“厄介者”の経血で婦人科がんの超早期発見?ユニ・チャーム『ソフィ FemScan』の挑戦

●この記事のポイント
・経血を「捨てるもの」から「カラダのメッセンジャー」へ再定義。ここ5年の技術革新が可能にした次世代ヘルスケア。
・子宮頸がん検診受診率が先進国最低水準(約40%)の日本で、非侵襲検査が受診行動を変える可能性。※受診率は公的統計(厚労省・国立がん研究センター等)で概ね4割前後とされる。
・筑波大発スタートアップiLACとユニ・チャームの共創が、データベース構築と婦人科がんの超早期発見に向けた研究発展への道を開く。
かつて「厄介者」として捨てられてきた経血が、いま「カラダのメッセンジャー」として再評価されている。
ユニ・チャーム株式会社が2025年11月に試験運用を開始した『ソフィ FemScan(フェムスキャン)』は、経血を専用キットで採取し、子宮頸がんの主因であるヒトパピローマウイルス(HPV)を検査する次世代ヘルスケアサービスだ。
このサービスは、40年以上女性の生理に寄り添ってきた『ソフィ』ブランドが、「生理用品」から「女性のウェルネス全体をサポートするブランド」へと進化する象徴的な取り組みでもある。女性特有の健康課題による経済損失は年間約3.4兆円と推計される中(※公的・民間推計の代表値。算出条件により幅がある)、生理期間という「点」のケアから、一生に寄り添う「線」のヘルスケアへ――。ユニ・チャームは今、ライフタイムバリューの最大化を見据えた戦略的転換を図っている。
自宅で完結する非侵襲の自己採取は、「内診台への恐怖」や「痛み」といった心理的ハードルを取り除き、日本の子宮頸がん検診受診率を引き上げる可能性を秘めている。
※本稿で紹介するサービスは、医療機関での診断・治療を置き換えるものではなく、受診の“最初の一歩”としての役割が中心となる。陽性判定が出た場合には、医療機関での精密検査が必要になる。
本稿では、このサービスを技術面で支える筑波大学発スタートアップ・株式会社iLACの佐藤孝明代表取締役社長CEO(国立大学法人筑波大学特命教授、プレシジョン・メディスン開発研究センター センター長)に、パラダイムシフトの背景と、婦人科がんの超早期発見に向けた研究発展という「本丸」への展望を聞いた。
●目次
- 経血が「バイオマーカー」になった理由
- ここ5年の技術革新が可能にしたこと
- 子宮頸がん検診、先進国最低の受診率という現実
- 「痛くない、恥ずかしくない」が変える行動
- ユニ・チャームとの共創、その経緯
- HPVの先にある「婦人科がんの超早期発見に向けた研究発展」
- 産婦人科医も支持する科学的根拠
- 事業化は目前、1年以内の本格展開へ
- データベースが拓くAI時代の医療
- パラダイムシフトの先にある未来
経血が「バイオマーカー」になった理由

「本来やりたかったのは、実は超早期がん診断なんです」
佐藤氏は開口一番、こう語った。
iLACは過去、国立がん研究センター東病院と共同で、肺がん患者約40人の再発を早期に血液検査で発見するプロジェクトを手がけた。その結果、約3割の患者で再発を早期に捉えることに成功した。
「肺は血液循環が100%なので、腕から採血すれば全身の情報が得られます。ところが女性の生殖器系は血液循環が数パーセント程度。腕の血液では十分な情報が得られないんです」
では、どうするか。答えは「経血」だった。
「経血には子宮内膜細胞が剥がれて含まれています。つまり、子宮内の情報がダイレクトに取れる。超早期のがん診断を実現するには、これが最適だと考えました」
ただし、いきなり「がん診断」を掲げると、臨床試験のプロトコル策定や厚生労働省の承認プロセスに時間がかかる。そこで佐藤氏が選んだ第一歩が、HPV検査だった。
ここ5年の技術革新が可能にしたこと

佐藤氏が「この5年で劇的に変わった」と強調するのが、遺伝子解析技術の進化だ。
「かつて人間のゲノムを1人分解析するのに15年、3500億円かかりました。いまは10万円、40時間以内です」
iLACが保有する次世代シーケンサーは、微量の血液や経血から超高感度でウイルスやがん由来のDNAを検出できる。その精度は、環境DNA解析の領域にまで応用されているほどだ。
「川の水を2リットル採取すれば、そこにどんな魚がいるか、その魚に付着しているウイルスまで分かる。それくらいのレベルです」
新型コロナウイルスのパンデミック時、iLACは厚生労働省・国立感染症研究所の委託を受け、日本全国のウイルス遺伝子変化を数万検体解析した実績を持つ。この「ウイルス検査の実績」と「超高感度解析技術」、そして「女性特有の課題への着目」が重なり、『ソフィ FemScan』のコンセプトが生まれた。
子宮頸がん検診、先進国最低の受診率という現実
日本の子宮頸がん検診受診率は約40%。先進国の中で最低水準だ。
※受診率は調査定義(対象年齢、自治体検診/職域検診、直近受診の定義)により上下するが、公的機関の公表値でも「4割前後」にとどまる傾向が示されている。
「みんな嫌なんですよ。細胞診は内診台に上がって、器具で子宮頸部をこすり取る。痛みもあるし、不快感も強い。だから若い女性ほど受けない」
佐藤氏によれば、女性の健康診断全体の受診率が下がる原因の一つが、この「細胞診」の存在だという。
「企業の健康診断で、女性の検診に細胞診が入っていると、それだけで受診をためらう人がいる。本来は年2回受けるべきなのに1回、あるいは2年に1回になってしまう」
実は米国でも状況は似ている。2025年、米国産婦人科学会は「不快感と痛みを抑えるため、鎮静剤の処方を推奨する」との指針を発表した。受診率7〜8割の米国ですら、痛みが障壁になっているのだ。
「薬を飲んでまで痛みに耐えて検診を受けるのか……そう考えると、非侵襲で自宅でできる検査の価値は明らかです」
「痛くない、恥ずかしくない」が変える行動

『ソフィ FemScan』の仕組みはシンプルだ。
1: 生理中に専用キットで経血を採取
2: 転写シートに移して郵送
3: 専門機関(iLAC)で解析
4: 結果をアプリで確認
「日常のルーティーンを壊さないUXにこだわりました」
経血は「DNA」であるため、常温でも遺伝子情報が劣化しない。RNAウイルスである新型コロナとは異なり、冷凍輸送の必要もない。
「極端な話、1年後、10年後でもデータは取れます。未解決事件の捜査に使われるのと同じ技術ですから」
HPV検査の結果通知内容は、筑波大学医学医療系産科婦人科学准教授の小林佑介氏が監修している。小林氏は佐藤氏と共同で臨床研究を進めており、細胞診との比較データも蓄積中だ。
「もう数十例ほど比較データがあり、精度はほぼ確立しています。細胞診と遜色ない結果が出ています」
※この領域は今後、多施設での検証が進むことで、推奨フローや活用の位置づけがさらに明確化されていく可能性が高い。
いまどこまで来ているのか:進捗の“見取り図”
ここまでの話を、事業フェーズで整理するとこうなる。
試験運用:開始から3カ月で数百人規模に実施
比較データ:細胞診との比較で数十例を蓄積
つまり「コンセプト実証」ではなく、すでに「社会実装の入口」に差しかかっている。
ユニ・チャームとの共創、その経緯
佐藤氏がユニ・チャームに声をかけたのは、同社が「妊活タイミングをチェックできるおりものシート」を販売していたことがきっかけだった。
「他の企業が事業をやめていく中、ユニ・チャームさんは女性の健康領域を重視していた。単に安く売るだけでなく、付加価値を持った製品を目指していると感じました。
ユニ・チャームさんとの対話でも、最終的にやりたいのは『がん』だという認識は共有しています。ただ、まずはHPV検査で市場を獲得し、そこから広げていく戦略です」
佐藤氏が強調するのは、このサービスから得られる「データベースの価値」だ。
「ウイルス検査だけでも、受診しなかった層が受けてくれれば、膨大なデータが集まる。それを厚労省に提供すれば、現行ワクチンの有効性検証や、新しいワクチン開発にもつながる。データベースこそが宝なんです」
※ヘルスデータビジネスの成否は、分析技術と同じくらい「同意の設計」「匿名化や安全管理」「利用目的の透明性」に左右される。FemScanが“社会実装”として広がるほど、データの扱い方そのものが信頼を決める。
HPVの先にある「婦人科がんの超早期発見に向けた研究発展」

佐藤氏の「本丸」は、やはり超早期がん診断だ。
「経血から、子宮頸がん、子宮体がん、卵巣がんの超早期診断を可能にしたい。技術的には5年前は無理でしたが、今はできます」
iLACの技術は、HPVだけでなく約3000種類のウイルスを同時に検出できる。さらに、経血に含まれる細菌叢の解析も視野に入れている。
「子宮内の細菌環境も分かる。鉄欠乏のチェックも可能です。横展開の可能性は非常に広い」
ただし、がん診断を保険診療として認可を取る道は選ばない。
「保険点数を取ると、プロトコルが固定化されてしまう。ウイルスは進化しています。検査項目を柔軟に追加・変更できる体制を保つため、あえて保険外でいきます」
ここで誤解してはいけないのは、「保険外=高額=一部の人だけの話」という単純な図式ではない点だ。
むしろ佐藤氏の狙いは、保険点数という“規格品の檻”に入る前に、検査精度とUXを磨き込み、健診や職域へスケールさせる余地を残すことにある。
病院での細胞診は「ゴールドスタンダード」として残し、『ソフィ FemScan』は「病院に行く前の第一歩」と位置づける。陽性が出た場合は、速やかに医療機関への受診を促す仕組みだ。
産婦人科医も支持する科学的根拠
2025年10月、iLACと共同研究を推進している筑波大学医学医療系産科婦人科学准教授の小林佑介氏は日本癌治療学会でこの取り組みを発表した。
佐藤氏は「恐る恐るだったんです。どんな反論が出るかと。でも、反応は極めて良好でした」と述べた。
発表直後、『読売新聞』が取り上げた記事がYahoo!ニュースに転載され、150万回閲覧された。産婦人科医からの「いいね」が相次ぎ、学会の重鎮からも支持を得た。さらに、ある産婦人科医は「産婦人科をやめてビジネスの世界に入る」と語りながら、このサービスに強い関心を示したという。
「細胞診は『どこをこすったか』で結果が変わる。でも経血は全体が流れ出るものだから、見逃しが少ない。PCR技術の高感度も相まって、現場の医師からも『こちらの方がいい』という声が出ています」
※一方で、検査の位置づけは今後も「多施設検証」「運用フローの標準化」「医療機関との連携設計」によって精緻化されていく。強みは“痛くない”ことだけではない。検査後の導線まで含めて初めて、命を救う仕組みになる。
事業化は目前、1年以内の本格展開へ
現在、試験運用は数千人規模に達しつつある。論文執筆用のデータは数十例で、「科学的には十分」だと佐藤氏は語る。
「次は複数施設でのデータ検証です。それが終われば、もう障害はありません」
すでに複数の大手健診センターが導入に関心を示し、具体的な協議に入っている。
価格設定はまだ公表されていないが、佐藤氏は「健康診断に組み込める現実的な価格」を目指すとしている。
「女性の健診に細胞診が含まれていることが受診率を下げている。それを『ソフィ FemScan』に置き換えれば、受診のモチベーションは確実に上がります」
データベースが拓くAI時代の医療
佐藤氏は、AI時代における医療の鍵は「質の高いデータベース」にあると断言する。
「IBMのワトソンが失敗したのは、臨床診断と入力データが不正確だったから。AIは間違ったデータからは間違った結論しか引き出せません」
iLACは全ゲノム解析サービスも展開しており、約60万円で個人の遺伝子設計図を提供している。そのデータは一生使え、毎年アップデートされる最新の医学知見と照合される「サブスクリプション型」だ。
「ゴルフの会員権と同じです。一度入会すれば、毎年会費を払って最新情報にアクセスできる」
こうしたデータが蓄積されることで、無駄な治療や投薬を減らせる。米国では生命保険会社が遺伝子解析費用を負担し、医師に「効かない治療をさせない」仕組みを作っている。
「日本の医療費削減にも貢献できるはずです。データベースこそが、AI時代の医療を支える基盤になります」
そして、『ソフィ FemScan』が生み出すデータは、まさにその“基盤候補”だ。経血というこれまで見過ごされてきた情報が、検査を通じて可視化され、本人に返り、社会に還元される。ここに「ヘルスケアの社会実装」と呼ぶに足る構造がある。
「ユニ・チャームの高原社長も、このデータの価値を理解してくれています。検査だけでなく、そこから生まれる新しい事業やサービスの可能性は計り知れません」
パラダイムシフトの先にある未来
佐藤氏の言葉から浮かび上がるのは、「経血」という見過ごされてきた生体情報が、医療とヘルスケアの在り方を根本から変える可能性だ。
「10年前は不可能だったことが、今はできる。技術的ブレイクスルーと社会的ニーズが重なったタイミングです」
日本政策投資銀行が出資し、産婦人科学会の重鎮が支持し、ユニ・チャームという大企業が本気で取り組む。このプロジェクトは、単なるスタートアップの挑戦を超えて、日本発の「医療インフラ輸出」にまで成長する可能性を秘めている。
受診のハードルがゼロになる社会。それは、女性が自分の体を深く理解し、主体的に健康を守れる社会だ。
「これは金儲けだけではすまない、社会的インパクトのあるプロジェクトです。だからこそ、科学的根拠を徹底的に固め、医療機関と共存しながら進めていきます」
佐藤氏の静かな確信に満ちた言葉が、次世代ヘルスケアの幕開けを告げている。
(取材・文=昼間たかし/ルポライター、著作家)











