“ガラケー”を生み出した通信行政の失敗
2000年代初め、国内の携帯電話メーカーは10社を超えていたが、まず三菱電機が撤退。日本電気(NEC)はカシオ計算機・日立製作所と統合したが、やはり姿を消した。パナソニックは国内スマホから手を引いた。そして今回、富士通は東芝と統合した事業を売却することになった。残るはソニーモバイルコミュニケーションズ、シャープ、三洋電機の携帯電話事業を買収した京セラの3社だけとなった。
まさに“死屍累々”の惨状といえる。日本の携帯電話は、国内独自のソフトや機能を搭載して「ガラパゴスケータイ(ガラケー)」と呼ばれた。ガラパゴス諸島に生息する動物は、外部と隔離され独自に進化を遂げたが、日本の携帯電話も同様に世界標準を無視した独自の規格を取り入れたことから、ガラケーと揶揄されたのだ。
総務省が国内の通信会社を保護するために、日本以外では使えない周波数を割り当てたことがガラケーを生んだ要因だ。電機メーカーは、その規格に基づき端末をつくった。世界でも美しい携帯端末ではあったが、悲しいことに、どこにも輸出できない国内限定製品となった。
1970年代の「日本株式会社」と呼ばれた産業政策の成功体験が忘れられないのか、ことあるごとに官僚は介入してくる。だが、官僚が介入してうまくいったケースはほとんどない。
シャープの再建問題、東芝メモリの売却問題しかり。日本の携帯電話が海外で敗北したのは、日本でしか使えない周波数を総務省が割り当てたのが最大の元凶だが、もうひとつの原因は、日本のメーカーがスマホ開発に出遅れたことだ。
2000年代初頭のガラケーの全盛期には、国内の携帯電話市場は9割超が国産だった。だが、米アップルが07年にアイフォーンを米国で発売すると市場は一変した。あっという間にガラケーはスマホに駆逐された。
日本勢がスマホを本格的に投入したのは11年以降だ。その時には、すでに勝負がついており、雪崩を打って撤退するしかなかった。
世界市場では、アップルと韓国サムスン電子の2強が競っている。MM総研の調査によると、16年の国内出荷シェアはアップルが43.5%で断トツ。2位のソニーモバイルコミュニケーションズでも12.5%にとどまる。以下、シャープ10.0%、京セラ9.7%と続き、富士通は5位の8.0%。国内でこの程度のシェアでは、当然、海外ではまったく太刀打ちできない。実際に、富士通の世界シェアは3%にも満たない。
富士通の退場後、残る国産スマホメーカーも、果たして生き残れるか予断を許さない。国内でアップルの寡占化が進むのは間違いないだろう。
(文=編集部)