早世したあの天才作曲家、失効した著作権が復活…“承継人”が現れ莫大な権利を獲得
『ラプソディ・イン・ブルー』『サマータイム』など、アメリカを代表する作曲家として知られるジョージ・ガーシュウィンは1937年、38歳の若さでこの世を去りました。そんな短い生涯のなかで、オペラ2曲、ミュージカル50曲、オーケストラ曲7曲、ピアノ曲10曲、歌曲はなんと500曲も残しています。35歳で早世したモーツァルトと同じように、短い生涯のなかで溢れるように作曲をしたという点で、ガーシュウィンは“アメリカのモーツァルト”といえると思います。
もし長生きしていたら、もっと多くの作品を作曲していたに違いなく、『ラプソディ・イン・ブルー』よりも素晴らしい曲を書いてくれたかもしれません。しかし、不謹慎ではありますが、皮肉にも彼が早く世を去ったことで演奏が広がった側面もあるのです。
それは、コンサートの予算編成に関係があります。プログラムを組む際、ただ音楽的欲求に従って、自由にやりたい曲を演奏できれば最高なのですが、残念ながらそこには限られた予算があります。いくら素晴らしい音楽であっても、多人数の演奏家が必要となるマーラーやリヒャルト・シュトラウスばかり演奏していたら、オーケストラは経営破綻してしまうでしょう。これらの作品は“赤字覚悟”どころか“大赤字確定”なので、通常のコンサートでベートーヴェンやチャイコフスキー、モーツァルトのようなスタンダートなプログラムを演奏してコツコツとお金を貯めてから、演奏するのです。
もうひとつ予算に重くのしかかってくるのは、作曲家の没後70年間かかってくる「著作権」です。これが馬鹿にならない金額で、もしコンサートの予算作成時に著作権のことを失念してしまうと、コンサート後の財務処理を終えてホッとした頃に、JASRAC(日本音楽著作権協会)から請求書が届き、大慌てすることになります。
余談ですが、このJASRACは、まるでCIA(アメリカ中央情報局)のように膨大な情報ネットワークを持っているのか、かなり小さなコンサートに至るまで目を光らせています。実際に、僕の友人のピアニストが個人で開催したリサイタルで、著作権が残っている作曲家の曲を演奏したところ、JASRACがどこからかそのプログラムを手に入れたようで、後日、請求書が送られてきたそうです。
没後に現れた、ガーシュウィンの“承継者”
先ほど、著作権がかかってくるのは「作曲家の没後70年」と述べましたが、かつては没後50年でした。ガーシュウィンは1937年に亡くなっているので、約10年の戦時加算はありますが1998年5月21日で著作権は切れており、それ以降は著作権料の心配をする必要なく自由に演奏できるようになりました。これはオーケストラ経営陣にとっては朗報ですし、クラシック界だけでなくテレビや映画でもガーシュウィンの音楽を無料で使用でき、たとえポップ歌手がアレンジを加えてカバーすることも問題なく、著作権料を気にせずに、どんどん演奏されていたのです。
ところが、実は“ガーシュウィンの承継者”と名乗る人物の代理人が現れ、「ジョージ・ガーシュウィンの多くの楽曲に歌詞を書くなど兄のアイラ・ガーシュウィンが共同制作しており、そのアイラが亡くなったのは1983年なので、現在も共同著作権は存在するはずだ」と主張したのです。
この“承継者”が誰なのかはわかりませんが、生前のガーシュウィンはパーティに出席したのち、いつも美女を2~3人、家まで連れ帰るほどのモテ男で、ずっと独身を通していたとはいえ、実は何人も子供がいたといわれています。そのなかのひとりか、またはアイラの子供なのかもしれませんが、とにかく超有名作曲家を親族に持った血縁者が一儲けしようと考えたのでしょう。
とはいえ、超有名な『ラプソディ・イン・ブルー』はピアノとオーケストラ曲で、作詞家のアイラはかかわっておらず著作権はかからないので、僕たちオーケストラ関係者はホッとしていますが、歌手やオペラ界にとっては衝撃が走りました。アイラが主に作詞に参加し、ジョージと共同で制作した337曲には、共同著作物と認定されて著作料がかかることになったからです。大人気オペラ『ポギーとベス』の歌曲も多く含まれており、そのなかにはアメリカ人なら誰でも口ずさむことができる『サマータイム』も入っています。この1曲だけでも、“承継者”は莫大な収入を得ることができるはずです。
今の時代、コンサートやCD、DVDのみならずCM、ゲーム音楽、インタラクティブ配信に対しても著作権収入が見込めるので、“承継者”は高級車どころから豪邸でも建てられるのではないでしょうか。
JASRACも、「これほど有名な作曲家で、一度はパブリックドメイン(著作権フリー)となっていた楽曲の著作権管理を再開するケースは極めて珍しい」とコメントしていますが、著作権は作曲家やその家族にとって正当な権利なので仕方がありません。とはいえ、作曲したガーシュウィン自身ではなく、ほとんどの人が知らなかった兄のアイラを持ち出して権利を主張したことは、アメリカの訴訟社会の縮図を見るようです。
クリムトの名画で大金を手にした人物
実は、これと似たような話があります。墺ウィーンの巨匠画家グスタフ・クリムトが1907年に制作した「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」は、「20世紀のモナ・リザ」とも呼ばれている名画です。作品のモデルでタイトルになっているアデーレは、クリムトと恋愛関係にあったといわれている女性です。彼女は40代半ばで亡くなった際、この絵をウィーンの美術館に寄贈してほしいとの遺言を残していました。
ところが、残された夫のフェルディナンドは所有権を主張していたのです。そこに目をつけたアメリカ在住のこの夫妻の姪マリア・アルトマンが、長い間裁判で争って、この名画を手に入れます。そして大切なおばの絵画を大事に保管するかと思いきや、裁判に勝利した同年の2006年、さっさとオークションにかけ、当時としては史上最高値の1億3500万ドル(約156億円)で化粧品メーカー、エスティ・ローダーの社長であるロナルド・ローダー氏に売却してしまったのです。
実は、マリアはこの絵だけでなく計5枚のクリムトの名作を手に入れ、すべて売却してしまいます。いずれも傑作中の傑作で、僕もウィーン留学中に何度も観にいきましたが、そのうちの3枚は個人所有となってしまい、現在は誰も観ることができなくなってしまいました。クリムトの芸術の一部が奪われた瞬間でした。
この話を題材とした映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』が制作されるほど、注目を浴びましたが、こんなことになるとは、絵を描いた当人のクリムトやモデルのアデーレは想像もしていなかったでしょう。本稿のテーマであるガーシュウィンも、同じ心境だと思います。
(文=篠崎靖男/指揮者)