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片山修「ずだぶくろ経営論」

小さなマツダが世界一のSKYACTIV-X生んだ“常識外れの”モデルベース開発手法

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
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小さなマツダが世界一のSKYACTIV-X生んだ“常識外れの”モデルベース開発手法の画像1
マツダ、シニアイノベーションフェローの人見光夫氏

 新型エンジン「SKYACTIV‐X」搭載の「MAZDA3」が2019年12月に発売された。「SKYACTIV-X」は、マツダ独自の燃焼制御技術「SPCCI(火花点火制御圧縮着火)」によって、ガソリンエンジンにおける圧縮着火を世界で初めて実用化した次世代ガソリンエンジンだ。

 アクセルペダルを踏んだ瞬間、スポーティーな走りを実感した。グッと踏み込むと、スッと力を持って出てくる。山口県の「マツダ美祢自動車試験場」で開かれた試乗会で、新エンジン「SKYACTIV‐X」を搭載した試作車に乗った時の感想だ。

「SKYACTIV-X」は、“ミスター・エンジン”ことシニアイノベーションフェローの肩書を持つ人見光夫の存在なくして語れない。一般的に、日本の会社はイノベーションが苦手だとされる。マツダはなぜ、「SKYACTIV‐X」の開発にこぎつけたのか。人見は、いかにしてイノベーションの芽を育て、花を咲かせることができたのか。前編『マツダSKYACTIV-X、世界震撼のガソリンエンジン性能向上達成への10年間の戦い』に引き続き、その舞台裏に迫る。

【前編はこちら】

『マツダSKYACTIV-X、世界震撼のガソリンエンジン性能向上達成への10年間の戦い』

人見流「選択と集中」

 いかんせん、マツダのリソースは貧弱だった。どうするか。人見が考えたのが、「選択と集中」だ。多くの課題の中から一つを選択し、集中的に取り組むという一般的な方法ではない。主要な共通課題を見つけ出して、それに集中する方法をとった。それが、人見流の「選択と集中」である。

「ボウリングにたとえれば、一つのピンを当てれば、残りのピンが連鎖的に倒れる“ヘッドピン(一番ピン)”を見つけ出し、それに当てることに集中することにしたんですね」と、人見は語る。

 このように、彼の発想は独特である。彼に言わせれば、これまで商品開発では、試作しては問題点を探して改善することを、量産段階まで繰り返してきた。すると、必要な人員や時間は増えるばかりだった。その繰り返しでは、技術力が上がらない。

「これまでは、テスト設備上の問題点にしか対応できませんでした。そうすると、クルマにエンジンを載せる段階で、いろいろな問題が出てきて、その対応に追われるようになります。そろそろ、次のクルマの開発に移らなければいけないという時期に、人が回せなくなります。

 世界一のクルマをつくろうなんていう気持ちは持てなくなり、上司の指示をあおぐようになる。やる気が出るはずがありません。将来に備えて人を回すことができない会社になってしまいます」

 この悪循環を断つために、人見は実機に頼らない開発を目指した。

「これからの“一番ピン”は、モデルベース開発(MBD)だと考えたんです。電気自動車もプラグインハイブリッドもやらなければいけない。自動運転もやらなければいけない。なのに、人は増えないでしょう。どうすればいいか。商品を減らすのではなく、対象となる仕事の種類を減らして汎用性の高い仕事をすることが重要になってきます」

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MAZDA3

 ポイントは、はじめにモデルを決めてしまい、仕事の手戻りを減らすことだ。そうすれば、試作の数も減らせる。つまり、知恵を絞った結果が、開発サイクルを短縮するために、モデル上で有効性を検証するモデルベース開発だった。バーチャルシミュレーションを用いた設計、検証、量産化を行うための開発手法である。そして、その検証作業では、CAE(コンピュータ・エイド・エンジニアリング)手法を用いた。

「CAEによって、商品開発部門も短い期間に少人数で開発ができるようになり、人を先行開発にシフトしてもらえるようになりました」

 じつは、人見がCAEを取り入れた狙いはそこにもあった。先行開発部門は、やることが山のようにあったにもかかわらず、悲しいかな、スモール・カンパニーのマツダには、人が足りなかった。だから、人見はCAEを活用して、商品開発を効率化し、先行開発に人を回してもらおうと考えたのだ。

「例えば、昔であれば燃焼実験には、それこそ何カ月間もかかったが、コンピュータを用いれば3日で計算することができる。うちの特徴は、あるクルマに使ったアイデアを法則化して、別のクルマの開発でも使えるようにする。そうすれば、カネも人手もかかりませんからね」と、人見は言う。

 2004年に10%だったエンジンのコンピュータ上の検討は、次第に上昇し、現在では約80%がコンピュータ上で検討できるようになった。試作の数も減り、手戻りも少なくなった。人見は、次のように言う。

「じつは、『SKYACTIV‐X』のエンジンの燃焼は、CAE上でやらなければ絶対にできないんですね。計算で燃焼がシミュレーションできなければ、ああいうエンジンはできない」

大胆不敵な藤原清志との出会い

 2007年、スカイアクティブ開発を担当するパワートレイン開発本部長として送り込まれたのが、現副社長の藤原清志である。人見は、上司が他部門から送られてきたことに、複雑な心境を抱いた。

「心の底では、じつに憂鬱な気持ちでした」。というのは、藤原はエンジンの経験が皆無だった。その藤原を、いきなりパワートレイン開発本部長に抜擢するのは、いかにもマツダらしい大胆な人事だ。藤原は、知る人ぞ知る個性的な人物だ。ひとことでいえば、大胆不敵だ。他社からは“ヤクザ”と恐れられている。その藤原が、エンジンのリーダーとしてやってくることに、人見は不安を抱いた。就任にあたって、藤原はパワートレイン開発本部の幹部社員を講堂に集め、最初からガツンと宣言した。

「私は、これまでの常識を壊しにきました。目指すのは、世界一のクルマをつくることです」

 当時の先行開発部門は、不満が渦巻き、沈みきっていた。世界一のエンジンをつくるどころではなかった。「何を言っているのか」という空気が漂った。挨拶の最後に、藤原はこう言った。

「同じビジョンが持てない人は申し出てください。異論がある人は私にメールをください」

 公の席で、しかも最初から、ここまで率直にモノを言うリーダーがいるだろうか。いかにも彼らしい発言だった。

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SKYACTIV-Xエンジン生産ライン

 人見の藤原評は、次第に変化していった。

「彼は、強い信念の人です。そして、理想に向かって突き進む。もう腹をくくってやりますね。半面、厳しく言い過ぎるところもあるから、彼の言い方に萎縮してしまう人は、大変かもしれない」

 ある日の夜、人見と藤原は広島市内の居酒屋で語り合った。エンジンはもちろん、マツダがどうあるべきかなど、腹を割って話すうち、二人は意気投合した。最後は、世界一のエンジンをつくろうじゃないかと手を取り合って盛り上がった。

 じつは、部員が藤原に送ったメールの中には、「世界一のパワートレインをつくるには、人見さんをリーダーにするべきだ」という進言があった。人見は07年8月、パワートレイン開発本部副本部長に就任し、スカイアクティブエンジンの開発リーダーを務めることになった。

「藤原さんと一緒に仕事をしていくなかで、理想像や究極の姿を追い求めるところなど、考えていることが似ているなと思うようになりました。言葉は違っても、同じことをいっているんだなという感じがしたんです。それから、藤原さんからは、僕が経験していない商品開発について、ずいぶん教えてもらった」と、人見は語る。

 逆に、エンジン屋の人見は、商品開発を担当した経験がない。商品開発の仕事を邪魔してはいけないという思い込みから、一歩引いてしまうところがあった。そのことに、人見自身が不満を持っていた。 

「ある時期を超えたら、おかしいと思っても指摘してはいけないんだと思っていました。その点、藤原さんは遠慮なくガンガンいう。時間がないものでも、必要であれば容赦なくやり直しをさせた。それを見ていて、ああ、言ってもいいんだなと思えるようになって、僕も言いたいことが言えるようになったんですね」

複雑な開発を時間をかけずにやりきる

 世界一の高圧縮比エンジンを開発するという目標を掲げたものの、資金には限りがある。そこで人見は、前述したように“ヘッドピン(一番ピン)”に当てていくという手法をとった。人見は、エンジンの効率改善の制御因子を整理した。「圧縮比」「比熱比」「燃焼時間」「燃焼時期」「壁面熱伝達」「吸排気行程圧力差」「機械抵抗」の7つの因子が上がった。

「逆にいえば、エンジンの効率向上には、この7つしかやるべきことがないということです」と、人見は述べる。7つの因子に資金と人材を集中させ、三段階のステップを踏んで理想にもっていくことにした。まず、7つの因子のうち、圧縮比を高めれば、エンジンの効率があがるという点に集中した。「実験するときには、思い切って大きく振ってみろ」と、人見は技術者を後押しした。

 圧縮比を徐々に高めていくのではなく、一気に高い圧縮比で実験をしてみろ、というのである。もっとも、圧縮比を上げていくと、ノッキングという異常燃焼が起きる。高速域ではエンジンを破壊してしまう。ノッキングを避けるために、点火する時期を遅らせると、今度はトルクが低下する。

 人見は技術者を呼んで「圧縮比を“15”に上げて回してみてくれ」と言った。“常識外れ”なテストである。技術者は、エンジンが壊れるのではないかと恐れた。しかし、エンジンは壊れることもなく、思ったほどの異常燃焼によるトルク低下も起きなかった。制御の工夫をした結果、異常燃焼を抑えることができた。思い切って大きく振ったことで、圧縮比に対する常識が覆されたのだ。

「私は、できないとは言わないようにしています。答えは必ずある、と言っています」

 スカイアクティブエンジンは、低速域から高速域まで高い出力性能と燃費性能を達成する必要がある。従来の実験中心の手法では開発が困難だった。実物のエンジンや試作車でそれらを確認しようとすれば、膨大な実験作業が必要となり、開発費は青天井となりかねなかった。

「これまでは、テスト設備上でエンジンを回して、出てきた課題を改善して、図面を変えて、また試作してテストするということを繰り返していたんですね。こんなことをやっていたら、時間がかかるし、だいいち、確かなものにならないんですよ」

 人見は、そうした試行錯誤の果てには“志”と異なるエンジンが生まれるという。

「そういうものが生まれたら、その世話だけで、大変な時間がかかるじゃないですか」

 どうすれば、今までになく複雑な開発を時間をかけずにやりきれるか。人見は、CAEの活用により、コストや時間のかかる実機での試作に頼らない開発を目指した。

「これまでのように、実機による試行錯誤に頼らない開発です。それには、一回目のエンジンをつくるまでに、真剣に考えることが重要になってきます。すぐにモノをつくってしまうと、余分な工数がかかるからです」と、人見は説明する。つまり、最初の図面を出すまえに、どれだけCAEで検討するかが、開発効率を上げるカギとなる。

 従来は、受託業務が中心だった解析グループを先行技術開発に起用し、CAE開発の強化を図った。「SKYACTIV‐G(ガソリン)」の開発では、すべての現象をCAEで再現するところからスタートした。エンジン燃焼系統の熱効率、燃費性能、強度や耐久性など、すべてのからくりを解明して、CAEに利用できる数学モデルに置き換えた。

 とりわけ、高い圧縮比1:14を達成するための重要要素である、シリンダー内の吸気の流動と、燃料噴射の解析には、CAEが欠かせなかった。「CAEがなければ、スカイアクティブエンジンの開発はやっていなかった」と、人見はいう。

 また、CAEのモデル化によって、新しいガソリンエンジン、ディーゼルエンジンに、理想の構造、燃焼方式を展開できるようになった。

「エンジンは、ロボットと同じです。何も教え込まなかったら、ただの鉄の塊です。ただし、それを教え込む作業は非常に大変でした」

 エンジンには、点火時期をどうするか、噴射回数をどうするかなど、さまざまなことを教え込む必要がある。しかも、温度が高いときと低いときとでは、最適値が変わってくる。教え込むことは山のようにあるのだ。

「すべてのエンジンでそれをやっていたら、膨大な工数がかかってしまいます。そこで、特性を合わせようとなった。つまり、燃焼を合わせようということなんですね」

 エンジンには、短時間でどのように燃えるかの特性がある。いちばん効率のいい燃え方を探し出し、排気量の大小にかかわらず、その燃焼特性を実現できるようにすれば、個別のエンジンごとに最適設計をする必要はなくなる。特性さえ決まれば、シミュレーション上でいくらでもつくり変えることができるのだ。

「スカイアクティブでは、最初に2リッターエンジンで理想的な燃焼をつくって、次の1.3リッターエンジンでもまったく同じ燃え方をするように特性を合わせました。これは、CAEを強化しなければできなかったことです」

 CAEによって、教え込む作業は3分の1に減った。また、試作品の個数や実験の工数の削減が可能になり、コスト面でも大きなメリットが生まれた。そして何よりも、従来の開発手法では追求できないレベルの高い性能を実現できるようになった。

 マツダは2010年10月、世界一の高圧縮比を実現した「SKYACYIV‐G(ガソリン)」、世界一の低圧縮化を実現した「SKYACTIV‐D(ディーゼル)」を発表した。

内燃機関の進化が究極のCO2削減に

 人見は、これからの自動車の開発、生産は「モデルベース開発」がカギを握ると考えている。モデル上で開発し、試作して検証だけで終えられれば、開発サイクルを短縮できる。つまり、今後の一番ピンは、「モデルベース開発」である。人見は、「CAEの強化によって、モデルベース開発の本格導入に向けた下地ができた」としたうえで、次のように語る。

「モデルベース開発を浸透させるのは、ものすごく時間がかかりました。パワートレインがやってだいぶわかってきたので、いま車両のほうに必死で広げています。もっともっと有効なものにしていかなければいけません」

 自動車メーカーはいま、コネクティッド(接続性)、オートノマス(自動運転)、シェアード(共有)、エレクトリック(電動化)の「CASE」と呼ばれる技術革新に直面している。研究開発費はいくらあっても足りない。人手や時間も十分ではない。目標は、車両丸ごとのモデルベース化の実現である。

「モデルベース開発は、技術だけではなく、さまざまな課題解決につながる本質的な策だと考えています」と、人見は述べる。

 マツダは2019年、デザインからエンジン、車両設計技術までをゼロベースで見直した第7世代商品群の投入をスタートした。そこでも、シミュレーション技術を駆使した「モデルベース開発」が、コスト改善の重要なカギとなっている。

 環境負荷低減技術の主流が、ハイブリッド、そしてEV(電気自動車)へとシフトしつつあるなかで、マツダはいまも内燃機関の進化を追い続ける。なかでも、マツダのガソリンエンジンのロードマップの第2ステップ「SKYACTIV‐X」は、常識をはるかに超える、高性能で低燃費なガソリンエンジンだ。「SKYACTIV‐G」と比べて、全域で10%以上のトルクアップを実現する。

 マツダはなぜ、内燃機関にこだわるのか。将来においても世界的に内燃機関が大多数を占めると予想するとともに、「ウェル・ツー・ホイール(燃料採掘時から車両走行時まで)」の考えにもとづけば、内燃機関を徹底的に追求することがCO2削減にもっとも寄与すると考えるからだ。

「いま、ドイツの自動車メーカーは、電気自動車、電気自動車と言っているけれど、彼らは電気自動車が売れるとは思っていない。だいいち、アウトバーンを電気自動車で走るなんて無謀ですよ」と、人見はいう。

 人見による内燃機関の効率改善の実証のもとに生まれた「SKYACTIV‐X」は、新型「マツダ3」に搭載されたあと、各種排気量のエンジンに展開される見通しだ。2030年までには、3番目のステップとしてエンジンの理想を求める技術開発を進め、最終的なゴールを目指す。

 私はどうしても、人見に聞いてみたいことがあった。それは、「企業が持続的に成長するには何が必要か」ということだった。疑問を率直にぶつけてみると、人見は、「エッ、そんなこと僕に聞く? そんな難しい質問、いきなりされても……」と一瞬、困ったような表情を見せたが、すぐに次のような答えが返ってきた。

「持続的成長には、イノベーションが必須ですよ。現状にとどまったままでは、ダメでしょうね」

 イノベーションが止まれば、競争力は維持できない。逆にいうと、競争力をつけるには、つねにイノベーションを起こしていかなければならない。これは、簡単なことではない。「イノベーションを起こせる日本企業は少なくなっているんじゃないですか」と問うと、「そうですね。ほとんどないんじゃないでしょうかね」として、人見は次のように語った。

「特別な誰かがイノベーションを起こすのではなく、社員全員がイノベーションを起こせるような会社でなければいけないんじゃないでしょうかね。それから、イノベーションというと、いままでとはまったく違うことをやってブレークスルーするかのように理解されがちですが、そうではなくて、日々の積み重ねがイノベーションになっていくのだと思いますね」

 会社存続の危機を乗りこえ、イノベーションを結実させた、人見の言葉には重みがある。人見は2019年4月、「シニアイノベーションフェロー」に就任した。「イノベーション」を肩書きに持つ人物は、世界広しといえども、人見ただ一人だけだ。

 マツダはなぜ、人見に「シニアイノベーションフェロー」の称号を授けたのか。そこに見られるのは、人見の実績に対する最大の敬意といっていいだろう。技術の将来像を描き、そこに向かって真摯に取り組む技術者を高く尊重する社風が、マツダにはある。

(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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