当欄前回の『鉄道の車輪、なぜ外側は内側より少し小さい? レールに触れる部分の幅はたった65mm?』はおかげさまで多くの方にお読みいただいた。御礼を申し上げるとともに、時節柄軽い内容が好まれるのだと感じ入った次第だ。そこで今回もあまり重くない鉄道の話を紹介しよう。
筆者は職業柄、鉄道に関する疑問に回答する機会がある。鉄道の車両はなぜレールの上を走っているのかという質問、それから鉄道はどのようにして誕生したのかという質問は結構多い。2つの質問に関連はないように見えるが、実は深いつながりがあり、そして鉄道の特性をよくとらえていると筆者は考える。読者各位にも参考になると思われるので紹介しよう。
今日の鉄道にはさまざまな種類のものが見られる。そうしたなか、国内で一番多いのはやはり鋼鉄製のレールの上を鋼鉄製の車輪を装着した車両が走る一般的な形態の鉄道だ。国内では2019年3月31日現在で延べ3万5900.1kmの区間で鉄道の営業が行われているなか、レールが敷かれている鉄道は3万5611.7kmあり、全体の99.2パーセントを占める。残る288.4km、0.8パーセントは何かというと、ゴムタイヤを装着した車両が鋼鉄製やコンクリート製の軌道を走るゴムタイヤ式地下鉄やモノレール、新交通システム、トロリーバス、それから磁石の力で浮き上がりながら前に進む磁気浮上式鉄道だ。
レールが敷かれた鉄道はさまざまな利点をもつ。なかでも最大のものは、レールと車輪との間の摩擦が少ないため、比較的小さな力で車両を移動させられるという点であろう。
JR貨物は貨物と貨車とを合わせた重さで最大1380トンの貨物列車を運転している。牽引している機関車のうち、同社のEH200形という電気機関車は強力仕様で、8基装着されたモーターの出力は合わせて4520kWだ。三菱ふそうバス・トラックが製造しているトレーラー牽引用のトラクターを見ると、最も出力の大きいもので338kWだというから13倍あまりにも達する。
いま挙げたEH200形がどのくらいの重さのものを動かせるのかという指標を引張力(ひっぱりりょく)という。この機関車の引張力は271.8キロニュートンで、換算すると2万7716重量キログラムとなる。単純に言うと、27.7トン余りの物質を引っ張る力をもつという意味だ。つまり、EH200形が備えている引張力は貨物列車の重さである1380トンのわずか50分の1に過ぎない。
EH200形がなぜこれだけ小さな引張力しか持っていないかという理由は一言で言える。レールと車輪との間に生じる摩擦が小さいため、少ない力で貨物列車を引くことができるのだ。
鉄道の車両が平坦なレールの上を時速20kmで走行しているときに生じる走行抵抗は車両の重さ1トン当たり9.8ニュートン程度だという。EH200形が引く最も重い貨物列車の重さは1380トン、EH200形自体の重さは134.4トンと合わせて1514.4トンだから時速20kmでの走行抵抗は1万4851ニュートンとなり、換算すると約15キロニュートンだ。実を言うと、1380トンの貨物列車の最高速度である時速95kmでも40キロニュートンで、EH200形が備えている271.8キロニュートンの15パーセントほどしか使わなくてもよい。
ちなみに、271.8キロニュートンというEH200形の引張力を使い切る場所は存在する。上り坂だ。20パーミルの上りこう配と言って、水平に1000m進んだら標高が20m高くなる坂道で、合わせて1514.4トンの列車に生じるこう配抵抗は297キロニュートンで、EH200形の引張力を超えてしまう。このような場合、上り坂が1km程度の短い距離であればモーターに無理をさせて上りきってしまうし、長々と続く場合は牽引する貨車の重さを減らして対処している。
鉄道はなぜ誕生したのか
それでは、鉄道はなぜ誕生したのかに話を進めよう。レールの上を走る鉄道の原型は、馬が鉄の車輪付きの馬車を引く馬車鉄道、それから炭鉱内で使われていた手押しのトロッコ鉄道だと考えられている。どちらも18世紀後半にイギリスで起きた産業革命で必要に迫られて誕生した。
馬車にしてもトロッコにしても産業革命よりもはるか前から存在している。しかし、木の車輪の外側に鉄の輪をはめた車輪で舗装されていない道を走らせるのは大変だ。何しろ走行抵抗が大きいので、一度に運べる量は少ないし、スピードも出せない。
「ゴムタイヤの車輪を採用すればよいのでは」と考えたくなる。実はゴムタイヤが実用化されたのは1867年で、しかも最初は単にゴムを木の車輪の外側に張り付けただけであった。今日見られる空気入りのゴムタイヤが普及したのは20世紀に入ってからである。
これに対し、馬車鉄道やレールを走るトロッコは蒸気機関車の発明によっていち早く進化を遂げ、1825年にはイギリスで世界初の鉄道が誕生した。蒸気機関車はもともと出力が小さく、創生期であればなおさらであろう。当時の蒸気機関車の出力はEH200形の半分どころか100kWに達していたかどうかも疑わしい。にもかかわらず、実用的な交通機関として世界中に普及したのは走行抵抗が少ないというレールの鉄道の特性を最大限に生かしたからだ。
歴史に“もしも”はないというが、それでも空気入りのゴムタイヤが鉄道よりも先に誕生していたらどうなっていたであろうか。先ほど、鉄道の車両がレールの上を時速20kmで走ったときの走行抵抗は車両1両当たり9.8ニュートンであったことをもう一度思い出していただきたい。同じ条件で舗装された道路を走る自動車の走行抵抗は重さ1トン当たり98ニュートンほどだそうだ。さらに、舗装されていない道を走るときの走行抵抗は重さ1トン当たりなんと784ニュートンほどである。この数値だけでも鉄道の発展は必然であったと理解してもらえるであろうが、さらに続けよう。
レールの上を走る鉄道の特性
これまた先ほど紹介した出力338kWのトレーラー牽引用のトラクターは基本的には牽引可能な重さが18トンで、トラクター自体の重さが9.2トンなので合わせて27.2トンだ。ということは未舗装路を時速20kmで走らせたときの走行抵抗は21キロニュートンで、同じ速度で走るEH200形よりも6キロニュートン分も上回る。それでいて引くことのできる重さは18トンと1380トンに比べれば1.3パーセントに過ぎない。
仮にゴムタイヤが19世紀初めに実用化されていたとしても、いまのように強力なエンジンや舗装された道路がなければ自動車は使い物にならなかったであろう。小さな力で多くのものを動かせる鉄道の特性があったこそ、19世紀初めから陸の王者として君臨できたのだ。
蛇足ながら、レールの上を走る鉄道の特性をわかりやすいように身近なものにたとえると、アルミサッシの窓が挙げられる。アルミサッシの窓の開け閉めを力の弱い人でも容易に行えるのは、窓に戸車が付いていて、まさにレールの上を動いているからにほかならない。
昔の窓はいまのようなアルミサッシではなく、木の枠にガラスが取り付けられていた。窓は敷居の上に直接載っていて、開け閉めしやすかったという記憶は少なくとも筆者にはない。大体途中で引っかかり、一度押したり引いたりして窓をなんとかして動かしたものだ。
19世紀初めの人たちが木の車輪に鉄の輪がはめ込まれた車輪が付いた馬車やトロッコに対して抱いた感情は、開け閉めしづらい木の枠の窓と似通っているであろう。だからこそ、レールに活路を見いだし、鉄道が隆盛を迎えたのである。
(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)