では、我々が過去の経験を持たない、初めてぶつかる事象に対しては、どのようにして信頼を形成するでしょうか。
それは、対象が持つさまざまな「情報手がかり」によってです。「その企業の名前を聞いたことがあるから」「有名企業だから大丈夫だろう」「ウェブサイトのデザインがちゃんとしているから信頼できそう」など、私たちは情報が限られているなかで、あらゆる手がかりを基に信頼を形成しようとします。これも一種の帰納論理です。
ここで言いたいことは、我々が日常生活で用いる信頼とは、常に不完全な帰納論理に立っているということです。つまり信頼とは本質的に危ういものなのです。しかし、そうであるにもかかわらず、私たちは現代においてビジネスを展開するとき、相手を信頼しないことにはビジネス取引そのものが継続不可能になってしまいます。
なぜ信頼が必要なのか
なぜこのような不完全な論理に基づく信頼を、我々は必要としているのでしょうか。それは社会生活をスムーズに営むうえで、相手を信頼しなければ生活そのものが成り立っていかないからです。たとえば、電車に乗るとき、「この電車は無事私を目的地まで連れていってくれるだろうか」と疑っても、いちいちそれを確認するためには大変な手間と時間がかかります。そこで私たちは信頼という概念を使って電車に身を預けます。
金銭的な取引についても同様です。手元にある紙幣が1万円の価値を持つのは、日本銀行券というものを信頼しているからであり、有名なカフェでドリンクを買うのは、そのブランドの店が悪い商品を売らないだろうと信頼するからであり、BtoB取引で部品を調達するのは、その会社が実績から見ても信頼できると考えるからです。
話が少しそれるようですが、信頼をできるだけ用いずに取引する方法がないわけではありません。たとえば、原始社会においては「沈黙交易」という方法がありました。ふたつの部族が直接コンタクトを避けるため、ひとつの部族が特定の場所に物品を置いておきます。太鼓か何かで「ブツを置いたぞ」と知らせると、もうひとつの部族がその場所に顔を出して、その物品に見合う物品を置いて、先の物品を持ち帰ります。これが物々交換に基づく沈黙交易です。しかしこうした取引形態においても、なお一定程度の信頼がベースとなっていることに注意しなければなりません。