中央会計の創設者たちは、日本で最大の会計事務所を目指し、中小の監査法人を次々と呑み込んでいった。1988年に新光監査法人と合併して中央新光とし、93年、中央監査法人に改称。2000年に青山と合併して中央青山となり、01年に伊東会計事務所を吸収合併した。
チェック機能の喪失
中央青山は分裂前の06年4月時点で、代表社員450人、公認会計士1371人、公認会計士補726人、職員1004人の合計3551人が働いていた。監査を行う企業は、800社余りの上場企業をはじめ約5300社あった。東証1部上場企業に占める中央青山のシェアは21%に達していた。
「他の監査法人にも不正監査がないわけではないが、中央青山に問題監査が集中した原因は、巨大な会計事務所をつくる過程での組織づくりにあった」
監査法人の動向に詳しい金融関係者は当時、こう指摘した。
「監査法人は、組織のなかに個人の会計事務所が多数あるようなものだ。なかでも中央青山は公認会計士を取り込むにあたり、彼らの独立性を最大限に認めた。代表社員をトップにした数人のチームが企業の監査に当たるが、その内容や手法は代表社員に任せっきりで、内部で厳しくチェックされることはなかった。同じフロアで仕事をしながら、他の会計士がカネボウや日興、三洋電機の監査はおかしいと思っても、口出しができないような組織になっていた。自分の顧客に口を出させない代わりに、他の顧客のことにも口を出さない。
代表社員は少数の顧客を長年担当するから、心情的にも顧客を守る立場になる。専門知識を生かして粉飾の手ほどきをする会計士が出てくるのも自然の成り行きだった。中央青山は組織としては巨大になったが、代表社員のサジ加減ひとつで、すべてが決まる体質を温存してきた。まさに党中党。それで問題監査が集中的に現れた」
もともと監査法人は、先輩会計士を中心としてひとつの監査チームをつくることから閉鎖性が強い。そのうえ、合併を繰り返してきたため、旧会計事務所の公認会計士たちの相互の交流はほとんどなかった。自分を守るために、見て見ぬふりする相互不可侵条約が暗黙のうちにできあがり、チェック機能が喪失してしまったのである。
ちなみに中央青山がカネボウの粉飾決算をめぐり06年5月に業務停止処分を下され、中央青山から独立するかたちで発足したのが、東芝の現監査法人であり、同社の16年4~12月期決算について監査法人の「意見不表明」というかたちでの発表に追い込んだPwCあらた有限責任監査法人である。
(文=編集部)