2010年代に入って以降、NECは民生機器の製造事業からの撤退などを進めた。リストラによって得られた資金は、社会インフラ、および産業用分野の事業に再配分された。現在、その一つとして注目されるのが量子コンピュータ関連の事業だ。NECは疑似的な量子コンピュータを用いたビジネス展開を加速し、新しい収益の柱を確立しようとしている。量子コンピュータ事業の今後の展開は、NECの中長期的な高い成長実現にかなりのインパクトを与えるだろう。
注目されるのは、同社がどのようにして米中企業を上回るスピードで量子コンピュータの実用化に取り組むかだ。世界的な景気後退懸念の高まりなど、事業環境の厳しさは増すだろう。先行きは楽観できないが、NECがこれまでに培ってきたモノづくりの文化と最先端のソフトウェア開発体制を強化することができれば、収益力の強化は可能と考えられる。その際、リスクを分散するために、内外企業との連携強化の重要性は増す。経営陣は組織の集中力をさらに高め、そうした取り組みを加速させなければならない局面を迎えている。
NECの量子コンピュータ関連事業
現在、NECは量子コンピュータ関連事業の強化を急いでいる。1月20日には子会社のNECプラットフォームズとともに、量子コンピューティングの技術を活用した生産計画立案システムの導入を発表した。量子アニーリングという最適化の手法を用いて、プリント基板に電子部品を取り付ける工程の策定が行われる。従来の生産ラインの策定においては、製品ごとにラインや機器の設定を変更する「段取り」を熟練した従業員の勘と経験などによって行ってきた。今回の量子アニーリング手法の実装によって、生産計画立案の工数は90%削減される。また、設備の稼働率は15%向上する。生産性向上に与えるインパクトは非常に大きい。
量子コンピュータとは、量子力学(原子以下の極めて小さいエネルギー、物質の単位である量子の性質を解き明かそうとする物理学の一分野)の理論を用いて、複雑な計算を超高速で解くための計算装置をいう。従来のパソコンは、チップの回路線幅をより小さくする微細化などの向上によって、演算能力を高めてきた。ただ、徐々に微細化は限界に近づいていくとの見方は多い。最先端チップの生産体制を整備するコストもかかる。そのため、新しい演算技術を実現し、より高速かつ大規模に複雑な計算などを行い、各種シミュレーションなどをより効率的に実施するため、主要国で量子コンピュータの開発は加速している。利用が期待される分野は、宇宙、安全保障、生産活動、化学、金融、物流、社会インフラなど非常に幅広い。その分、量子コンピュータ関連技術を実用化した企業の先行者利得はかなり大きなものになるだろう。
ただ、量子コンピュータの実用には時間がかかる。主な課題として、装置を超低温に冷却して電気抵抗をゼロにするためなどのコストの高さ、動作の不安定性などは大きい。そのため、NECはこれまでのコンピュータ上で量子アニーリングの手法を疑似的に再現し、サブスクリプションなどのサービス提供体制を強化している。
生き残りの危機感を強めたNEC経営陣
量子コンピュータ関連の技術は、半導体と並んで世界各国にとっての戦略的資材、および技術として重要性は高まるだろう。いち早く実用化できた企業は、世界的な規格などに関する議論を主導し、より有利に事業を運営する可能性も高まる。そうした展開を念頭に、NECは世界経済の最先端分野の一つである量子コンピュータ関連分野の先行者利得の獲得を狙っている。
背景の一つとして、NECは世界経済のデジタル化に乗り遅れた。その結果、収益力は停滞した。かつて、NECはメモリ半導体やパソコンなどの分野で競争力を発揮した。しかし、1980年代半ばに日米半導体摩擦が激化した。1990年初頭以降は日本の資産バブル崩壊によって景気が低迷するなどした。その結果、同社は新しい製品の開発を世界トップのスピードで進めることが難しくなった。一方、1990年代以降の米国ではIT革命が起きた。アップルやグーグルなどはソフトウェア開発により集中し、スマホやパソコンさらには半導体の設計、開発などの分野で急速に競争力を高めた。NECの競争力は一段と低下した。
2010年以降、NECは生き残りをかけて構造改革を進めている。ポイントは、パソコンやスマホなど民生用のハードウェア製造事業の縮小と、産業と社会インフラ分野への選択と集中だ。2011年にNECはパソコン製造事業を切り離し、レノボとの合弁企業傘下に移管した。また、国内工場の閉鎖などリストラも進められた。捻出された経営資源をNECは社会インフラ事業など、強みを発揮できる分野に再配分した。それによってNECは生き残りを目指そうとしている。
そのなかでも、量子コンピュータ関連事業の重要性は一段と高まっている。それは、社会インフラと産業分野で新しい成長の柱を確立し、米中のIT先端企業などとの競争に対応するために必要な要素の一つだ。大きな事業戦略の方向性として、コスト面で新興国などの企業に優位性のある民生機器の製造よりも、先端分野でのソフトウェア、その実装を支える新しいハードウェアなどの創出に集中することは、中長期的な成長を支えるだろう。ただ、今のところ、そうした取り組みが十分な成果を発揮しているとはいいづらい。過去10年間、NECの株価はTOPIXの電気機器指数の上昇率を下回った。
徹底強化が必要な量子コンピュータ事業
NECがどのように高い成長を実現するかは、先行きは楽観できない。主要投資家は、NEC経営陣が不退転の決意を固め、さらなる構造改革を推進することができるか否かに注目しているといえる。そのために、量子コンピュータ関連事業の運営体制の強化、研究開発や実証実験などは加速されるべきだ。今後の事業戦略の一つとして、NECは量子コンピュータ関連の技術を軸に、事業ポートフォリオの再編を進めることが予想される。
注目したいのは、NTTなどとの連携強化の可能性だ。NTTはNECと資本・業務面で提携した。また、NTTは富士通とも業務面での提携を進めている。それは、電電ファミリーと呼ばれたNTTを中心とする国内通信、エレクトロニクス関連企業の連携再興を意味する。いずれにも共通するのが、量子コンピュータに関する取り組みである。NTTは米航空宇宙局(NASA)などとも量子コンピュータ関連の開発に取り組んでいる。富士通も量子コンピュータの実用化に取り組み、暗号技術の安全性評価などで成果を上げ始めた。実用化に時間とコストのかかる量子コンピュータ関連分野でNECはそうした企業との連携をさらに強化する可能性は高い。それは、より新しいシミュレーションなどのサービス、それを支える機器の創出に資すはずだ。
2019年、グーグルは最先端のスーパーコンピューターで1万年かかるといわれた計算を、量子コンピュータを用いて約3分で解いたと発表した。その後、世界の量子コンピュータ分野での開発競争は米国が先行し、中国が追いかける様相は一段と鮮明となっている。しかし、2010年頃までNECをはじめ国内企業は量子コンピュータ関連で米中以上の特許を出願していた。世界経済の先行き不透明感上昇など楽観はできないが、経営陣が明確に量子コンピュータ関連技術を成長の軸に位置づけ、経営資源のよりダイナミックな再配分、他企業との連携強化などを強化することができれば、NECに挽回の余地はあるのではないか。株価の推移をみる限り、経営陣のより強いコミットメントによって組織全体が量子コンピュータ分野での成長をより強く志向する展開に注目する主要投資家は多いようだ。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)