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キッコーマン、「日本のしょうゆ」を世界中に進出させた70年間の飽くなき戦い

文=真壁昭夫
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キッコーマンのサイトより

 食品大手のキッコーマンが、2022年3月期の通期連結業績予想を上方修正した。その背景には、コロナ感染の一服感によって食品の需要が拡大したことがある。国内や北米、欧州などで新型コロナウイルスによる人々の動線の抑制がある程度落ち着き、これまで抑えられてきた外食需要が回復に向かった。それに伴い、業務用の調味料や食品の需要が急速に回復し始めた。

 需要の回復に加えて製品の値上げもある。年初来、世界経済全体でエネルギー資源や穀物の価格が上昇した。それは、キッコーマンにとって売上原価などの増加要因だ。販売価格へのコスト転嫁を支える一つの要因が差別化の徹底だ。特に、キッコーマンは醸造技術にこだわってきた。さらに、醸造技術と最終消費者の好みを結合することによって、同社は新しい調味料を生み出した。

 キッコーマンは、他社の製品では味わえない満足感を消費者に提供し続け、新しい食文化を生み出すことによって成長してきた。今後、同社がさらなる成長を実現するためには、商品ラインナップの拡充などを通して“おいしさ”や“健康”など人々の根源的な欲求や願いに応えることの重要性が高まるだろう。

キッコーマンが進める“日本のしょうゆ”需要の創造

 1950年代からキッコーマンは海外戦略を進めてきた。その本質は、顧客との双方向かつ永続的なコミュニケーションを通した市場の創造だ。国内では、キッコーマンをトップに大小数多くのしょうゆメーカーが競争している。その一方で、キッコーマンが進出する以前の米国では“日本のしょうゆ”の認知度は高くなかった。米国に進出を検討していた当時のキッコーマンには、米国市場は競争相手が少なく成長期待の高い市場と映っただろう。

 同社の市場創造への取り組みは、第2次世界大戦後にまでさかのぼる。当時、キッコーマンの関係者は来日した米国人がしょうゆを好むことに気づき、しょうゆは世界に通用するとの着眼点を得た。

 その上で1957年にキッコーマンは米サンフランシスコに販売会社を設立した。なお、同社が進出した当時の米国では、中国などから輸入されたしょうゆが販売されていた。まず、キッコーマンは米国でのマーケティング戦略に集中した。具体的には、スーパーでの試食販売や自社で開発したレシピを新聞に掲載することなどによって、しょうゆと肉料理との相性の良さを訴えた。それが米国消費者に受け入れられた。このように、キッコーマンは米国の消費者にしょうゆを使った食生活を提案した。その上で共感や支持を獲得することによってしょうゆ市場を創造し、ソイソースといえばキッコーマンというブランドイメージを確立した。

 伝統的なマーケティングの理論に基づいて考えると、試食は米国の消費者がキッコーマンのしょうゆの味を知る機会だ。試食した消費者はキッコーマンのしょうゆの良さに関心を持ち、使い始める。さらには、新聞などで提案されたメニューを試すことによって、消費者の記憶にキッコーマンのしょうゆの味わいやおいしさが深く刻まれ、さらなる消費が喚起される。ある意味、キッコーマンはわが国のしょうゆという味の鮮烈な体験を海外の消費者に届け、その胃袋をつかんだ。同社のしょうゆ醸造技術は、成長を支える重要な要素だ。

醸造技術を生かした新しい食文化の創造

 つまり、キッコーマンは、醸造技術を磨くことによって海外で日本のしょうゆ市場を創造した。さらに、同社は、現地の人々の好みに耳を傾け、彼らの生き方にあった調味料などを提供している。

 具体的には、1961年にキッコーマンは米国でテリヤキソースの販売を開始した。キッコーマンは試食会などを通して得られた消費者のフィードバックを自社の強み(コア・コンピタンス)であるしょうゆ醸造技術と結合し、新しい調味料を生み出した。“てんぷらソース”も人気を博した。いずれにも共通するのは、新しい食のあり方(食文化)の創造だ。

 その上でキッコーマンは1973年に米国に生産拠点を設けた。通常、海外市場で自社製品がヒットし、高い成長が実現すると現地での生産を早期に開始して、事業運営の効率性を高めたいと思うのが自然だ。しかし、キッコーマンは米国に進出してから現地で生産を開始するまでに、かなりの時間をかけたとの印象を持つ。

 その理由の一つが、醸造技術へのこだわりだろう。米国でキッコーマンがしょうゆ醸造に取り組むためには、原材料の調達や、人材の確保と育成、地元社会からの理解の獲得などが欠かせない。気候も日本と異なる。そうした要件をクリアした上で、日本から輸出したしょうゆと同じ品質のしょうゆを生産しなければならない。そのために、キッコーマンは十分な時間をかけて準備を進め、しょうゆや現地の食習慣にあった調味料などを生み出した。

 また、キッコーマンは競争にも対応しなければならない。米国市場にて、キッコーマンは化学製法によって生産されている“ラチョイ”ブランドのしょうゆと競合関係にある。また、理論的に考えると市場拡大によってより低コストで製品を生産しようとする新規参入者は増え、価格競争も激化する。キッコーマンにとって醸造技術は品質の高さなど競合商品との差別化を図る重要な要素といえる。

 キッコーマンは醸造技術をコア・コンピタンスにして需要を獲得し、その上で現地の消費者の好みに合わせてプロダクト・ポートフォリオを拡充した。それが売り上げの約7割を海外で獲得する事業体制を支えている。

求められるブランド競争力の磨き上げ

 しょうゆ醸造技術へのこだわりは、キッコーマンが化学添加物を避け、人々の健康とおいしさなどの満足感をよりよい形で満たそうとしてきたことを意味する。また、1960年代からキッコーマンは減塩しょうゆを開発し、健康に配慮した調味料を消費者に提供してきた。

“健康”と“おいしさ”はキッコーマンのブランドを支える重要な要素だ。コロナ禍の発生によって、より多くの人々が健康に意識を使うようになっている。現在、キッコーマンはブランド競争力に磨きをかける好機を迎えているように見える。

 おいしさの創造という点において、キッコーマンは新興国での販売強化に取り組んでいる。ブラジルでのしょうゆ生産の開始に加えてキッコーマンはインド市場にも参入し、日本のしょうゆを用いた食のスタイルを生み出し、定着させようとしている。そのためには、SNSなどを用いたデジタル・マーケティングの強化が欠かせない。今日の多くの人々が口コミや“いいね!”ボタンによってブランドの存在を知り、記憶する。その上で消費者は周囲の行動を確認しつつ、実際に商品を買う。その商品が気に入った消費者は、自らインスタグラムなどに取り上げて周囲にその良さをアピールする。新興国でのシェア拡大のためにデジタル・マーケティング戦略の強化は不可欠だ。

 他方で、先進国では健康を重視する消費者が増えている。キッコーマンは模倣品との差別化を徹底しつつ、減塩しょうゆに加えて、グルテンフリーの調味料や豆乳製品の取り扱いを増やしてきた。今後はデジタル・マーケティング戦略に加えて、プロダクト・ポートフォリオの拡充のための買収戦略の重要性も高まる。

 同社がさらなる成長を目指すためには、醸造技術、健康、マーケティングなどの分野で新しい発想の実現を目指す多様な人材を獲得し、彼らが能動的に活躍する場を提供することが欠かせない。そうした改革を進めつつ、経営陣がどのように組織を一つにまとめて加速化する世界経済の環境変化に対応するかに注目が集まるだろう。

(文=真壁昭夫)

真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授

真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授

一橋大学商学部卒業、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学大学院(修士)。ロンドン証券現地法人勤務、市場営業部、みずほ総合研究所等を経て、信州大学経法学部を歴任、現職に至る。商工会議所政策委員会学識委員、FP協会評議員。
著書・論文
仮想通貨で銀行が消える日』(祥伝社、2017年4月)
逆オイルショック』(祥伝社、2016年4月)
VW不正と中国・ドイツ 経済同盟』、『金融マーケットの法則』(朝日新書、2015年8月)
AIIBの正体』(祥伝社、2015年7月)
行動経済学入門』(ダイヤモンド社、2010年4月)他。
多摩大学大学院

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