4月6日、JR南武線・西国立駅(東京都立川市)近くに「オーベルジュ ときと(Auberge TOKITO)」という施設がオープンした。
旅行好きな人以外にはなじみの薄い「オーベルジュ」だが、地方や郊外にある「こだわりの食を堪能して宿泊できる施設」をいう。フランス発祥と聞くが、日本にも増えている。
「ときと」は宿房・食房・茶房から構成される。横顔は後述するが、驚くのはその料金だ。「開業記念特別プラン」では34万2250円(2名分、1泊2食、税・サービス料込み)となっている。これ以外に食事のみの利用もでき、料理10品前後の「テーブル席おまかせコース」(税込み2万7500円+サービス料15%)などがある。
もともと当地で長年営業し、2019年に閉業した料亭「無門庵(むもんあん)」跡を、地元企業の立飛(たちひ)ホールディングス(立飛HD)が取得。グループ会社で2020年に開業した「ソラノホテル」も運営する立飛ホスピタリティマネジメント(立飛HM)が開発した。
人口約18万5000人(2023年4月現在)の立川市は、東京・多摩地区のターミナル駅として存在感は大きいが、一方で「通過される街」という声も聞く。
なぜ、立川に超高級施設を開業したのか。開業の裏側と地域の実情を考察したい。
「ミシュラン星獲得シェフ」も集結
まずは施設の概要から紹介しよう。前述したように、宿泊の「宿房」+食事の「食房」+喫茶の「茶房」で構成され、宿房は4室だが、各部屋の広さは106平方メートル(約32坪)ある。
食房は宿泊客優先のカウンター10席と、一般客(宿泊客以外)も利用できるホールが22席。個室3室のほか、離れの宴会場(最大収容20人)がある。茶房は喫茶やバーとして一般客も利用可能だ。いずれも「和のオーベルジュ」として和風の造りとなっている。
開業前、4月3日にはメディア向け内覧会が開催され、筆者も施設内部を見学した。さまざまな趣向を凝らした内容と高価格帯なので、コアターゲットは「国内外の富裕層」だ。
富裕層に向き合う人材が必要だったのだろう。開業にあたり、さまざまな経歴を持つ人物をスカウト。総合プロデューサー兼総料理長には石井義典さん、総支配人兼料理長には大河原謙治さん、料理長には日山浩輝さん、ペストリーシェフには黒岩加奈子さんが就任した。
「京都吉兆 嵐山店」出身の石井さんはニューヨークや英国で料理人として働き、ロンドンの懐石料理店「UMU(ウム)」の総料理長として欧州の日本料理店では初めてミシュラン2つ星を獲得した。同じ「京都吉兆」出身の大河原さんは、「同洞爺湖店」では北海道洞爺湖サミットで各国首脳に料理を提供。その後、京都の懐石料理店「いと」でも総料理長を務めてオープン半年でミシュラン1つ星を獲得。日山さんや黒岩さんも料理人やパティシエとして経験豊富な人材。世界を知る料理人がプロデュースした施設が特徴だ。
2つの施設「ソラノホテル」「ときと」の立ち上げ人
「もともとここは、戦前は陸軍の将校や戦地に赴く前の航空兵も利用し、戦後は料亭やレストランとして利用された場所です。地域の方にとっても思い入れがある場所なので、なくすのではなく、いかに生かせるかを考えました」
立飛HM取締役COO(最高執行責任者)の坂本裕之さんは、こう説明しながら続けた。
「(私も立ち上げに関わった)ソラノホテルを“動”とすれば、オーベルジュときとは“静”。対比するイメージです」
坂本さんの経歴も華やかだ。1980年に開業時の兵庫県神戸市「ポートピアホテル」のフレンチレストラン「アランシャペル」でキャリアをスタートし、長崎県の「ハウステンボス ホテルヨーロッパ」や「ホテルグランヴィア京都」(京都府京都市)、「ザ・ウインザーホテルズ インターナショナル」(北海道洞爺湖)などで総支配人を歴任。「京都センチェリーホテル」(京都市)では代表取締役専務を務めた。
もともと神戸市出身で、北海道以外は西日本のホテルでキャリアを積んだ人物が、東日本に招聘され、立川市で2つの宿泊施設を立ち上げたことになる。
「立川の都市格を上げるために上質なホテルを創ってほしい」と、デベロッパーから言われたという。
市の面積の4%を持つ“立川の大家”
ここでいうデベロッパーとは、前述の立飛HDだ。立飛という名前は前身の「立川飛行機」(後の立飛企業)に由来する。今から約100年前、1924年に航空機メーカーとして誕生し、戦前は陸軍向けに主に練習機を設計・製造・販売していた。
現在は不動産賃貸・開発が主力業務だが、これは戦後に米軍に接収されていた自社所有地が返還されていき、その後、デベロッパー業を強化して業態転換したためだ。
「立飛グループが所有する土地は約94万平方メートル+4万平方メートルあり、これは立川市の全面積の約4%に相当します」(坂本さん)
ちなみに、東京都心でアークヒルズや六本木ヒルズなどの開発を行ったのが「森ビル」だ。昭和時代に同名のビルを東京都港区中心に建て続けた同社は“港区の大家”ともいわれた。それに倣えば、「立飛は“立川の大家”」といえよう。
「『上質なホテルを創ってほしい』という要望を受けましたが、『地元のホテルと競争するな』『婚礼と宴会ビジネスはやってはならない』という条件もありました。その思いで進めて2020年6月8日に開業したのが『ソラノホテル』です」(同)
同ホテルの横顔は別の機会に紹介するが、宿泊料金も安くない3つ星ホテルだ。
かつては「なんとなく怖い街」だった
「昔の立川は、今よりも怖い街というイメージでした」
当地を知る中年以上の世代からよく聞く言葉だ。現在、多摩地区を代表する街として名前が挙がるのは、「吉祥寺」「八王子」「町田」「立川」の4つが多いが、他の都市に比べて立川には「ガラが悪い」イメージを持つ人も多かった。
地元情報を発信する「立川経済新聞」の3人(社長の森林育代さん、編集長の石橋由美子さん、記者の長谷山聡子さん)に話を聞いた。
「私たちは多摩地区で育ち、結婚を機に立川に移り住んだ世代ですが、確かに当初はそうしたイメージがありました。それが2014年に東京都内初の店舗『IKEA(イケア)』が、翌年に『ららぽーと立川立飛』が開業したり、その後もおしゃれなカフェやレストランが次々にできたりして、かなりイメージが変わりました」(同)
3人のうちの1人は「私がマンションを買った当初よりもにぎわいが増し、所有する物件価格も上がりました」と話す。ちなみに、筆者も9年前のイケア立川の開業直後に視察して記事にし、今回の取材前にも立川を訪れていたので、こうした話は実感できた。
立川の「都市格」は上がっていくか
近年、立飛グループは積極的に地域活性化に取り組んでいる。
「かつては倉庫業中心の企業で、地元の人も『立飛はよく目にするけど、何をやっている会社なの?』といった認識でした。それが上場を廃止して経営の自由度が増すと、自治体とも連携して多くの施策を打ち出すようになり、企業風土も変わっていったのです」(同社関係者)
ソラノホテルがある一帯は「グリーンスプリングス」といい、空と大地と人がつながる“ウェルビーイングタウン”を掲げる。
今年3月にはプロフィギュアスケーターの浅田真央さんと組んで、自身の名前を冠したアイスリンク「MAO RINK」が来年秋にもオープンすることを発表した。
都市格を上げるために、魅力的な文化施設を次々に建設するのは、ビジネス的には常道だ。ただし、これはハードの話。料理人やホテルマン、フィギュアスケーターという人材(ソフト)の魅力を打ち出し、どう集客して“明るいにぎわい場”となっていくか。
「ときと」開業に関わったキーパーソンの何人かは、「最初は来る気がなかった」と話していた。それがなんらかのきっかけで「ピンときた」ので、やって来たのだろう。
文化的な魅力は吉祥寺がある武蔵野市(人口約14万8000人)に遠く及ばない立川市。“通過される街”の取り組みがどう成果を結ぶか。その活動に注視していきたい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)