毎日の通勤・通学途上で出会うおびただしい数の電柱に、上空をクモの巣のごとく行き交う無数の電線……それらは確かに目には入っている。けれども、幼少の頃からそんな環境下で育ってきた日本人の多くは、そうした光景を特段不思議とも感じないことだろう。
筆者自身も、欧米への出張から日本に戻ると、街中にあふれる多数の看板、駅や電車内に流れ続けるアナウンスなどによる情報過多に戸惑い、そして一時はうんざりする。しかし、数日もすれば再び順応し、やはり何も感じなくなってしまうのだから、慣れとは恐ろしい。
それと同様に、日本の都市部に住むドライバーにとっては「ほとんどの道路は駐車禁止」というのは、当たり前のように脳に刷り込まれている事柄であるはず。「自動車は駐車場に止めるもの」というのは、もはや日本の常識。けれども、日本の常識が必ずしも世界の常識とはイコールにあらずというのも、たびたび遭遇する事象だ。
パリやローマなど、ヨーロッパの都市部を初めて訪れる旅行者は、路肩にびっしり隙間なく並ぶ駐車車両にきっと驚くに違いない。しかも、その多くが違法駐車ではないと知れば、再度驚きを抱くのではないだろうか。
歴史的建造物が立ち並び、地下を掘ればたちまち遺跡が見つかってしまうような欧州の都市では、新たな駐車場を作ることは簡単ではない。そうはいっても、「こんな場所にも止めるの?」と思うような裏通りまで駐車車両が埋め尽くす光景は、もはや彼の地特有の風景の一部にもなっている。
一律駐車禁止は行政の怠慢
そもそも、自動車とは止められなければ、なんの役にも立たない存在だ。だから、日本でも路上駐車を解禁すべき……と、ここでは単純にそんなことを言いたいわけではない。
ただし現実問題として、交通量や道幅、その他さまざまな条件にかかわらず、ほとんどの道路を一律に駐車禁止としてしまっている現状の策は、あまりに乱暴という印象を免れない。
第一、路上駐車禁止の指定区域の全域を取り締まるなど物理的に不可能であることは、現状が証明してもいる。