ベートーヴェン、幻の『交響曲第10番』が4月に世界初演奏…クラシック音楽CDの特殊性
今年は日本のみならず、世界中でベートーヴェンの演奏会が多い一年となります。というのは、今年はベートーヴェン生誕250周年だからです。しかも、ベートーヴェンは交響曲の作曲家として有名なわけで、もちろんオーケストラにとっても、お祭り騒ぎとなります。
これをCD会社も黙って見ているはずはありません。あるCD会社などは、ベートーヴェンの交響曲や協奏曲はもちろん、管弦楽曲、ピアノ、歌曲、オペラなどのほぼすべての作品を網羅したCDセットを発売しており、なんと80枚入りで1万2000円です。つまり、CD1枚が150円という驚くべき安値です。しかも演奏家は超一流を揃えているのにもかかわらず、なぜここまで安くできるのでしょうか。
そこには、発売した時に売り切らないとブームがあっという間に過ぎて在庫の山になってしまうポップ音楽CDとは違い、爆発的には売れなくとも長く売り続けることができるクラシック音楽CDの特殊性があります。たとえば、第二次世界大戦前の1935年に録音された、イタリアの名指揮者トスカニーニのライブ録音などが、今でもマニアの間では売れるという世界なのです。
もうひとつ、クラシックの場合、同じベートーヴェンの交響曲であっても、違う指揮者やオーケストラによっての演奏が、大きな魅力を持つという点もあるでしょう。一方、ポップス音楽は、特定のアーティストに対して作曲されていることがほとんどです。北島三郎の『祭り』は、やはり北島三郎でなくてはいけませんし、山下達郎の『ラストクリスマス』は、山下達郎が歌わなければカラオケに聞こえてしまいます。
しかし、クラシックの場合、個々のアーティストの解釈の違いで、同じ曲でも違った魅力を感じることができます。極端な話、同じ指揮者であっても、オーケストラが違ったり、録音した年代が違うだけで、それはそれで大きな魅力になるので、クラシックCD会社の倉庫にある膨大な録音は、今もなお宝の山なのです。数十年前の古い録音であっても、セットの中に入れ込んで売ったり、「懐かしの巨匠の指揮」といったタイトルを付けたりするだけで、今年録音したばかりの新しいCDと一緒に店頭に並べることができるのです。
ところで、僕がイタリアの指揮者コンクールで受賞し、指揮者としてキャリアを始めたばかりの20代の頃、ある市民オーケストラからベートーヴェンの『交響曲第9番(第九)』の指揮を依頼されました。駆け出しの指揮者には大作すぎる作品ですが、若さゆえの無謀さも手伝い、なんとか演奏会を終えました。ちなみに、市民オーケストラを代表するアマチュアのオーケストラのコンサートの後には、必ず打ち上げがあります。「演奏会もいいけど、この打ち上げのビールがたまらないんだよね」と言う人も少なくなく、僕も「このビールのためにやっているのかも」とか言いながら何度も乾杯を続けます。結局、僕が一番楽しむことになってしまうわけですが、そんななか、あるアマチュア奏者の方から、こんな質問を受けました。
「僕は『第九』のレコードとCDを合わせて90枚持っているのですが、篠崎さんは、“○○指揮のCD”を聴いて勉強したのですか?」
正直、僕はその指揮者自体を存じ上げず、まずはプロの指揮者がCDを聴いてそれに合わせて指揮をするなんてことはありません。しかしそれよりも、100枚近くも『第九』のCDを所有し、全部聴いて一枚一枚の演奏の特徴を覚えているこの質問者に感心してしまいました。実際に『第九』のCDだけでも何百枚も売り出されていますし、80枚セットの中に入れ込んだり、「懐かしの名指揮者特集」とかシリーズ化して売ったり、古い録音をデジタル化してみたり、手を変え品を変え、これまでに発売された総数は1000枚を優に超えているでしょう。しかし、もともとはベートーヴェンが作曲した同じ作品です。
人工知能でベートーヴェンの“新曲”を作成
さて、今年のベートーヴェン・イヤーに合わせ、4月にベートーヴェンの生誕地であるドイツ・ボンで『交響曲第10番』が世界初演されると聞けば、クラシック音楽に詳しい方であれば驚かれることと思います。ベートーヴェンは『第九』を作曲した3年後、『交響曲第10番』に着手するも、完成には至らずに肝硬変で亡くなってしまったと伝えられています。しかし今回、『交響曲第10番』が世界初演された後、複数のオーケストラによっても演奏されるのです。
僕が最初にこのニュースを知った時には、「実はベートーヴェンは交響曲第10番を完成しており、世紀の発見があったのか!」といきり立ったのですが、実際にベートーヴェンが書き上げたのではなく、ドイツの音楽チームによりAI(人工知能)を介して作成された新しい交響曲でした。手順としては、ベートーヴェンが死の床で書き残した『交響曲第10番』のアイディアや断片的な音符とともに、これまでのベートーヴェンの主要作品の楽譜をAIに入れ込んで出来上がったものです。
実際にどんな音がするのか、聴いてみなければ評価はできませんが、何よりもびっくりしたのは、単純にベートーヴェンの音符をつなぎ合わせたわけではなく、コンピュータによってベートーヴェンの作曲スタイルを正確に分析したうえで、ベートーヴェンが行うと予想されるImprovisation(即興)を加えているということです。これまでのコンピュータは、物事を正確に分析し、計算した上で“答え”を出すだけでしたが、AIの出現により、まるで人間の脳のように自由な発想を作成できます。もうこの世にいない大芸術家であっても、さまざまな情報を入れさえすれば、新たな芸術作品をつくり上げることができるのです。
そこに芸術家の年代に応じたスタイルや当時の精神状態を入れ込めば、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチが20歳の時に京都を訪れ、舞妓さんの肖像画をアニメーションで描いたとしたら……、といった作品が簡単にできるかもしれません。実際に、ゴッホの全作品をコンピュータに入れ込んで、AIがゴッホの新作を試作しているそうです。
ただ、芸術の神髄は、これまで誰もやってこなかった新しいスタイルを、芸術家が求め続けていくところにあり、この点はAIの中に情報として入れ込めない部分ですので、僕は否定的です。とはいえ、芸術は新しい道具が発明されるのと同時に発展を遂げてきたことも確かなので、興味深い話です。
(文=篠崎靖男/指揮者)