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舘内端「クルマの危機と未来」

「エンジン自動車の時代」を築き上げたGMとホンダは、なぜエンジン自動車を捨てるのか?

文=舘内端/自動車評論家
「エンジン自動車の時代」を築き上げたGMとホンダは、なぜエンジン自動車を捨てるのか?の画像1
ゼネラルモーターズ(「Wikipedia」より)

世界をリードしたGM

 現在でこそトヨタ自動車やVW(フォルクスワーゲン)に生産台数で抜かれているが、歴史の長さ、生産したクルマのサイズ、トータル生産台数、そして豪華さで、GM(ゼネラルモーターズ)の右に出る自動車メーカーはない。20世紀を自動車の世紀にのし上げたのは、GMである。

 GMの歴史は、排気量6リットルのV型8気筒、500馬力というビックエンジンがつくった。それは巨大にして華麗な自動車の歴史である。大きなボディは大きなエンジンを載せるためのものであった。だが、その巨艦主義も、環境・エネルギー問題の登場という歴史の変遷の中で潰えていくのだった。

 アメリカ人はもとより日本人も憧れたGM車には、キャデラック、カマロ、コルベットなど数多い名車があった。GMはそれらを生産するキャデラック社、オルズモビル社、ポンティアック社などを買収し、まとめ上げ、世界最大の自動車メーカーになった。巨大自動車メーカー、GMの誕生は1908年である。

フルラインとモデルチェンジ

 同じ1908年、フォードはT型フォードを発表した。それからの19年間で1500万台も生産、販売し、単一モデルとしてとてつもない記録を出し、米国のというよりも世界のモータリゼーションの扉を拓いた。

 一方、GMは1923年に社長になったアルフレッド・スローンが、フォードに対抗すべく、フルライン生産と矢継ぎ早のモデルチェンジという現代に続く経営方針を掲げた。フルラインとは、小型車からビッグサイズのクルマまで、すべてのサイズのモデルを用意するということだ。そして、それらを数年ごとにモデルチェンジし、自動車の魅力を消費者に訴えるのだ。GMはこの販売戦略で、米国だけではなく世界の多くの市場を席巻していった。

 それをそのまま真似たのが日本の自動車メーカーであった。まさに現代に続く自動車生産と販売のあり方であった。しかし、GMは77年も守り続けた世界一の座を2008年にトヨタに譲り、倒産。一時は国有化されたのであった。

GMを襲った環境・エネルギー問題

 GMの衰退にはさまざまな理由があるが、やはりその巨大な力を削いだのは環境問題とエネルギー問題であった。GMの力を削いだ最初の環境問題は、カリフォルニア州で明らかとなった排ガスによる大気環境の悪化=健康被害であった。また、1973年、78年と世界を襲ったオイルショックは、世界一の石油生産量を誇る米国さえも震撼させた。排ガスと石油という環境・エネルギー問題によって、自動車は一気に燃費の良い小型車にシフトを始めた。日本車の時代の到来であった。

 排ガスによる大気環境の悪化は、マスキー法という世界一厳しい排ガス規制を登場させた。世界の自動車メーカーは一斉に反対の狼煙を上げ、ロビー活動に専念した。だが、ホンダ1社は新技術の開発に成功し、CVCCエンジンをひっさげ、マスキー法をクリアしてみせた。

 一方、V8、6リットルという巨大なエンジンを載せたクルマを生産、販売していたGM(フォードも、クライスラーも)は、行き場を失い、米国の自動車市場を日本の自動車メーカーに明け渡したのであった。

アメリカニズムの終焉

 これはアメリカ文化の終焉であった。1960年代のベトナム戦争とその敗北、オイルショック、排ガスによる環境問題の噴出等によって、第二次大戦以降、拡大し、膨張した米国の経済を支えた製鉄、造船、化学、続いて自動車産業等の巨大産業が、相次いで凋落。「アメリカ的であること」の意味が失われていった。自動車は、巨大、高性能、豪華であることよりも、省エネルギー、省燃費であることが価値を持った。小型車へのシフトである。

 だが、巨艦GMは、黙ってこうした自社の凋落を見ていたわけではなかった。電気自動車へのシフトを画策、来るべきEV時代に備えていたのだった。

GMのソーラーカーとホンダEVプラス

 太陽光発電がようやく日の目を見せ始めた1987年。オーストラリア大陸の3000kmをソーラーパネルで発電した電気で走る「ワールド・ソーラー・チャレンジ」が開催された。このレースで勝利したのはGMチームであった。付け加えれば、それから9年の1996年。この年のソーラーレースの勝者はホンダの“ドリーム”である。

 現在、太陽光発電は再生可能エネルギーの首位の座を風力発電と競っている。やがて世界のすべての発電は、こうした自然由来のエネルギーになる。そうならなければ地球温暖化も、気候変動も止まらない。世界の自動車は再生可能エネルギーで走るようになれなければ、絶滅する。

 残念ながら、ソーラーカーのようにルーフに載せたソーラーパネルの電気だけで走れるわけではなく、巨大なソーラー畑で発電された電気を自身のバッテリーに蓄えて走るだろう。GMは、そうした自然エネルギー時代の到来をいち早く予見した。それに続いたのがホンダであった。

 やがてGMは、当時世界一の性能を誇った電気自動車(EV)「インパクト」を開発。EV1として1996年に量産した。ニッケル水素電池を搭載した99年型モデルの航続距離は最高で240kmであった。一方、ホンダは「EVプラス」を1997年に発表、リース販売を行った。当時としては最高の性能のニッケル水素電池を搭載し、モーター出力は49kW、航続距離は当時のテストモードの10-15モードで220kmであった。

 いずれも価格と航続距離が満足なものではなく、生産は中止されたが、EVに何が求められ、どんな性能が可能か。EV時代の到来に備えた貴重なデータを集めだったのだ。

生き残る決断をしたGM

 GMは、2035年までにエンジン車を全廃する。片やホンダは40年までにエンジン車の販売をやめる。しかも、GMとホンダはFCEV(燃料電池車)の開発を共同で行っている。CVCCでマスキー法をクリアしてみせたホンダ。いち早く再生可能エネルギーでレースに勝って見せたGM。片やかつての世界一の自動車メーカーでありながら倒産も経験したGM。片やF1エンジンで何度も世界一に輝いたホンダ。両社は未来の自動車として、期せずして同時にエンジン自動車に代えてEVを選択した。自動車をよく知り、エンジンを知り尽くした両社は、エンジンでは生き残れないと覚悟したのだ。

 果たしてホンダ以外のエンジン車にこだわる日本の自動車メーカーは、どんな未来を選ぼうとしているのだろうか。

(文=舘内端/自動車評論家)

舘内端/自動車評論家

舘内端/自動車評論家

1947年、群馬県に生まれ、日本大学理工学部卒業。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。
現在は、テクノロジーと文化の両面から車を論じることができる自動車評論家として活躍。「ビジネスジャーナル(web)」等、連載多数。
94年に市民団体の日本EVクラブを設立。エコカーの普及を図る。その活動に対して、98年に環境大臣から表彰を受ける。
2009年にミラEV(日本EVクラブ製作)で東京〜大阪555.6kmを途中無充電で走行。電気自動車1充電航続距離世界最長記録を達成した(ギネス世界記録認定)。
10年5月、ミラEVにて1充電航続距離1003.184kmを走行(テストコース)、世界記録を更新した(ギネス世界記録認定)。
EVに25年関わった経験を持つ唯一人の自動車評論家。著書は、「トヨタの危機」宝島社、「すべての自動車人へ」双葉社、「800馬力のエコロジー」ソニー・マガジンズ など。
23年度から山形の「電動モビリティシステム専門職大学」(新設予定)の准教授として就任予定。
日本EVクラブ

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