丸紅、最高益見通し シェールガスを柱に業界5位からの脱却狙う…異例の新社長抜擢
丸紅は4月1日付で、國分文也・取締役副社長執行役員(60)が社長に昇格する。朝田照男社長(64)は代表権のある会長に就く。勝俣宣夫会長(70)は取締役相談役となり6月末の株主総会で取締役を退任する。
首脳人事の焦点は勝俣会長の処遇だった。日本経団連の副会長に2011年6月になったばかり。任期は2年だが2期4年務めるのが慣例だ。勝俣会長は東京電力の会長を務めた勝俣恒久氏の実弟。次期経団連会長レースの大穴と見られていた時期もある。経団連の会長になるためには会長にとどまることが絶対条件だったが、相談役に退くことが決まり、勝俣氏の経団連会長の目はなくなった。
08年4月に社長に就任した朝田氏は、営業が主流の商社業界で初の財務出身のトップだった。2000億円でチリの銅鉱山の権益の取得、1300億円を投じた豪州鉄鉱石鉱山の開発に参入。そして3000億円という丸紅史上最大の案件、米穀物大手、ガビロンの買収と大型投資を相次いで決断した。
13年3月期は連結純利益で過去最高の2000億円を達成する見込み。リーマン・ショック後の10年3月期には953億円まで落ち込んだが、優良案件の獲得により成長軌道に乗せた。13年3月に中期経営計画が終了するのを機に、就任満5年で勇退する。
國分氏が次期社長に決まったことに関して、商社業界では想定外と受け止めている。國分氏が石油畑出身だったからだ。丸紅は電力インフラと食糧事業が安定収益源。今後の投資は鉱山などの資源から、電力、水のインフラ事業や食糧・食品など非資源中心に方向転換した。
そのため、次期社長は非資源系が有力とみられていた。50代で電力インフラを管掌する専務執行役員や、食糧部門を束ねる常務執行役員の名前が取り沙汰されていた。
國分氏を社長の座に押し上げたのは「米国のシェールガス革命」だ。掘削技術の飛躍的な進歩により、従来は掘り出せなかった貢岩層から大量の天然ガスを取り出せるようになった。そのためLNG(液化天然ガス)価格が大幅に低下した。
シェールガスの大量生産が続く米国では、天然ガス価格が100万BTU(英国熱量単位)当たり3ドルを切るところまで下がった。一方、世界最大のLNG輸入国である日本の調達価格は、17~18ドルから少し下がったとはいえ15ドル程度。米国からシェールガスの輸入が可能になれば、冷却して液化する工場やタンカーで日本に運ぶ輸送経費を含め、コストは10~13ドルに抑制できる。
日米首脳会談でシェールガスの対日輸出解禁についてオバマ大統領が前向きの姿勢を見せたことから、商社業界は商機到来と沸き立っている。米国内のパイプライン輸送や輸出するためのLNG専用船などの取りまとめは、総合商社が最も得意とするところだ。
國分氏は10年から2年間、米国丸紅社長としてシェールガス開発の布石を打ってきた。11年10月にはデンマークの海運世界最大手、A.P.モラー・マースクからLNG船8隻の所有権益を約14億ドル(約1070億円=当時の為替ルート)で、カナダの海運大手と共同で購入した。
買収するLNG船は1隻の積載能力が10万立方メートル(7~8万トン)で、A.P.モラー・マースクはLNG船を国際入札で売却した。
世界で運航されているLNG船は360隻程度。日本では商船三井と日本郵船が40隻以上を保有管理する大手。丸紅は今回の買収で、LNG船を合計16隻保有することになり、国内海運専業に次ぐ大手となった。
國分次期社長は記者会見で、自らの任務について「純利益を次の高みの3000億円にどれだけ早く到達させられるか、その道筋をつけるのが自分の役目だ」と語った。具体的には、電力インフラ、食糧事業に次ぐ収益の柱にシェールガスを育成するという決意を表明した。
國分氏は1952年10月、東京に生まれた。私立の中高一貫校の麻布中学・高校で学ぶ。自由奔放な校風だったこともあり、酒やタバコはもちろん、ケンカをやり、ワルを気取っていた。慶應義塾大学経済学部に進学。些細なことからヤクザ相手に大立ち回りを演じた武勇伝が残っている。
75年4月、丸紅に入社。配属されたのは石油製品トレーディング部。石油製品の対日売り込みの営業を担当し、8年後の83年、ニューヨーク駐在となる。第2次石油ショックを経て、原油価格が下がる直前の頃だ。丸紅はその頃、独立系企業と合弁で、原油先物取引や米国への原油の輸入を手掛けていた。