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梅原淳「たかが鉄道、されど鉄道」

電車はブレーキをかけてから何mで停止できる?新幹線は?列車脱線事故の京浜急行電鉄は?

文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト
電車はブレーキをかけてから何mで停止できる?新幹線は?列車脱線事故の京浜急行電鉄は?の画像1
京急線がトラックと衝突、脱線(写真:AFP/アフロ)

 2019年の秋は台風が立て続けに日本列島を襲い、各地で鉄道も被害を受けた。このような状況であるため、9月5日に京浜急行電鉄本線の神奈川新町駅近くの踏切で起きた列車脱線事故は忘れられているかもしれない。

 この事故は、神奈川新町駅に近い神奈川新町第一踏切内に立ち往生したトラックに三崎口行きの快特列車が衝突し、この列車の1両目から3両目までが脱線したというものだ。大変不幸なことにトラックの運転手が亡くなり、快特列車の運転士と乗客34人とが軽傷を負った。

 今回の事故では、トラックの運転手は踏切に設置されていた踏切支障報知装置の非常ボタンを押したのだという。にもかかわらず、列車とトラックとが衝突してしまった。一体なぜかは今後の調査を待つとして、踏切支障報知装置の仕組みを簡単に説明しよう。

 踏切支障報知装置を作動させると、近隣を走行する列車に対して自動的に停止信号を示す。停止信号は通常用いている信号機ではなく、特殊信号発光機といって踏切支障報知装置専用の信号機に表示、正確には「現に示されている信号の指示」を意味する用語で「現示」される。

 現示の仕方はJRや私鉄各社で異なっており、この踏切の場合は円形の信号機に正方形状に4灯設置された赤色灯が一斉に点灯と消灯とを繰り返す。特殊信号発光機が示す停止信号は、大変目立ち、どのような天候でも運転士が見逃すことはまずない。

 いま挙げた踏切支障報知装置も万能ではない。非常ボタンを押すタイミングが踏切の遮断機が降りた直後であればともかく、時間が経過してしまうと列車はその分踏切に近づいてしまい、ブレーキを作動させても停止できない確率が高まるからだ。鋼鉄製のレールの上をこれまた鋼鉄製の車輪を装着した車両という一般的な形態の鉄道は摩擦が少ないので、ブレーキを作動させてから停止するまでの距離はゴムタイヤの車両と比べてとても長い。時速100kmで走行していた自動車が停止するまでの距離は200mもあれば十分であろうが、一般的な形態の鉄道の車両はその何倍も走ってしまう。

停止距離を求める計算式

 鋼鉄製の車輪を履いた鉄道の車両が停止するまでの距離はいかほどなのか。計算式に基づいて求められるので紹介したい。出典は『鉄道電気技術者のための信号概論 閉そく装置』(日本鉄道電気技術協会、2008年4月)という鉄道関係者向けの教科書の29ページである。一般の図書館はおろか、国立国会図書館ですら閲覧できないので、引用する価値は高いかもしれない。

 同書によると、列車がブレーキを作動させて停止するまでの距離S(m)の計算式は次のとおりだ。

・S=V1の二乗-V2の二乗÷7.2×(β+θ÷K)+t×V1÷3.6

 V1は初速度(km/h)、V2は終速度(km/h)、tは空走時間(秒)、βは減速度(km/h/s)、θは勾配(パーミル)、Kは係数で電車による列車は31、機関車に牽引される客車による列車は30。

 いま挙げた計算式や条件をいくつか補足しよう。βで使用するkm/h/sという単位はキロメートル毎時毎秒と読み、1秒間に時速何km分減速するかを表したものだ。現在一般的に用いられている減速度の単位であるm/sの二乗(メートル毎秒毎秒)との関係は、1km/h/sが約0.278m/sの二乗、1m/sの二乗が約3.6km/h/sとなる。

 tの空走時間とは、運転士がブレーキハンドルを操作してから実際にブレーキが利くまでの時間を指す。全国の鉄道車両の中で最も数の多い電車の場合、新形式は2秒、旧形式は4秒だ。JRや大手私鉄、地下鉄の電車はすべて新形式と考えてよいので、空走時間は2秒となる。

 なお、電車以外の車両の場合、空走時間はさらに長い。客車による列車では機関車を含めた両数が5両で6秒、10両で8秒、15両で11.3秒となる。ディーゼルカーによる列車の場合は利き目の早い電磁式のブレーキを備えていると4秒、そうでないと客車による列車と同じと見なす。

 貨車による列車は機関車を含めた両数が25両で6.3秒、30両で7秒だ。ちなみに、貨物列車1本当たりの車両の数は機関車1両にコンテナ車であればたいていは20、24、26両のいずれか、タンク車であれば最大23両となる。

 勾配とは線路の傾きの度合いで、水平距離1000mに対する高低差の比率をパーミルという。上り坂は正の数、下り坂は負の数でそれぞれ表す。

 細かなことだが、同書には係数は電車による列車、そして客車の列車の係数しか掲載されていない。恐らく、ディーゼルカーによる列車は電車による列車と同じ、貨車による列車は客車による列車と同じかさらに少なく、つまり停止までの距離が延びるとして29程度と推測される。

京浜急行電鉄の列車脱線事故での停止までの距離は

 それでは今回の列車脱線事故では電車が停止するまで、いったいどのくらいの距離が必要であったのかを求めてみよう。

 まずは初速度V1は京浜急行電鉄本線の最高速度が時速120kmで、快特という通過主体の列車であったことから時速120km、終速度V2は停止している状態であるから時速0kmである。空走時間tは2秒で、減速度βは全ブレーキといって通常用いるブレーキのなかで最も強いもので4.0km/h/s、文字どおり非常時に作動させる非常ブレーキでは4.5km/h/sだ。神奈川新町駅とその周囲は平坦区間であるので、勾配θは0パーミルで、係数Kは31である。

 以上から、停止までの距離は通常用いているブレーキでは566.7m、非常ブレーキでは511.1mだ。

 京浜急行電鉄によると、神奈川新町第一踏切に対する特殊信号発光機は10m手前、130m手前、340m手前と3カ所に設置されているという。これらの信号機に現示されていた発光信号を運転士が信号機の真下で気が付いたのではトラックとの衝突は避けられない。しかし、先に述べたように発光信号は大変目立つので、仮に快特列車が非常ブレーキを作動させたと考えれば、10m手前の信号機は501.1m以上手前、130m手前の信号機は381.1m手前、340m手前の信号機は171.1m以上手前でそれぞれ確認できればよいこととなる。

 特殊信号発光機がどの段階で発光信号を現示し、快特列車の運転士が果たしてどの位置からブレーキを作動させたのかは国が設置した運輸安全委員会の調査結果を待ちたいので、この話はここまでにしたい。

停止するまでの距離は列車によってさまざま

 それでは、いま紹介した計算式をもとに、全国の主な列車が停止するまでの距離を算出してみよう。

 まずは京浜急行電鉄の快特列車のような電車の列車だ。JR東日本の山手線で使用されているE235系という電車の減速度βは全ブレーキ、非常ブレーキの区別はなく4.2km/h/Sである。山手線は駅と駅との間が近いので、列車のスピードは最高で時速90kmほどであろうから、この速度から停止するまでの距離を求めた。答えは317.9mである。

 山手線の電車に乗って東京の都心部を一周してみると、案外坂が多いことに気づく。なかでも西日暮里駅から田端駅にかけては短い距離ながら34パーミルという下り坂になっていて、山手線の電車が出合う勾配としては最も急だ。

 仮に34パーミルの下り坂を時速90kmで走行中にブレーキを作動させた場合、いったいどのくらいの距離で停止するであろうか。勾配θをマイナス34パーミルとして計算すると、421.5mとなる。つまり、山手線の電車が34パーミルでの下り坂で時速90kmからブレーキを作動させた場合、停止までの距離は平坦区間と比べると103.6m延びてしまう。

 続いて、近年は見かける機会が極めて少ない客車による列車だ。筆者は2019年7月に大井川鐵道に赴き、2両の蒸気機関車が5両の客車の前後に連結されて牽引と推進とを担う列車に試乗した。車両の数が合わせて7両となるこの列車が時速60kmで走行中にブレーキを作動させたとして、停止するまでの距離を求めてみよう。

 客車による列車の場合、車両が7両のときの空走時間tは6.6秒となる。蒸気機関車の減速度βは大井川鐵道によると1.5km/h/だという。結果は443.3mとなった。時速90kmで走行していた山手線の電車が34パーミルの下り坂でブレーキを作動させたときよりも、停止するまでの距離は長い。

 貨車による列車が停止するまでの距離はどのくらいであろうか。JR貨物はコンテナを積んだ貨車を連ねた貨物列車の速度は最高で時速110kmで、このとき機関車は1両、コンテナ車は最多で24両の合わせて25両連結して運転している。ところが、貨車を牽引する機関車の減速度は同社から公表されていない。運輸安全委員会が過去に起きた事故を調査した際にDE10形というディーゼル機関車が非常ブレーキを作動させたときの減速度を調べたところ、約3.6km/h/sであったそうなので、この数値を使用した。

 空走時間tは6.3秒、係数Kは客車による列車と同じ30として、時速110kmから非常ブレーキを作動させて停止するまでの距離は659.3mである。

 最後に時速320kmと国内で最も速いスピードで走行するJR東日本のE5系・E6系、JR北海道のH5系の各新幹線電車による列車が停止するまでの距離を求めてみよう。実を言うと、E5系・E6系・H5系に限らず、新幹線の車両は最高速度からの減速度βが一定ではないので、計算式に当てはめづらい。というのも、時速200kmを超える速度から一気に最大の力でブレーキを作動させても、車輪がスリップするだけで列車はなかなか止まらないからだ。そこで、車輪がスリップしないよう、速度が高いうちは弱いブレーキをかけ、速度が落ちるにしたがってブレーキを強めるパターン制御が採用された。

 という次第でE5系・E6系・H5系の減速度は時速320kmのとき、全ブレーキでは1.3km/h/s程度、非常ブレーキでは2.1km/h/s程度で、減速度が最大となるのは時速70km以下のときで前者が2.7km/h/s程度、後者が4km/h/s程度となる。

 参考までに時速320kmのときの減速度を当てはめて停止までの距離を計算してみた。E5系・E6系・H5系の場合、全ブレーキでは1万1117.9m、非常ブレーキでは6950.3mとなる。さすがに長い。

 JR東日本によると、実際には時速320kmから非常ブレーキを作動させると停止までの距離は4000m弱だという。減速度を最大の4km/h/sとすると、停止までの距離は3733.3mで、3.8km/h/sでも4000m弱と呼べる3920.5mだ。パターン制御で得られる実質的な減速度は案外大きいことに驚く。

(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)

梅原淳/鉄道ジャーナリスト

梅原淳/鉄道ジャーナリスト

1965(昭和40)年生まれ。大学卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行し、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。『新幹線を運行する技術』(SBクリエイティブ)、『JRは生き残れるのか』(洋泉社)、『電車たちの「第二の人生」』(交通新聞社)をはじめ著書多数。また、雑誌やWEB媒体への寄稿のほか、講義・講演やテレビ・ラジオ・新聞等での解説、コメントも行っており、NHKラジオ第1の「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。
http://www.umehara-train.com/

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