カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案を、22日まで開催の今国会中に成立させるべく、与党を中心に審議が進められています。カジノ導入にあたって最大の懸案事項とされている「ギャンブル依存症」についても、実施法案に先立って6日にギャンブル依存症対策基本法が成立しました。
実は、ギャンブルにハマり身を滅ぼす人は、洋の東西を問わず、古くからいたようです。
借金を繰り返したモーツァルト
クラシック音楽に興味がない方であっても、モーツァルトの音楽を一度は聴かれたことがあると思います。彼は、美しい音楽を作曲しながら、貧困にあえぎ、借金を繰り返し、絶望のなか、35歳で早世した悲劇の作曲家だともいわれています。
しかし、実際に彼が住んでいたオーストリアのウイーンを訪れてみると、最後の住居は街の目抜き通り沿いの高級な場所にあり、妻を湯治のために高級保養地にも行かせています。そして、当時ヨーロッパ最大の王室であるハプスブルク家の宮廷作曲家にも就任し、現在の大手銀行の支店長くらいの給料はもらっていました。それとは別に、彼の作品のオペラやコンサートもたくさんあって臨時収入も少なくなかったようです。確かに派手好みだったとはいえますが、そこまで生活が困窮するというのは不思議な話です。
実際に、彼のパトロンのひとりであったプフベルクに、何度も何度も借金の無心をしています。ある時には、何カ月も暮らせるくらいの金額を受け取っていながら、その翌日に再び借金の無心をすることもありました。プフベルクも、「これでモーツァルトには、何不自由なく作曲に専念してもらえる」という親切心で貸していたわけで、さすがにおかしいと思ったはずです。お人好しのプフベルクは、小額ではありますが再び貸しています。いったいモーツァルトは、何にお金を注ぎ込んでいたのでしょうか。
結論は、モーツァルトはギャンブル依存だったのです。しかも、困ったことに、ものすごく弱かったのです。そのため、大金を借りても翌朝には財布が空っぽになりました。朝食のパンも買えず、冬の寒さが厳しいウイーンで、暖炉の薪にも事欠くようになるのです。
ちなみに、モーツァルトが通っていたカジノは今も現役で残っており、夜には紳士淑女の社交場になっています。そして、現在はデパートになっているモーツァルトの最後の住居は、同じ大通りに面していて3分くらい歩けばカジノに着くところでした。「プフベルクに借りたお金で、前回の負けを取り戻す!」と意気込んで出かけて行った様子が目に浮かびます。もちろん、宮廷からの給料も、作曲で得た報酬も、同じくカジノですっていました。今なら、「ギャンブル依存症」と診断されるかもしれません。でも、依存症でもなんでも、負けてしまうと、家計は火の車になります。
下品極まりないモーツァルトの手紙
余談ですが、カジノの語源はイタリア語のカーサで意味は「小さな家」です。もともとは王侯貴族が所有していた社交場を兼ねた娯楽用の別荘を意味していました。それが、娯楽を備えたアッパークラスのための施設に発展したのです。今でもヨーロッパのカジノに、Tシャツとジーンズで入ろうしたら追い返されてしまいます。でも、モーツァルトは平民出身で、そんなことはお構いなし。著名人になったおかげで出入りできるようになっただけで、彼にとってはただのギャンブル場。彼は人並み外れた集中力でどんどん作曲をしてきましたが、この性格がギャンブルには災いしたんですね。ギャンブルの必勝法である「引き際」がわからず、結局、最後のコインが無くなってしまうまで、のめり込んでしまったのです。
35年間という短い人生ながら、多くの交響曲、オペラ、宗教曲などを書き上げたモーツァルト。すべてが名作ぞろいです。彼は、「神の子」と言われたかと思えば、「人間に無能さを見せつけるために悪魔が遣わしたのだ」と言われるなど、正反対の評価を受けています。彼の生き方も、あまりにも両極端な面があります。彼の持つ「聖」と「俗」があまりにも離れすぎているからこそ、そのような評価を受けるのでしょう。「聖」とは、もちろん、美しすぎる音楽です。しかし、音楽はイコール聖なのでしょうか。
モーツァルトの大名作に、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」があります。ドン・ジョヴァンニは、スペイン語の「ドン・ファン」のイタリア名です。そう、女性を毎晩とっかえひっかえハントして、翌朝には、もう違う女性を追いかけている稀代の浮気男です。そんな男の物語を、モーツァルトは美しい音楽でオペラにしました。
ところが、そのストーリーは、モラル的にはヒドいものです。たとえば、夜に目当ての女性の寝室に潜り込んで無理やり“事”を遂げようとして、助けに入った女性の父親を殺してしまいます。また、結婚式を挙げている村娘を、偶然通りがかったドン・ジョヴァンニが「これは良い女だ」と口説き始めたりします。驚くことに、この村娘もその気になって、ドン・ジョヴァンニと2人で納屋に行こうとするのです。最後には、村娘が花婿に許しを請い、仲直りをして夜も暮れていくのですが、そこで村娘はこう歌うのです。「それがどこにあるのかをわかるでしょ。ドキドキしているの。触ってみてここを!」と自分の胸を触らせて、そのまま2人で消えていきます。
ちょっとした官能小説です。そこにモーツァルトは色っぽさを感じさせる音楽をつけています。当時はエロスには立派な文化価値があり、大衆は男女の艶っぽさを求めていたわけですが、聖か俗かといえば、今の感覚では生々しい“俗”の世界です。
彼の手紙も、比較的たくさん残されています。その内容は、聖と俗の両方です。5カ国語で手紙を書くことができたモーツァルトですが、高尚な芸術の話を書いている手紙があるかと思えば、従姉妹に向けて「ウンコで君のベッドを汚してやるぞ! 僕のおしりが火事になった!」などと書いている手紙もあります。
実は、当時の南ドイツでは、親しい者同士でこのような会話が交わされるのは日常的で、タブーではなかったのです。厳格といわれていたモーツァルトの父親でさえも、こんな糞尿がらみの冗談を言っていたそうです。
時代や地域が違えば、聖と俗の基準も違います。また、聖と俗というのは、表裏一体に結びついているのです。ちなみに、指揮者の聖と俗を分けるのは、ステージドアです。これについては、また別の機会に紹介します。
(文=篠崎靖男/指揮者)