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ネガティブな情報ほど影響力は強い?つくり話を真実と錯覚させるオペラ、テレビとの共通点

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

 新型コロナウイルス感染症の流行は、音楽家のみならず舞台芸術全体に大きな影響を及ぼしています。世界中でオーケストラ・サウンドを聴くことができない異常事態ですが、当然のごとく指揮者の僕も、いつ再開してもすぐに活動できるように自宅で待機しています。

 そのため、家の中でテレビを見ている時間も多くなり、それから情報を得ているのですが、朝からネガティブな報道ばかりで滅入ってしまいます。最近では、感染者が少なくなっているといったポジティブな情報も報道され始めていますが、やはりネガティブな情報には自然と気持ちが強く惹きつけられて、心が苦しくなります。

 そんななか、最近、ある心理カウンセラーの指摘に目が留まりました。

「ネガティブで不安を煽る情報や発言は、人の注目を集め、記憶に残りやすく強い影響力を持つ。そのため、番組の中でしばしば不満や怒りをあらわにしている発言が、人々の印象に強く残ってしまうのも無理はない。そして、それらの発言が自分の意見と違うことが多い場合は不快な印象として残るが、中には、流れてくる情報について自分の中で検討することなく、そっくりそのまま素直に受け取ってしまうこともある」

 これを読んで、なるほどと思いました。ネガティブな情報は強いインパクトを持つ、との言葉から思い出したことがあります。

 音楽の世界では、「100人のブラボーよりも、たった1人のブーイング」という言葉があります。ブラボーはイタリア語で「素晴らしい」という意味ですが、イタリアのみならず世界のどこのコンサートホールでも、演奏の出来栄えが素晴らしい際に観客が拍手とともに叫ぶ言葉で、僕もブラボーをもらうとものすごく嬉しいです。

 特にオペラでは、上演後に一人ひとりの歌手が代わる代わる出てきてカーテンコールを受ける際に、盛大なブラボーが乱れ飛びます。しかも、このブラボーがどのくらいあったかというのは各歌手の出来栄えに対する採点の様相を呈しており、大事なデビューをする際にこっそりとサクラを雇い、ブラボーを叫ばせる若い歌手もいるようです。

 ところが、100人の観客からブラボーが出ても、それを台無しにしてしまうことがあります。それは、気に食わなかった観客のひとりが「ブー」と叫ぶことです。英語ではブーイングと言いますが、日本語でも不平不満を言うことを「ブーブー言う」と表現するのと意味は同じです。この「ブー」と叫ぶ人が1人でもいたら、いくらたくさんブラボーをもらっていても、堪えてしまいます。3人もいれば、立ち直れない気持ちになるでしょう。

 冷静に考えてみれば、100人が肯定しているなかで、たった1人の否定なので気にする必要はありません。しかし、それまで喜んで鑑賞していた聴衆でさえも、「あの歌手にはブーイングが出たね」と語りながら劇場を後にすることになるのです。

 これは、冒頭でご紹介した「ネガティブで不安を煽る情報や発言は、人の注目を集め、記憶に残りやすく強い影響力を持つ」という部分に該当するのだと思います。

つくり話であるオペラが、観客を強く引きつける理由

 ところで、テレビを見ていると脳の視覚と聴覚をつかさどる部分が活発に働く一方、思考に関わる前頭前野の活動が低下する傾向があるといわれています。このような状態になってしまうと、流れている情報の影響をもろに受けてしまい、あたかも自分の意見として取り込んでしまうこともあり、特に報道機関の信ぴょう性の高い情報と司会者やコメンテーターの個人的意見や感情が同じ時間内でごちゃまぜになった場合、受け取る側としては個別の判断が難しくなるそうです。

 これは、視覚と聴覚の芸術であるオペラも同じです。オペラは、ぶっちゃければ架空の話です。もちろん、実話を基にしたストーリーもありますが、それでもかなり脚色されています。もっと言えば、嘘の話を史実や文化的背景に正しい情報と混在させて、聴衆には真実のように錯覚させてしまうのです。

 ひとつの例として、イタリア・オペラの名曲中の名曲、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲の『椿姫』を取り上げてみましょう。歌劇に興味がない方でも、ご覧になればあっという間に引き込まれるはずで、オペラ入門として僕は真っ先に推薦する作品です。

 このオペラのあらすじは、フランスの地方から来た純粋な貴族の青年が、フランスパリの社交界の花に恋をしますが、実は、その彼女は高級売春婦なのです。2人は、一時は田舎に移り住み幸せに暮らしますが、自分の息子が売春婦にたぶらかされていると思った青年の父親に無理やり別れさせられてしまいます。最後に青年は、結核のために余命いくばくもなくなったヒロインと再会しますが、彼女はそのまま息を引き取っていくという、悲しい話です。

 幕が閉まっても、ほとんどの観客が涙ぐんでいるような悲劇のオペラですが、架空の話にもかかわらず、どうしてこれほどのめり込んでしまうかといえば、すべて当時のフランスの生活や文化スタイルを正確に再現しているからにほかなりません。

 19世紀当時、高級売春婦が金持ちのパトロンの庇護のもと、貴族や芸術家や文化人の集まる社交界の中心的存在になることも珍しくありませんでした。彼女たちは、容姿の美しさだけでなく、高い教養まで求められていた社交界の花でしたが、一方でやはり蔑まれていた存在でした。年齢が高くなっていくとパトロンも離れていき、寂しい老後を過ごす悲哀の人生でもありました。ちなみに、日本では『椿姫』という題名になっていますが、原題は「ラ・トラヴィアータ」で、直訳すると「道を踏み外した女」です。

 そのような、当時は誰にでも知られていた高級娼婦の人生を、若き青年貴族との恋愛というつくり話とリンクさせて、原作者のアレクサンドル・デュマ・フィスが小説を書き上げ、ヴェルディが素晴らしいオペラに仕上げたのです。

「小説というのはフィクション、つまりつくり話だけに、それを読者に信用させて、のめり込ませるためには、つくり話以外の部分はすべて正確に書かなくてはいけない。ひとつでも間違いがあれば、読者はあっという間に現実に引き戻されて冷めてしまう」

 これは、ある小説家の言葉です。随分前に聞いた話なので、誰が言ったのかは忘れてしまいましたが、信ぴょう性が高い情報に囲まれてしまったときに、脳には個人の意見や感情までもが同じように刻み込まれてしまうからにほかなりません。

 さて、今回ご紹介したヴェルディ『椿姫』のほかに、オペラに入門をしてみたいという方々にお薦めしたい作品は、ジャコモ・プッチーニ『ラ・ボエーム』、ジョルジュ・ビゼー『カルメン』です。こんな時期だからこそ、是非トライしてみてください。

(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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