列車には、老若男女多種多様な人々が乗車している。中には、駅や車内でトラブルを起こして“暴力行為”に走る乗客もいる。彼らの暴力の矛先は止めに入った乗務員や鉄道係員に向けられ、入院に至るケースもあるという。鉄道業界が抱える列車内トラブルの実態に迫る。
馬乗りで殴打、背後から蹴られた…
「2019年度に全国36社局で発生した、第三者による駅係員や乗務員等の鉄道係員に対する暴力行為は581件。11年度のピーク時に比べれば減少しているものの、深刻な状況に変わりありません」
そう話すのは、日本民営鉄道協会労務部労務課の尾嶋孝弘氏。同協会が発表した19年度に起きた暴力行為の事例【※1】によると、「駆け込み乗車をした加害者を注意したところ、胸ぐらをつかまれてそのまま後方の柱に押し倒されて負傷した」「泥酔した加害者を列車に案内すると、突然激昂して殴りかかってきた。その後馬乗りになり4発殴打された」「酩酊した加害者がカップ酒の中身を窓口に撒き散らして暴れだした」「車内で乗車マナーをお願いしたところ、体当たりされて背後から蹴られた」など、とても理不尽な事案も発生している。
「暴力行為は、深夜の時間帯(22時~深夜)や週末に多く発生しています。また、多くの事例では加害者が飲酒状態にあるのも特徴です。迷惑行為を注意したときや、ケンカの仲裁に入ったときに暴力を受けることもあれば、理由もなく突然被害に遭うケースなど、発生原因はさまざまです。近年では、女性係員や列車を運転する乗務員に被害が及ぶこともあります」(尾嶋氏)
被害に遭った鉄道係員は負傷するだけでなく、治療のために休業を余儀なくされる事例もあるという。尾嶋氏は「誰もが働きやすい職場環境を整えるためにも、第三者による暴力行為の防止は急務」と強く訴える。
攻めたデザインのポスターが誕生した背景
同協会が本格的に暴力防止策に乗り出したのは02年。発生した暴力行為の事例集の作成などとともに行った取り組みの一環として、暴力行為防止ポスターの掲示も行っている。
「05年に日本民営鉄道協会とJR3社(東日本・西日本・東海)が協力して、マナーポスターを作成しました。現在は公共交通や協会加盟会社以外の私鉄も加わり、毎年デザインを変えながら、第三者による暴力行為が増える夏季(7~9月)と年末年始(12~2月)に、全国各地の鉄道会社が共同でポスターを掲示しています」(同)
19年の夏には、子どもが書いたような文字で「人をぶっちゃダメなんだよ。」と暴力被害を訴えるポスターが車両内や駅のホームに掲出されて、話題になった。
「それまでのポスターは『暴力は犯罪です』という部分を強く押し出していましたが、事実の周知という印象が強くなってしまい、マンネリ化していました。その結果、突発的に起きる暴力行為の抑止につながりにくかったという背景もあり、インパクトのあるデザインとしました。そこで、18年度、19年度のポスターは、メッセージ性を打ち出すようなものとしています」(同)
いじめ問題の解決に活用する教育現場も
19年度のポスターは、子どもにも伝わりやすいシンプルなメッセージが注目され、教育現場でも活用されたという。
「19年度の『人をぶっちゃダメなんだよ。』のポスターは、多くの教育機関から問い合わせをいただきました。本来の活用法とは少し離れますが、『生徒同士のいじめ問題の解決につなげたい』とのことで、実際にこのポスターを教材に使用した学校もあったようです」(同)
また、19年末に掲示された「よっぱらったら、何してもいいの?」と訴えるポスターには、「駅や電車内だけでなく、居酒屋にも貼ってほしい」という声もあったという。同じように酔った客からの暴力被害に悩む業界からも、共感を得ているようだ。
「駅係員や乗務員など、鉄道係員に対する暴力行為の防止を目的につくったものですが、各方面から反響をいただき、話題になるのはうれしい限りです」(同)
そして、20年7月10日からはポスターのデザインを刷新。暴力行為が増える夏季にかけて貼り出される。
もちろん、同協会や鉄道各社が取り組む暴力行為防止策はポスターの掲示だけではない。
「首都圏を中心に鉄道利用者が増加した影響で、減少していた暴力行為の発生件数は横ばいの傾向にあります。ポスターの掲出のほかに、関東鉄道協会では第三者暴力行為対策DVDの作成や事例集を作成。そのほかにも、各鉄道会社は防犯カメラの設置や警察官の巡回、警備員の配置などの対策を実施しています」(同)
尾嶋氏は「今後もさまざまな取り組みで、第三者による暴力行為の減少につなげたい」と語る。まずはより多くの人が実態を知ることが、現状を変える第一歩になるかもしれない。
(文=真島加代/清談社)
【※1】「鉄道係員に対する暴力行為の件数・発生状況について(2019年度/大手民鉄16社)」より
●「日本民営鉄道協会公式HP」