鉄道のブレーキ、空気を抜いて止める?複雑で難操作の「自動空気ブレーキ装置」採用の理由
新型コロナウイルスの感染対策について、Go Toトラベル事業のような経済振興策を自動車のアクセル、緊急事態宣言や自粛を同じくブレーキにそれぞれたとえる見方が目立つ。「アクセルが大事だ」「いやブレーキだ」「アクセルとブレーキとを同時に踏んでいる」と識者の意見はさまざまだ。
アクセルとブレーキとは何だろうか。前者は正確にはアクセラレーターという加速装置で、アクセルペダルを踏むと気化器の絞り弁が開いてエンジンの回転数が増して、出力が向上する。後者はよく知られているように、速度を下げたり停止させる装置で、ブレーキペダルを踏んだ力が油圧や空気圧に変えられ、車輪やブレーキディスクを摩擦力で押さえていく。
当然のことながら鉄道車両にもアクセルやブレーキの役割を果たす装置は存在する。鉄道車両ではアクセルに相当するものは主幹制御器(しゅかんせいぎょき)、鉄道関係者の多くは英語名のマスターコントローラーを略してマスコンといい、ブレーキに相当するものはやはりブレーキという。どちらも手で操作するハンドルまたは弁で、ペダルではない。鉄道車両のなかには運転士の足元に小ぶりなペダルを備えたものもある。けれども、このペダルを踏んでも車両は進みもしなければ止まりもしない。気笛が鳴るだけだ。
マスコンとブレーキとでは前者のほうが一般にはなじみが薄い。だが、マスコンはアクセルのように、モーターやディーゼルエンジンの回転数を高めたり出力を上げる指令を出す装置なので、一度説明すれば理解していただけるであろう。一方でブレーキは鉄道車両独特の考え方や仕組みがあって結構理解しづらい。
案外知られていない点として、鉄道車両はよほど特殊なものでない限り、車輪やブレーキディスクを押さえて摩擦力で止めるブレーキを必ず装着している。筆者は先日、ある第三セクター鉄道を取り上げたテレビ番組に出演し、現地で解説役を仰せつかった。進行役のアナウンサーさんに鉄道車両のブレーキについて説明する機会があり、動力の付いていない客車や貨車の1両1両にまでブレーキが付いていると説明したところ、たいそう驚かれたことが印象に残っている。
とはいえ、このアナウンサーさんをあざ笑いたくてこの話を紹介したのではない。実際にかつては鉄道車両の一部、おおむね動力装置を搭載した車両にしかブレーキは装着されていなかった。特に、機関車に引っ張られる貨車の場合、荷を載せて重くなった車両を適切に止めるブレーキの開発が遅れたこともあり、いまのJRの前身の国有鉄道ですべての貨車がブレーキ付きとなったのは1933(昭和8)年のことだ。
それまでは貨車を連ねた貨物列車の一部にブレーキ付きの貨車を連結し、停止の際には貨車の先頭に立つ機関車の気笛の合図に合わせて車掌がてこを下げたり、ハンドルを回したりしてブレーキをかけるという運転方法が採用されていた。このような状態で長い下り坂を降りて行くとブレーキが効かない恐れが強い。そこで、頂上となる場所でいったん止まり、ブレーキ付きの貨車には片っ端からブレーキをかけて固定し、できる限りスピードを上げないよう恐る恐る走っていたという。
今日、鉄道車両に搭載された摩擦力を用いるブレーキのほとんどはコンプレッサーでつくられた圧縮空気を用いた空気ブレーキである。先頭の車両から最後尾の車両まで圧縮空気を送る管を通しておき、コンプレッサーを備えた車両から各車両のブレーキシリンダに圧縮空気が供給されている結果、ブレーキシューが車輪、ディスクを押さえつけて強いブレーキが効く。ここまではトラックのエアブレーキと同じ原理なので別に鉄道車両独自の仕組みではない。
トラックと正反対
鉄道車両の空気ブレーキがトラックと違っているのは、ブレーキをかけるときの管と圧縮空気との関係だ。トラックの場合、ブレーキをかけていないときは管は空洞で、ブレーキをかけるときは管に圧縮空気を一気に送ってブレーキシリンダを動かす。JRや私鉄、地下鉄の電車の大多数にはこのような仕組みも採用されているが、鉄道の世界では例外で、基本的にはその反対である。普段は管に圧縮空気が充填されていて、ブレーキをかけるときには管から空気を抜くのだ。
コンプレッサーから供給された圧縮空気は管を通じて各車両の空気タンクに結ばれている。運転室のブレーキハンドルまたはブレーキ弁を操作して管から圧縮空気を抜くと、各車両の空気タンクにためられた圧縮空気が圧力を保とうと管へと逆流していく。そのとき、逆流した圧縮空気が各車両に取り付けられた三圧力式制御弁と呼ばれる弁装置を通ると流れが変わり、管ではなくブレーキシリンダへと送られてブレーキが効くのである。このような仕組みを自動空気ブレーキ装置という。
自動車のブレーキはペダルを踏んだ力に応じて効き目が変わるが、自動空気ブレーキ装置の効き目は空気の抜き方、それから抜いた時間で変わるので調節が難しい。特に重い貨物列車の自動ブレーキ装置を作動させるのは今日でも至難の業だ。JR貨物は機関車の運転士の養成に際し、貨物列車を停止させるという試験項目を設けており、本来の停止位置からのずれが前後5m以内であれば減点しないという。大都市の通勤電車が停止位置から5mもずれてしまってはホームドアから外れてしまうなどよろしくない。自動ブレーキ装置で貨物列車を停めることがいかに難しいかがわかるであろう。
列車が分離すると、全車両に自動的にブレーキ
仕組みも複雑で操作も難しい自動空気ブレーキ装置がなぜ採用されているかは、もちろん理由がある。万一連結器が壊れるなどして列車が分離したときでも車両同士に結ばれた管が切れて即座にすべての車両に自動的にブレーキがかかって停止できるからだ。この作用から自動空気ブレーキ装置と名付けられたのである。
先ほど電車の大多数のブレーキは管に圧縮空気を送ると効くと記した。列車が分離したときには危険ではないかと思いたくなるが、もちろん対策は施されていて、予備のブレーキとして自動空気ブレーキ装置を搭載している。近年の主流は予備の自動空気ブレーキ装置ではなく、先頭車両から最後尾の車両まで電線を通し、普段は電気を供給して各車両の空気タンクのふたを電気の力で閉じておき、停電、つまり電線が切れたらふたが開いてブレーキシリンダへと圧縮空気が供給されるという仕組みだ。列車が分離したときに電線だけ切れないことなどありえないから心配はない。
余談だが、筆者は鉄道にあまり詳しくない人に自動空気ブレーキ装置の仕組みを説明したことがある。そのときに引き合いに出したのが『カサンドラ・クロス』(1976年、イタリア・イギリス合作)という映画だ。
古い映画なのでオチを話してしまおう。老朽化著しく、列車が通るだけで崩壊確実なカサンドラ・クロスという鉄橋に向けて疾走する列車に乗った人たちがなんとか助かろうと、連結器を操作して客車を切り離す。切り離された客車に乗っていた人たちは手動のブレーキをかけて間一髪助かり、高速で走行したままの機関車、それに残りの客車はそのままカサンドラ・クロスに到達して鉄橋から転落してしまう――。
この映画に登場する列車はスイスのジュネーブ発、スウェーデンのストックホルム行きで、年代は不明ながら映画が制作された1970年代が舞台と考えられる。ヨーロッパの鉄道でもこの頃にはいうまでもなく自動ブレーキ装置が採用されているので、映画で起きたことは現実には起こり得ない。切り離された客車は手動でブレーキをかけるまでもなく自動的に停車するし、疾走したままの機関車や客車もやはり勝手にブレーキが作動するからだ。そのあたりの批判を避けるためか、連結器はカサンドラ・クロスに差しかかった地点で切り離されていて、自動空気ブレーキ装置が作動しても間に合わない想定となっていた。でも、客車を切り離した瞬間にブレーキがかかった様子は見られなかったから、やはり即座に自動空気ブレーキ装置が作動すると映画の展開上都合が悪かったのであろう――。という一部始終をその人に話したところ、後日連絡があり、それはそれとして映画は面白かったという。
ちなみに、『カサンドラ・クロス』に登場する列車が老朽化した鉄橋に向かっていた理由は、列車を乗っ取ったテロリストを列車ごと抹殺するためだ。これだけでも恐いが、加えてテロリストは極秘に研究されていた兵器用の細菌に感染していた。感染の事実を隠すために大勢の乗客、乗務員を巻き添えにしてもやむを得ないという考え方はいかにも冷戦下の世相を反映していて興味深い。と同時にコロナ禍のいまにも通じる恐ろしさがある。ブレーキの話からそれてきたのでここまでとしよう。
鉄道車両には、もう一つ別の種類のブレーキがある。摩擦力に頼らないブレーキだ。こちらは次回取り上げたい。
(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)