中国政府は昨年11月、中国の電子決済サービス「アリペイ」を運営するアント・グループの上海と香港の両証券取引所での新規上場に介入し延期させた。以降、アントを傘下に収めるアリババの創業者、馬雲(ジャック・マー)氏が対外活動を停止してから半年以上となるが、中国政府は上海市政府などの上場審査がどのように行われたかなどの調査が終了するまで、馬氏の公式な活動や出国などの移動の自由を制限する措置を継続する方針であることが明らかになった。
この影響は中国の電子決済サービス関連業者全体に及んでいる。中国の中央銀行である中国人民銀行など金融規制当局は4月末、微信支付(ウィーチャットペイ)を手掛けるインターネットサービス大手の騰訊控股(テンセント・ホールディングス)などインターネット金融業者13社を呼び出し、行政指導を行い、金融規制の順守を求めるなど、中国市場で影響力を増す巨大IT企業に対する締め付けを一段と強めている。
ロイター通信によると、中国の独占禁止当局である国家市場監督管理総局(SAMR)はすでにアリババに対して、独占禁止法違反で過去最大となる182億2800万元(3000億円)の罰金を科したが、テンセントにも少なくとも100億元(約160億円)、フードデリバリー大手の美団には46億元(約775億円)の罰金支払いを命じる可能性があるなど、インターネット業界の独占行為を厳しく取り締まる方針だ。
ネット金融への取り締まり強化
中国国営新華社電によると、ネット金融の主要13社の幹部を呼びだしたのは、中国人民銀行と銀行保険監督管理委員会、証券監督管理委員会、国家外貨管理局で、人民銀行の潘功勝副総裁が会合を主催した。
呼び出されたのは、テンセントや美団に加え、動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」を運営する北京字節跳動科技(バイトダンス)、百度(バイドゥ)、ネット通販の京東集団(JDドットコム)、平安保険、配車アプリの滴滴出行(ディディ)など。
13社はいずれも業界で強い影響力をもつ大手ハイテク企業である。4月29日付の官製メディア「国是直通車」が、今回の13社に対する指導は中国共産党によるオンラインプラットフォーム企業に対する是正の「第一歩」だと報じた。さらに「アリババ傘下のアントと同様、規制当局は今回の指導を通じて、業界全体に警告を与えようとしている」と分析している。
最大手のアリババは独占禁止法違反で過去最大となる3000億円の罰金処分を受け、アリババ傘下のアントも、フィンテック企業から金融持ち株会社への再編を指示されている。その後、テンセント、バイトダンス、百度、JDドットコム、美団など34社のプラットフォーム企業に対し、期限までに是正するよう求めている。ブルームバーグによると、中国共産党指導部はアリババやテンセント、美団といった大手企業が市民生活のあらゆる場面で影響力を強めていることや、各社がオンラインショッピング、チャット、配車などのサービスを提供することで蓄積された膨大なデータに懸念を抱いていると報じている。
馬氏の行動は裏切り?
ところで、そもそも、なぜ中国指導部がアントの上場にストップをかけたのか。それは、馬氏が習近平国家主席と対立する上海閥の総帥である江沢民元国家主席の孫で、投資会社経営の江志成氏と親密な関係を構築し、アリババのグループ企業の株式上場などを通じて膨大な資金を献上していたためともささやかれている。習氏と敵対する上海閥への闇献金を阻止する狙いもあったということになるのだ。
習氏にとって、馬氏の行動は裏切りと映ったようだ。もともと、アリババは習氏が浙江省トップ時代、馬氏が同省で起業しており、習氏は有望な中小企業育成のために、アリババに省政府の補助金を提供。習氏が2007年、北京に赴任する際も、馬氏に「一緒に北京に出ないか。最大限の支援は惜しまない」と誘ったほどだ。馬氏に目をかけていた習氏は、その後の馬氏と上海閥との関係を苦々しく思っていたことは想像に難くない。
さらに、習氏の不信感に輪をかけたのが、昨年11月の上場に、習氏の姉の斉橋橋氏や、夫の鄧家貴氏、さらに2人の娘の張燕南氏らも絡んでいたとの情報も出てきたことだ。とくに、習氏の姉夫婦の不正蓄財疑惑は有名で、世界の指導者や著名人らがタックスヘイブン(租税回避地)を利用していた実態を暴露した16年の「パナマ文書」にも登場しているほどだ。「習近平国家主席の姉」という関係を利用して、不正に取得したとみられる未公開株の株式上場で得た収益や、香港やオーストラリアなど海外の豪邸をはじめとする資産の明細がハッカーグループによって暴露された。その額は3億5000万ドル(当時のレートで420億円)にも達すると伝えられている。
さらに、アントの上場によって、姉夫妻が莫大な利益を手にしたことが知られると、今は中国共産党の最高指導部人事を決める来年秋の第20回党大会を控えている敏感な時期で、習氏の指導者の座を脅かす大きなスキャンダルになりかねないだけに、習氏が自ら命令して、上場を土壇場で停止させたとの情報も出ている。
米コーネル大学貿易政策上級教授兼ブルッキングス研究所シニアフェローのエスワー・プラサド氏は「馬雲氏は中国を挑発し、凋落した」と題する論文を4月28日付米紙「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿し、中国政府が馬氏とアントに打撃を加えた目的について、「馬雲氏が持つ強い経済的・政治的パワーを制限することであり、中国政府の行動は、民間企業や革新を奨励する習氏の約束をむなしくするものだった」と指摘している。いずれにしても、習氏は政治的目的のために、経済活動を犠牲にするという自身の信条を白日の下に晒したといえるだろう。
(取材・文=相馬勝/ジャーナリスト)