第一生命保険は10月2日、山口県周南市の西日本マーケット統括部徳山分室に勤務していた元営業職員の女性(89)が、顧客から約19億円を騙し取ったと発表した。同社によると、元職員は山口県を拠点に50年以上保険販売に携わってきた。10年以上前から今年4月末までに、少なくとも顧客21人から19億円を不正に詐取。勧誘時に第一生命の「特別枠」によって高金利で運用できるといった、嘘の話をして信用させていた。
第一生命は6月に顧客から連絡を受け、調査後の7月3日付で職員を解雇。山口県警に詐欺容疑で刑事告発した。8月12日に告発を受理した山口県警本部は「告発の事実の立証に向けて捜査を進めていく」と公表した。
なぜ、不正を長年続けられ、会社側は、それを見抜けなかったのか。金融庁は第一生命に全容の解明を求め、保険業法に基づく報告徴求命令を10月12日までに出した。
第一生命でただ1人の「特別調査役」
元営業職員は第一生命で“スーパーおばさん”として有名な人物だった。トップクラスの「成績優秀者」で「上席特別参与」という肩書を与えられていた。この名誉称号は「顧客数や契約高などで一定基準を達成した際、特別な表彰を受け、与えられる」という。第一生命には全国に約4万4000人(4月時点)の営業職員がいるが、この肩書を持つ人は十数人だけだ。
元職員への優遇ぶりは際立つ。営業職員は65歳定年で、80歳まで1年更新の勤務が可能という規定がある。89歳の元職員は「特別調査役」の地位を与えられ、解雇される今年7月まで勤めていた。「特別調査役」は、この職員1人だけだったという。元営業職員の名前は公表されていないが、地元では「女帝、ついにお縄か」と話題になっているという。
山口銀行クーデター事件のモデル
第一生命の発表を受け、マスコミ各社の取材が、ある人物に殺到した。小説『実録 頭取交代』(講談社)の著者、浜崎裕治氏に山口銀行の“女帝”と呼ばれた女性の人物像を訊ねるためだ。『実録 頭取交代』は、2004年5月21日、山口銀行の臨時決算取締役会を舞台にした頭取解任のクーデターを描いている。当時、金融界を騒然とさせた事件だ。「山口銀行のドン」といわれた田中耕三相談役(小説では甲羅万蔵)の指示で田原鐵之助頭取(同・谷野銀次郎)の解任動議が提出された。動議は賛成8、反対6、棄権1で可決され、田原頭取の罷免が決まった。田中相談役は日立製作所の労務担当だったが、労務管理の責任者として山口銀行に招かれ、労務畑一筋で頭取まで昇り詰めた異色の経歴の持ち主である。労働組合出身者を取締役に引き立て一大勢力を築いた。著者の浜崎氏は田原頭取派の取締役だった。
10年後の2014年10月、クーデターによって排斥された浜崎氏が、そのいきさつを描いた小説『実録 頭取交代』を出版した。山口県下の書店ではあっという間に売り切れるほどのベストセラーになった。銀行が買い占めに走ったという噂が飛び交った。
地元の銀行員たちは「小説と謳っているが、実はノンフィクションではないのか」と囁きあった。当時、登場人物たちの本名を併記したメモまで出回り、「労組上がりの取締役はアイツだ」とか、小説の細かなディテールをめぐって盛り上がったという。
取締役の選任・更迭に影響を与えた「女帝」
小説は仮名の維新銀行が舞台。元頭取・甲羅万蔵と頭取・谷野銀次郎の亀裂が決定的になったのは、甲羅万蔵と第五生命の女性保険外務員の山上との癒着という「パンドラの箱」を谷野が開けたからだ、といわれている。
甲羅万蔵は課長、次長と十数年にわたり総務部に在籍し、組合対策の責任者として組合幹部の懐柔に余念がなかった。従業員組合は銀行と協調路線を取る御用組合であった。三役の委員長、副委員長、書記長を無難に勤め上げれば、将来、銀行の幹部に登用されるという暗黙の了解があった。
1992年6月、筆頭専務であった甲羅万蔵が頭取に就任すると、幼馴染の保険外務員の山上の保険勧誘に銀行をあげて協力するようになる。組合の三役出身者は支店長や本部の課長・部長といった主要ポストが約束されており、山上のために積極的に保険の勧誘に協力すれば、その上の取締役へ栄達する道が開けた。
問題は、その勧誘の方法だった。銀行が取引先に生命保険会社を紹介するだけなら問題はないが、取引先へ山上を同伴して勧誘したり、業況の悪い企業に対して保険料ローンを組んで保険に加入させるなど、保険業法に違反するとみられるような勧誘が繰り返されるようになった。
頭取室には2つの電話回線があり、その1つが山上専用のホットラインだった。ことほどさように、山上と甲羅頭取は“特別な関係”にあった。それは「三越の女帝」と呼ばれた竹久みちと岡田茂社長(当時)のようだった。山上は絶大な権勢を振るうようになり、ついには部店長や取締役への選任・更迭にまで影響力を行使するようになる。
甲羅の後任頭取に就いた谷野が、甲羅と山上の癒着を断とうとして、返り討ちに遭った。これがクーデター事件の顛末だった、というわけだ。
19億円詐取事件は、山口銀行にも飛び火するのか
山口銀行のクーデター事件から16年あまり。第一生命で元女性営業職員による19億円の搾取事件が表面化した。この元営業職員は『実録 頭取交代』で、「山口銀行の女帝」と呼ばれた山上正代のモデルその人である。「山口銀行のドン」、田中耕三は94歳の今も、社友として健在だ。山上は銀行の後押しでトップセールス・ウーマンの地位を築いた、と信じられている。
詐取事件の全容が解明されると、第一生命だけにとどまらず、山口銀行、もみじ銀行、北九州銀行を傘下にもつ山口フィナンシャルグループ(FG)に飛び火すると取り沙汰されている。
クーデター事件の後日談
頭取解任のクーデターは、すでに取締役を退いていた田中耕三相談役が主導したことから、金融庁や日本銀行が「ガバナンス上、問題がある」と激怒したと伝わっている。山口銀行は、金融当局に恭順の意を示し、怒りを鎮めてもらうために、経営破綻寸前といわれた、もみじホールディングス傘下のもみじ銀行を引き受けることにした。山口銀行は、持ち株会社の山口FGをつくり、もみじ銀行を傘下に収めた。
日銀は福岡県内に福岡支店と北九州支店の2つの支店がある。北九州には地元の銀行がなく北九州支店の廃止論が出ていた。日銀は北九州支店の存続のための協力を山口銀行に要請した。これを受けて、山口銀行は北九州銀行を新たに設立した。
頭取解任のクーデターで負い目を負った山口銀行は、もみじ銀行を引き受け、北九州銀行をひねり出した。地銀再編の舞台裏は、こうした泥臭いものが多い。山口FGは「女帝」の詐取事件がどう飛び火してくるか、戦々恐々としているという。「女帝」と呼ばれた山上正代の本名は正下文子という。
(文=編集部、一部敬称略)
【続報】
「女帝」と呼ばれた超有名人の犯罪について、地元に近い中国新聞や朝日新聞が書き始めた。
19億円詐取事件の焦点は第一生命保険が組織としてどこまで知っていたのかという組織関与と、この問題が山口銀行(山口フィナンシャルグループ)に飛び火するかであろう。
中国新聞デジタル(10月19日、7:30配信)。タイトルは〈地元政財界とのコネ誇示、富裕層にリーチ 80代元保険外交員の19億円詐取問題、第一生命の責任を問う声も〉。
〈第一生命保険の徳山分室(周南市)に勤めていた80代の元保険外交員女性が、架空の金融取引で少なくとも顧客21人から19億円を詐取したとされる事件。関係者の証言からは元外交員が地元政財界の有力者とのコネを誇示し富裕層に食い込んだ経緯が浮かぶ。一方、社内では顧客を多数抱える辣腕から全国でただ一人、80歳を超えても社員で残る優遇ぶり。10年以上に及ぶ不正を見逃した第一生命の管理責任を問う声も上がっている〉
〈「トップセールスマンだけが持つことが許される特別枠口座ならもっと高い金利で預かることができる」。元外交員に預けた金の返還を求め山口地裁周南支部に提訴した女性の訴状は元外交員の言葉巧みなやり取りを記す。女性は母親の死亡保険金5千万円を託したが、社内調査で詐取を知ったとする〉
〈第一生命によると、元外交員は特に優れた営業職員として「上席特別参与」の地位を与えられていた。7月に懲戒解雇された時には「特別調査役」の肩書きも有していた。(後略)
〈勤続50年や特別調査役の就任を祝うパーティーには地元政財界の有力者が多く顔を見せた〉、〈複数の関係者によると、元外交員は地元の金融機関や地元放送局のトップとの親密をアピール。ある市議は「地方選挙の有力候補の応援もしており、(中略)周南の政治家で名前を知らない人はいない」と話す〉
〈また、大手銀行支店の行員は「県内有力企業の社長室で会った。第一生命の分室には専用の部屋まで用意してあったと聞く」と社内の優遇ぶりに舌を巻く〉、〈地元金融機関の幹部は「元外交員は地元の経営者や開業医ら富裕層を顧客に抱えていた。世間体からだまされたと言い出せない人もいるのでは」と指摘。被害はさらに増える可能性があるとみる〉
「朝日新聞」(10月25日付朝刊総合2面)。
〈「特別枠」取引3年前に調査 第一生命に山口銀に問い合わせ〉と新しい事実を報じた。総合2面のワキの3段見出しの大きな記事だ。
第一生命保険が3年前に社員の不審な取引情報を得て調べていたことがわかった、という内容だ。
〈事実確認できずに調査を終えたが、その後も被害が複数発生した。金融庁は調査やその後の対応について報告を求めており、内部管理体制が適切だったか問われそうだ〉とした。
〈第一生命はこれまで、被害客から6月に連絡を受けて調査を始めたと説明。しかし、金融庁が実態把握のために同社から報告などによると、地元の山口銀行が2017年、特別枠などについて第一生命へ問い合わせていたとわかった。特別枠の勧誘を受けた取引先の話を融資担当者が不審に思い、連絡していた〉
〈第一生命は朝日新聞の取材に、3年前に調べた事実を認めた。山口銀行からの連絡後、元社員、勤務地の第一生命の徳山分室の同僚、勧誘された取引先らに、本来は存在しない特別枠を銘打った営業があったかなどを聞き取った。いずれも「聞いたことがない」などと否定。山口銀行にも再度確かめたところ、「うわさ話を問い合わせただけ」と言われ、調査は打ち切りに。元社員はほかの顧客については調べなかった(中略)〉
〈元社員は調査後も、特別枠を持ちかけて複数の顧客からお金を集めていた。第一生命に損害賠償を求めて提訴した山口県内の女性2人は、調査後に勧誘を受けていた。3年前に実態をつかめていたら被害を減らせた可能性もあるが、第一生命は「その時点で関係者がすべて否認した。被害を確認できないなかで当時できることはやった」と取材に回答〉
〈第一生命は7月3日付で元社員を解雇し、8月に山口県警へ詐欺容疑で刑事告発した。金融庁は保険業法に基づき報告を求める命令を10月に出しており、結果を踏まえて行政処分を考える〉
「日本経済新聞」(10月26日付朝刊社会面)。2段組の小さな記事で〈第一生命元職員 19億円詐取疑い 17年に調査、顧客は否定〉とした。
〈同職員は顧客らに高金利の特別枠で資産運用できるとのもうけ話を持ちかけ、金銭を詐取していた。第一生命は銀行からの確認をもとに調査に乗り出したが、銀行や顧客も含めた全ての関係者が特別枠を用いた営業の存在を否定。事実を確認できなかったという〉
「日経」は山口銀行という銀行名も出していない。
〈金融庁は10月、第一生命に対して保険業法に基づく報告徴求命令を出した。第一生命は不正の全容解明と再発防止に取り組む方針を示している。顧客を含めた当事者が否定するなかで、営業職員を管理する難しさが改めて浮き彫りになった〉
”アリバイ証明”のような記事である。
〈内部管理体制が適切だったか問われそうだ〉(「朝日」)、〈10年以上に及ぶ不正を見逃した第一生命の管理責任を問う声が上がっている〉(「中国新聞デジタル」)。これに対して「日経」は〈顧客を含めた当事者が否定するなかで、営業職員を管理する厳しさが改めて浮き彫りになった〉。
一つの事実に対する受け止め方(評価)がこうも違う。
「読売新聞」(10月23日付夕刊社会面)の記事は異彩を放つ。ガンガンの第一生命保険寄りだからだ。
〈山口県周南市の女性が元営業職員(80歳代)と第一生命を相手取り、約8000万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が23日、山口地裁周南支部(篠原淳一裁判官)であった。同社側は請求棄却を求める答弁書を提出し、争う姿勢を示した。元職員は出廷しなかった〉
〈訴状によると、(中略)1000万円を元職員名義の銀行口座位に振り込ませた。また元職員が借用証書を作成した際、第一生命の従業員が同席していたとしている〉
〈第一生命側は答弁書で「同席の事実はない」と反論し、「元職員が個人的に行った詐欺行為。会社は行為の存否を知るうる立場にない」と主張した〉
ここからが読売の真骨頂だ。
〈元職員の親族の代理人は6月付で同支部に上申書を提出。「(元職員は)認知症との診断を受けており、訴訟能力がない」として、法定代理人が選任されるまで訴訟手続きを中断するよう求めている〉
「認知症」とはすごい話だ。この後、どんなハプニングがあるのだろうか。