財務省と内閣府が3月12日に発表した今年1~3月期の法人企業景気予測調査によれば、大企業全産業の景況判断指数はマイナス4.5となった。マイナスになったのは3四半期ぶりである。新型コロナウイルス(以下、コロナ)感染拡大による緊急事態宣言の再発令により、宿泊業や飲食業などサービス業の景況感が悪化し、全体を押し下げた。新型コロナウイルスがなかなか終息しないことが日本経済の回復に足かせとなっているが、世界でも同様の状況となっている。
コロナによる世界全体の死者数は、アジア風邪(1957年、約200万人)や香港風邪(68年、約100万人)を抜き、戦後最大となった(264万人、3月13日時点)が、注目すべきは経済に対する悪影響の大きさである。経済協力開発機構(OECD)は2020年9月、「20年の世界経済はマイナス4.5%になる」との見通しを示した。パンデミック前の成長見通しが3%台のプラスだったことから、世界のGDPに対する下押し圧力はマイナス7.5%以上になる。
世界銀行によれば、アジア風邪の世界のGDPに対する下押し圧力はマイナス2%、香港風邪はマイナス0.7%である。1918年から20年にかけて世界全体で5000万以上の死者を出したスペイン風邪のGDPに対する下押し圧力ですらマイナス4.8%にすぎない。このことからコロナは、過去100年で最大の経済的損失をもたらす感染症であることがわかるが、なぜこのような大きな経済的な損害が発生したのだろうか。
健康被害と経済被害は連動しない?
スペイン風邪の場合、世界の労働力人口が減少したことでGDPが落ち込み、モノ不足によるインフレが発生した。今回のパンデミックでも当初は同様の懸念が示されたが、現在までこのような現象は起きていない。健康被害の大きい国では労働力の毀損も大きく、経済被害も大きいはずだが、死者数で30倍の開きがあるにもかかわらず、米国(マイナス6.36%)と日本(マイナス5.96%)の昨年のGDP損失はほとんど差がない。コロナのパンデミックでは健康被害と経済被害は連動していないのである(3月9日付日本経済新聞)。
供給サイドでなければ需要サイドに原因があることになる。「政府によるロックダウン(都市封鎖)で外出できなくなり、サービス業への需要が落ち込んだ」と考えがちだが、最近の研究はこの見方を否定している。強い規制をかけたデンマークとほとんど規制をかけなかったスウェーデンの経済損失にほとんど差が出なかったからである。
渡辺努・東京大学教授は「人々が感染を恐れて外出を抑制したことが需要減の真の原因である」と指摘しており、心理学の実験では、恐怖心の強弱と感染対策の行動(外出抑制やマスク着用など)との間には強い相関関係があるといわれている。
人々は政府に命令されたから外出を控えているというよりも、自らが感染し重症化・死亡するリスクへの「恐れ」から自発的に外出を抑制しているというわけである。
確かにこの1年、世の中にはコロナに関する悲観的な情報があふれていた。テレビに出演する専門家などは「怖くないから恐れるな」と言って後で大流行すると過去の発言を問題視されるので、大げさな発言をしがちである。見ているほうも最初は軽く受け流していても、悲観的なコメントばかり聞いていると恐怖心が醸成されてしまう。
ホラー映画の巨匠であった故アルフレッド・ヒッチコックはかつて「恐怖は、銃声ではなく、銃声の予感に宿る」と語っていたが、恐怖は不確実性ではなく、不確実性の認識に宿るようだ。優秀な人間の頭脳は最悪の事態をシミュレートすることができるがゆえに、それがいきすぎると精神がやられてしまう。人はしばしば知性で「恐怖」を乗り越えようとするが、このような試みは実を結ばない場合が多いといわざるを得ない。
求められる「ゆっくり」のコンセプト
自由な個人が「市場」で競争するのが経済学の世界観だが、知性の限界に起因する「恐怖」に打ち勝つためには、経済学が想定していない「何か」が必要である。
「混迷な時代は、ごく小さな人の集まりで前向きな会話ができることが力になる」。このように述べるのは『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』の著者・伊藤洋志氏である。伊藤氏が提唱する「イドコロ」とは、自分が居心地よく精神を回復させられる場である。近況をおしゃべりする友人から家族、趣味の集まりなどであり、複数あることが大事だという。序列ができやすいコミュニティーとは異なるものである。
「現代は、正気を保つのが難しい時代」だとする伊藤氏は、病原菌のように正気を失わせる異物(恐怖心など)に対抗するイドコロの総体を「思考の免疫系」と仮定しており、免疫物資と同じように著書の中にはたくさんの種類のイドコロが登場する。
「シニア消費」の活性化という観点も重要である。「80歳代のひとり暮らしの母親が、新型コロナウイルスの感染拡大後、マスクを着用した店員の声が聞こえづらいなどの理由でスーパーへ行くことを嫌がるようになった。高齢者が焦らずに済むよう、急いでいない客専用のレジを設けたらどうか」とする娘の投稿に注目した坊美生子・ニッセイ基礎研究所准主任研究員は、「長寿化に適応できていない社会のひずみを突くような指摘である。高齢者、特に後期高齢者の特性に合わせて『ゆっくり』のコンセプトが求められているのはサービス全般にいえる」と主張する(2月22日付ニューズウィーク)。
世界に冠たる超高齢社会である日本では、「効率」よりも「安全・安心」の価値を高くすることが「恐怖」に打ち勝つ最善の方策なのではないだろうか。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)