失礼なこと、人が怒るようなことを悪気なく言ってしまったり、ちょっとしたことで泣いたり怒ったり、約束を簡単にやぶったり……。
職場や親族、クラスメートにこんな人がいると、周りはひやひやしたり、振り回されてしまったり、つき合いにくかったりする。難しいのは彼らに悪気があるわけではなく、悪いことや不義理をしている感覚がないケースが少なくないことだ。
皮肉や嫌味を読み取れない人への接し方
「発達障害」という言葉はここ数年で世の中にかなり浸透した。「障害」と名はつくが、実際にはADHD(注意欠如・多動性障害)にしてもASD(自閉症スペクトラム障害)にしても、発達障害は障害というよりも「脳機能の特性」と言った方がいい。
そして、この特性を持った人は定型発達の人とは「見ている世界が違う」とするのが、精神科医・岩瀬利郎氏の著書『発達障害の人が見ている世界』(アスコム刊)だ。その世界を知ることで、発達障害の人の「ちょっと変わった人」「空気を読めない人」というイメージから一歩外へ踏み出すことになる。
たとえば、ASDの特性を持つAさんは、終わりそうもない仕事を先輩に手伝ってもらい、終わった時にその先輩から「今回は私も色々と勉強になったわ。仕事が遅い同僚のおかげね。ありがとう」と言われたそう。
もちろんこれは嫌味なのだが、Aさんは自分がいいことをして感謝されていると感じた。そのため先輩に向かって「本当ですか? よかったです」と答えたそう。
言葉の裏の意味を読んだり、社交辞令を社交辞令と受け取ったり、皮肉や嫌味に気づいたりといったことが、ASDの人は苦手なことが多い。「それは普通こういう意味だよ」と説明しても、本人たちはその「普通」がわからないのである。
だからこそ、周囲の人は伝えたいことを「意味通り」の言葉でストレートに伝えることが必要だ。婉曲な表現や皮肉は本人たちを困らせるだけの結果になってしまいやすいのだ。
「昨日の飲み会、部長の自慢話長かったですね!」
また、会社の飲み会に参加したBさんは、翌朝みんながいる前で部長にこんなことを言った。
「昨日の飲み会、部長の自慢話長かったですね! いやーみんな引いてましたよ」
ちなみに本人に悪気はなく、部長が嫌いなわけでもない。しかし、当然この発言に職場は凍りついた。同僚があとで「もう少し空気を読め」と注意したそうだが、本人は何が悪かったのかわからず困惑していたそうだ。
本書によるとASDの人は傾向的に「自分が見ている事実そのもの」を重視し、人間関係が円滑に回るかどうかには無頓着なことがあるそう。また相手の表情や声、仕草から何かを察することも苦手だ。
もちろん正直なことが悪いわけではない。ただ「正直で率直」なことだけが最善でもない。周囲にいる人はこのことを正面から説明してみること、そして言っていいことかわからなかったら「何も言わない」ことも一つの手だということを伝えることが大切。全員とはいかずとも理解を示す人もいるはずだ。
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発達障害にもさまざまなタイプや程度があり、一概に「このタイプにはこう」という対処法があるわけではない。ただ、本書ではその人の特性に合わせて周囲の人の接し方を指南しているため、使いやすいはず。
また、「自分は発達障害かもしれない」と不安に思っている人にとっても、どんな行動をとるべきかの参考になるだろう。当事者やグレーゾーンの人、そして周りにいる人も、発見の多い一冊だ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。