今回取り上げる題材は、鉄道の世界で日常的に存在しながら、実際には見えないものについてである。といっても夏に付きものの怪談話をしようというのではなく、本当に目に見えない電気に関する話を取り上げたい。
鉄道についての文章の執筆を生業としている筆者(梅原淳)にとって、説明に最も苦労する分野は電気についてである。たとえば、線路の上空に張りめぐらされている架線を流れている電気はどういうもので、どこから来たのかとか、電車のモーターにどのように電気が供給されるのかといった内容だ。
火花でも飛んでいれば別だが、通常は電気そのものは目に見えないので、視覚情報を加えて説明することは不可能に近い。鉄道にとって重要な設備、装置とはいうものの、端から見れば架線は単なる電線で、モーターも軸が突き出したただの箱である。これらがどのように作動しているのかを大汗をかいて記述しても、読者からは「わからなかった」という声が寄せられがちだ。筆者の筆力不足を棚に上げて言うのも恐縮ながら、とにもかくにも苦労が報われづらい分野である。
鉄道と関連の深い電気の設備、装置のなかで一般にもなじみの深いものはパンタグラフだ。この言葉を辞書で調べると、第一義は製図用の器具というケースが多い。けれども、大多数の人はこのパンタグラフを見た機会はないであろう。かくいう筆者もその一人だ。
鉄道でいうパンタグラフとは、架線から電気を取り入れるための装置を指す。電車や電気機関車の屋根に取り付けられており、一般には菱形のものがよく知られている。子どもたちに電車の絵を描いてもらうと、パンタグラフが車両の屋根の上にいくつも並んでいて微笑ましい。
パンタグラフは大きく分けると、枠組の部分とその上に載せられた集電舟(しゅうでんしゅう)という部分とで成り立っている。枠組とは、2本の金属の棒をほぼ真ん中のところでちょうつがい状のヒンジでつないだものを指す。この棒は屋根から架線に向かって1本または2本が上下に延ばされ、2本の場合は左右方向にも補強の棒を入れて組み立てられる。集電舟とは文字どおり小舟のような部材だ。小舟を逆さまにしたような形で架線と接している。
よいパンタグラフとは、走行中の車両が上下左右にいかに振動しようと、架線から離れないものだ。上下方向の揺れに対しては枠組のヒンジが伸縮して対応し、左右方向の揺れに対しては集電舟が面で架線に触れていて対処している。
シングルアーム式パンタグラフの登場
ところで、近年のパンタグラフのなかには菱形ではないものも増えてきた。菱形を半分にした「く」の字状のパンタグラフで、シングルアーム式パンタグラフ(以下、シングルアーム式)という。新幹線では大半がこのシングルアーム式で、また大都市の通勤電車を中心に搭載されるようになった。
菱形のパンタグラフもそう大きな欠点はない。そのうえでシングルアーム式パンタグラフには菱形をも上回る利点をもつ。
まずは、なんといっても部材が少なくなるという点だ。菱形のパンタグラフはほぼすべてが棒を枠に組み立てて構成されるが、シングルアーム式は棒で構成されている。もともと菱形の片方だけという形状のうえ、基本的に棒状であるので、さらに使用する部品が減ってコストの削減に結びつく。新幹線の場合、パンタグラフが風を切る音を減らすにはできる限りパンタグラフを小さくし、部品も少ないほうがよいのでシングルアーム式は好都合だ。
ほかにもある。パンタグラフは土台となる台枠やヒンジのばねで架線に向かって上がる力を調節しているなか、シングルアーム式は菱形のものと比べると軽いので、より強い力で架線に接触することが可能だ。おかげで集電舟に雪が積もってパンタグラフが架線から離れてしまうというトラブルが減った。
それから、折りたたんだときの寸法はシングルアーム式のほうが菱形のものよりも小さい。この結果、所狭しと機器を屋根に積んだ車両にとってはシングルアーム式はなくてはならないものとなった。
パンタグラフの役割
筆者が長年知らなかっただけかもしれないが、菱形のものでもシングルアーム式でもパンタグラフについては案外知られていない点がまだ残されている。その一つはパンタグラフが架線から取り込んだ電気はどこを流れているかだ。集電舟から屋根までのどこを見ても電線のようなものはない。それもそのはずで、電気はパンタグラフの本体をそのまま流れているのだ。台枠には電線が接続されており、ここから電気は床下に取り付けられた機器へと向かう。なお、台枠から車体に電気が直接流れては大変危険なので、街中の電柱でもよく見かける碍子でしっかり絶縁された。
もう一つはシングルアーム式の構造だ。先ほど棒状の部材で組み立てられていると記したけれど、実は出っ張った側にやや細めの棒が支えのように取り付けられたものも多い。こちらは車両がシングルアーム式のとがった方向に進むときに必要なもので、支えとなる棒がないと枠組、集電舟もろとも架線に押されて車両が進む方向とは反対向きに倒れてしまう。ただし、新幹線用のシングルアーム式では騒音を減らすためにこの棒も省かれており、台枠の部分だけで枠組を支えている。
最後はパンタグラフの役割だ。実をいうと、パンタグラフは架線から電気を取り込むだけではない。逆に電車や電気機関車から架線に電気を送る役割も果たす。これは電力回生ブレーキと呼ばれるシステムで、新幹線はすべて、大都市圏の通勤電車の大多数で採用された。電力回生ブレーキのブレーキ力はモーターを発電機として作動させた際に生じる強い抵抗力から得られる。そして、モーターが発電した電力はパンタグラフを通じて架線へと戻され、他の電車や電気機関車の加速に使われるのだ。
路面電車に装着されたパンタグラフは信号の表示やポイントと呼ばれる分岐器の進路を切り替える役割も果たす。架線にトロリーコンタクターという棒状のスイッチを取り付けておき、パンタグラフがトロリーコンタクターに触れるとスイッチが入る仕組みだ。
パンタグラフについてはまだ説明したいことがあるが、次第に扱っているものが見えない電気となってきた。このような状態が続いては、読まれる側も辟易としてしまうであろう。ここでお開きとしたい。
(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)