今年はベートーヴェン生誕250周年です。新型コロナウイルス感染症の影響により、3月中のコンサートはキャンセル続きで大きく出鼻をくじかれましたが、世界中のコンサートホールでベートーヴェンの演奏が目白押しです。
ベートーヴェンが生まれた1770年、日本は10代目将軍、徳川家治の治世です。祖父の名君・八代目将軍吉宗は、酒色遊芸にふけるほか、一説では脳性麻痺による言語障害を持っていたともいわれる長男の九代目将軍家重よりも、孫の家治に期待して自ら帝王学や武術を教え込んだほどの入れ込みようでした。
この家治には、面白いエピソードが残っています。幼少の頃の家治が習字の手習いをしていた時、「龍」の字を紙一杯に書いていたのですが、あまりにも伸び伸びと書きすぎて最後の点を打つ場所がなくなり、なんと紙の外の畳の上に点を打ったのです。これを知った吉宗は、その自由で破格な家治を大いに褒めたということです。
約100年後に生まれたスペインの画家、パブロ・ピカソの絵画に、キャンバスという平面空間をはみ出してしまっている作品がたくさんありますが、このエピソードを聞いて、まさしくそれを思い出しました。
ベートーヴェンの破天荒な作曲
ところでベートーヴェンも、オーケストラというキャンバスをはみ出すことに挑戦し続けた作曲家です。モーツァルトなどは、すべての楽器の限界の中で作曲しているのに比べて、あまりに破天荒でした。ここで説明が必要なのですが、楽器というのは、どんな音でも出るわけではありません。オーケストラの楽器のなかで一番高い音を演奏できるピッコロであっても、やはり高さに限界がありますし、一番低い音を出すコントラバスも、最低音があります。
モーツァルトは、作曲家として当然のことですが、出ない音は楽譜には書きませんでした。しかし、ベートーヴェンは書いてしまうのです。正確に言うと、実際の音符としては書かれていないのですが、たとえば、ある楽器の音の限界に達すると、まるで「本当はこの音を書きたかったけれど、楽器が音を出せないから」と恨むがごとく、代わりの音を当てはめているのです。これは、どんな指揮者でもわかるようなあからさまなもので、驚くことに彼が楽器の進歩を予想していたかのように、現在の楽器なら演奏可能となっています。
そこで、「本当はベートーヴェンが欲しかったのはこの音だ」と考えて、楽譜に書かれていない音を演奏するのか、「やはりベートーヴェンが書いた音符は一音たりとも変えることは許されない」と、なんとなくしっくりいかないけれど、そのままにしておくのか。ここに指揮者の悩みどころがあるのですが、ベートーヴェン以外の作曲家には、こういうことはあまりありません。
楽器が出せない音まで書こうとした、自由で破格なベートーヴェンですが、彼の私生活もめちゃくちゃかと思いきや、意外と質素倹約。しかも、当時の最先端の財テクまで行い、着実に財産を残していたことは、2019年9月14日付記事『貧困イメージの強いベートーヴェン、実は莫大な遺産を残していた』で書きました。
実は、ベートーヴェンが気難しく、怒ってばかりいるというイメージは、彼の難聴とともに、年齢も進んでからのことで、若いころのベートーヴェンの肖像画を見ていると、ハンサムといえるかはわかりませんが、なかなかの好青年です。それどころか、結構女性にモテモテだったのです。実は、彼は女性の心を射止める強い武器を持っていました。それは、素晴らしい音楽を作曲する能力でした。
恋多きベートーヴェンの生涯
ベートーヴェンが活動していた時代は、バッハやモーツァルトのように宮廷や教会に勤めて収入を得る時代から、自分で演奏会を開いたり、楽譜を出版したりして収入を得るようになってきた時期でした。しかし、それだけでは収入は十分ではなく、貴族や裕福な家庭の音楽教師として、その子女にピアノや歌のレッスンをして稼ぐことも一般的に行われており、若きベートーヴェンもそのひとりでした。
たとえば、夏の別荘に長期間滞在して、その美しい姉妹にピアノのレッスンをしているうちに、そのひとりと恋に落ちるということは、ベートーヴェンにはよくあったのです。身分も低い音楽家風情が、嫁入り前の大事な娘をたぶらかすようなことが、女性の両親の目にどのように映ったのかはご想像通りです。しかし、すぐに熱烈に恋をするベートーヴェンは毎回、愛する彼女1人だけのために作曲したピアノ曲をプレゼントして、世間知らずなお嬢様の心を虜にしてしまったのです。
『エリーゼのために』という名曲は、誰でも聞いたことがあると思われるピアノ曲です。交響曲第5番『運命』を作曲したベートーヴェンとは思えない、チャーミングで可愛い作品ですが、これは当時、ベートーヴェンが求婚していたエリーゼのために書いた曲といわれています。彼女の実際の名前は、テレーゼ・マルファッティ。ベートーヴェンが曲まで書いて必死で口説こうとしたにもかかわらず、最後には彼女は拒絶の手紙を送り付け、フォン・ドロスディック男爵と結婚してしまいます。このベートーヴェンの失恋の苦い思い出の曲が、今では“ピアノを弾くお嬢さん”の代名詞ともいえるような有名な作品になったのは皮肉な話ですが、この時のベートーヴェンはもう40歳になっていたにもかかわらず、まだまだ情熱的だったのです。
しかも彼の恋の情熱は、音楽からも感じられるしつこさまで加わっています。29歳の時、ハンガリーの名門貴族の母親が、当時売れっ子で新進作曲家ベートーヴェンのところへ2人姉妹を連れて行きピアノのレッスンを依頼するのですが、ベートーヴェンは次女のジョゼフィーヌを気に入り、彼女も恋に落ちてしまいます。しかし、貴族の両親は当然のごとく身分違いの恋愛を許すことはなく、ジョゼフィーヌを27歳も年上のダイム伯爵と結婚させてしまいます。
しかし、たった4年後に伯爵は死去してしまい、ジョゼフィーヌが未亡人となったと知ったしつこいベートーヴェンは、すかさず13通もの情熱的な恋文を送りつけたうえ、歌曲『希望に寄せて』を彼女のために作曲したのです。一時はジョゼフィーヌも悪からぬ気持ちでいたのですが、4人も子供を産んでいたことがネックになります。平民のベートーヴェンと結婚してしまうと、息子たちが貴族の特権も失ってしまうため、親族の反対もあり、やむなくベートーヴェンのもとを去ってしまうという悲しい結末となっています。
そんな不幸な失恋を繰り返し、生涯独身だったベートーヴェンですが、ジョゼフィーヌが結婚中の4年間、ひたすら彼女を思い続けていたかと思いや、ちゃっかりとジョゼフィーヌの従姉妹で、まだ17歳の伯爵令嬢ジュリエッタに恋をして、彼女のために、せっせとピアノの大名作『月光ソナタ』を作曲していたのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)