

 経営者の思いを受けて、なんとか軌道に乗せるためには、現場従業員のマンパワーも見逃せない。

 取材を終えて数日後、お礼のメールを入れたら、次の内容が返ってきた。

「茨城県も明日(筆者注:県の発表は8月17日)から緊急事態宣言が発表されます。これからサザコーヒーの知恵の出しどころです」

 多くの飲食店が、コロナ禍における政府や自治体の対応に振り回される今日、サザコーヒーの積極的な取り組みと成果は興味深い。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)

見た目も楽しんでもらいたいと「レインボーミルクレープ」も開発した(写真提供:サザコーヒーホールディングス)
見た目も楽しんでもらいたいと「レインボーミルクレープ」も開発した(写真提供:サザコーヒーホールディングス)

高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント

高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント

学生時代から在京スポーツ紙に連載を始める。卒業後、(株)日本実業出版社の編集者、花王(株)情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。出版社とメーカーでの組織人経験を生かし、大企業・中小企業の経営者や幹部の取材をし続ける。足で稼いだ企業事例の分析は、講演・セミナーでも好評を博す。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。これ以外に『なぜ、コメダ珈琲店はいつも行列なのか?』(同)、『「解」は己の中にあり』(講談社)など、著書多数。

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