晩節を汚す?
06年5月、御手洗氏はIT業界から初の日本経済団体連合会(経団連)会長になったのを機に、キヤノンでは社長から会長に退いた。経団連会長を2期4年務めた後、キヤノン会長兼CEOとして第一線に復帰し、12年3月には社長を兼務。だが、社長時代の輝きは戻ってこなかった。
世の中は10年単位で大きく変わる――。これは御手洗氏の持論である。「今、通用している経営手法は、次の時代にまったく役に立たなくなる。今までとは違った人によって、違った仕組みをつくらねばならない」と主張してきたのが、ほかならぬ御手洗氏だった。いわば、社長復帰は持論に反するものだった。
キヤノンの中興の祖と呼ばれた賀来龍三郎氏は、御手洗氏に経営を譲って会長からも退いたとき、引退を決断した理由をこう語っている。
「(年をとると)最後に残る楽しみが会社だけになってしまう。(私も年をとった)今では御手洗(毅)前会長が身を引くことができなかった理由がよく分かる。世間一般の企業でも年寄りが辞めない理由がよく分かる。私も、もうあと数年たてば自分での引退の決断をできなくなっただろう」(「週刊東洋経済」<東洋経済新報社/1997年3月15日号>)
御手洗氏は、賀来氏のように自ら引退するタイミングを逸した。経営トップの最も重要な仕事は「後継者選び」といわれている。経営者の責務である。だが、引き際は難しい。名誉と権力と金銭的報酬が伴う地位を自ら退くことは、容易ではない。
ワンマン経営者には、誰も首に鈴をつけることができない。役員OBによると「御手洗氏は側近たちから皇帝のように扱われていた」という。取り巻きは「余人に代え難し。あなたしかいません」と口を揃える。
もし20年まで続投すれば、25年間も経営トップの座に居座ることになる。「老害」と陰口を叩かれ、晩節を汚すことになる懸念が強い。御手洗氏が最も輝いていたのは社長時代の11年間だった。
(文=編集部)