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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

ベートーヴェンに関する“常識”は全然違った!孤独でも貧困でもなかった?

文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師
ベートーヴェンに関する常識は全然違った!
「Getty Images」より

 クラシック音楽に興味がない方でも、ベートーヴェンはご存じだと思います。

 ベートーヴェンはドイツ・ボンで過ごした幼少期、歌手の父親が夜中に酔っ払って帰ってきて、もうベッドで寝ているにもかかわらず叩き起こされ、ピアノの練習をさせられたといった逸話があります。

 また、青年となり、当時の音楽の中心地であったオーケストリア・ウィーンに出て、ピアニスト・作曲家として脚光を浴びたと思ったら、音楽家にとって致命的な難聴にかかってしまいます。晩年、『第九』を初演した際には、もはやオーケストラが演奏していた音どころか演奏後の観客の大拍手も聞こえず、観客の手が動いているのを見て大成功しているのだと認識するような悲劇的な状況だったようです。

 さらに、誰とも結婚せず、難聴の進行とともにどんどん頑固になっていって、周りの人間からも疎んじられるようになって、生涯を通して孤独と貧困に苦しめられながらも、不屈の精神で後世に残る数々の名作を作曲したと教わったのではないでしょうか。

実際のベートーヴェンの生涯

 そんなベートーヴェンは、中学校や高校の生徒には、「どんなに孤独の中で苦しんでも、頑張れば偉人になれる」というメッセージ性があり、道徳的にも良い作曲家です。

 ところが、これは事実ではありません。まず“孤独な生涯”という言説について、確かに後年は難聴のために人付き合いが悪くなったとはいえ、若い頃からたくさんの貴族のパトロンに囲まれ、生涯、彼らの友情はなくなることはありませんでした。作曲家としての状況が悪くなり、ウィーンを離れてドイツに引っ越そうと考えていたベートーヴェンを必死に止めて、しかもサポートを約束したのもパトロンたちでした。

 生涯独身というのも、男性としてモテなかったからではありません。若い頃のベートーヴェンはなかなかハンサムで、貴族の館を訪れて美しい令嬢にピアノを教えているうちに、年頃のお嬢様たちの心を見事につかんでいきました。

 そんな彼の武器は、気に入った女性のために音楽を作曲するという最高の贈り物で、例えるならば、全盛期の小室哲哉さんのように、好きになった相手に曲を書くので、女性はあっという間にメロメロになるのです。しかも当時のベートーヴェンは、世間も大注目していた人気作曲家だったので、最終的には身分の違いにより実らない恋となりますが、生涯孤独な人生という感じではなく、若い頃はプレイボーイとまではいかなくても、結構恋愛経験は豊富だったのです。

 そんな甘いも苦いも味わっていたベートーヴェンの恋の遍歴について、本連載でも言及したことがあります。興味のある方は『ベートーヴェン、実は女性にモテモテだった…破天荒すぎる作曲ぶりと人生に驚嘆!』をご参照ください。

 難聴についても、晩年はほとんど聞こえなかったそうですが、それまではまったく聞こえなかったわけではなく、症状が進行するにつれて耳をピアノに近づけたり、メガホンのような補聴器をつけるなど苦労していたとはいえ、それなりに聞こえていました。ちなみに、当時のワインには苦みを取るために毒性の強い鉛が混入されていたことから、ワイン好きだったベートーヴェンの難聴の原因ともいわれています(参照『ベートーヴェン、難聴になった本当の原因はワインも?今では考えられない当時の日常生活』)。

貧困どころか大金持ちだった

 貧困のうちに生涯を終えたというのも、まったく違います。当時の貨幣で1万グルテンという、高額遺産額ランキング上位5%にランクインするほどの遺産を残しており、大金持ちとして一生を終えています。その遺産も、オーストリア銀行の債権だったことから、結構がっちりした財テクをしていたようです(参照『貧困イメージの強いベートーヴェン、実は莫大な遺産を残していた』)。

 売れない歌手の父親が真夜中に酔っ払って帰ってきて、寝ていた幼いベートーヴェンを無理矢理ピアノの前に座らされて練習をさせたのは本当の話です。現在ならば、児童相談所がやってくるような事案でしょう。そんなことから、ベートーヴェンは父親に対して良い思い出はないようですが、一方で幼少時から英才教育を受けたお陰でピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラを見事に弾きこなす腕前と、見事な作曲技術を身につけたのです。

 とはいえ、それも愛する息子の才能を育ててあげようといった父親の愛情からではなく、モーツァルトのように育てて一儲けしようというのが本当の狙いでした。そんな私利私欲のために子供の睡眠時間まで奪った、ひどい父親だったのです。しかし、2人にとって一番不幸だったのは、息子ベートーヴェンが、モーツァルトのような神の奇跡ともいえる才能ではなかったことです。

 しかも当時は、モーツァルトのような天才少年が宮廷をはしごして、各々からご褒美をもらうような時代から変わってしまっていたのです。そんな父親ではありますが、一つだけ功績があるといえば、彼が息子の才能をいち早く見抜いたからこそ、今もなお、我々はベートーヴェンが作曲した素晴らしい音楽を演奏し、鑑賞することができるのです。(参照『天才・ベートーヴェンを生んだ不幸な英才教育、天才・モーツァルトを生んだ幸福な英才教育』)。

 ベートーヴェンはモーツァルトのような才能ではなかったと書きましたが、確かにモーツァルトの音楽的才能は、ずば抜けており、彼と同等の才能を持っている作曲家といえば、バッハくらいしか思いつきません。だからといって、ベートーヴェンの音楽の価値が低いというわけではありません。ベートーヴェンはモーツァルトのように泉が湧き続けるようにメロディーが出てくるのではなく、むしろ一つのメロディーを入念に発展させて、ものすごい音楽を構築していきました。

 有名な交響曲第5番『運命』の第1楽章も、冒頭の「ジャジャジャジャーン」を材料に、それを発展させて息を継ぐこともできないような緊張感あふれる音楽を作曲しました。皆様も学校の音楽の授業で教わったと思いますが、ベートーヴェンの本当の苦しみは、作曲するときのプロセスだったのです。そんな苦しみの中から、世界でもっとも知られている「ジャジャジャジャーン」の大傑作が生まれたわけで、「不屈の精神で後生に残る数々の名作を残した」という説明は、確かにその通りです。

モーツァルトについても事実とは異なる言説

 天才モーツァルトの話題が出たので、彼についても振り返ってみましょう。モーツァルトが極貧の中、35歳という若さで生涯を閉じた話は有名ですが、彼が生きていた18世紀後半のヨーロッパでは、平均寿命は30代後半です。もちろん、当時のヨーロッパは栄養状況が悪く、子供の高い死亡率が平均年齢を引き下げていたとは思いますが、それでもモーツァルトが特別若くして死んだとはいえません。

 ちなみに、同時期(江戸時代後半)の日本でも、平均寿命は大体同じくらいです。18世紀から19世紀前半にかけて活躍した作曲家のなかで、ベートーヴェンの57歳は結構長生きしたほうで、後に続くシューベルトは31歳、ウェーバーは40歳、メンデルスゾーンは38歳です。

 そして、モーツァルトは極貧の中で亡くなったというのも嘘です。本連載過去記事『なぜ高収入のモーツァルトは極貧のなか35歳で死んだのか?』をお読みいただければ、「なーんだ、そうだったのか!」と思われると思います。

 今回は、本連載「世界を渡り歩いた指揮者の目」で、おそらくもっとも多く取り上げた“ベートーヴェン”をテーマに、過去の連載の紹介を含めて書かせていただきました。

 今回で230回を迎えたこの連載も、次回が最終回となります。最初、この連載を引き受けた時には30回くらい書ければと思っていましたが、毎週書いているうちにここまで続いたのは、読んでくださった読者の皆様のお陰です。まだ、最終回ではないのですが、御礼を申し上げます。

 次回の最終回では、僕自身のことを書こうと思います。

(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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