創業者の井川伊勢吉氏には4人の弟がいたが、全員、関連会社の社長を務めた。さらに、長男の高雄氏をはじめ6男2女の子だくさんで、息子や娘婿は全員、大王の役員か関連会社の社長になった。高雄氏の長男がカジノに溺れた意高氏で、次男がカーレーサーで大王の取締役だった高博氏(事件後、退任)。伊勢吉氏の次男、尚武氏の2人の息子は関連会社の社長と取締役。全員が大王にぶら下がっている構図を維持していくため、一族は新たに結束することになった。
高雄氏に代わって、井川一族の取りまとめ役になったのが、高雄氏の弟で特別顧問の俊高氏と、大王専務の英高氏の2人だ。俊高氏は伊勢吉氏の三男で、副社長として本家の高雄社長を支えてきたが、高雄氏が、不祥事を起こした息子の後任社長に創業家以外の佐光氏を指名したことで亀裂が入った。本家が信頼を失った以上、分家から社長を出すべきと考えていたからだ。
英高氏は伊勢吉氏の五男。11年に大王の常務(現専務)に就任するまで、関連会社のトップに据え置かれていたこともあって、高雄氏とは距離を置いていた。
本家の高雄=意高親子の失脚によって、井川一族の中心に座ったのが分家の俊高氏。大王の創業地で基幹工場がある愛媛県四国中央市の商工会議所会頭を務めた人物だ。佐光社長は権力基盤を固めるため、俊高氏に接近した。佐光社長と分家の俊高・英高の両氏が手を組んだ。
一方、高雄氏は王子製紙に敵対的買収を仕掛けられた北越陣営に“白馬の騎士”として駆けつけたことから、北越の岸本哲夫社長とは関係が深い。佐光社長=分家の俊高氏vs.北越=本家の高雄氏の対立の構図と見る向きもある。
●大きく変わった株主構成
川崎紙運輸が北越株を買い集めていた時期から、分家は大王株を買い増してきた。大王の13年3月期の有価証券報告書では、12年同期と大株主の構成が大きく変わった。12年に筆頭株主だった大王商工は姿を消し、北越がその地位に就いた。高雄氏ら本家の資産管理会社が持つ大王株式が、北越に売却されたからだ。
本家の株主と入れ替わるように、12年には上位10社に入っていなかった大王海運が3.57%を保有する第5位の大株主として登場してきた。社名に大王がつくが、俊高氏が実質的なオーナーの会社だ。
上位10社の大株主で井川一族の会社は愛媛製紙4.13%、カミ商事3.64%、大王海運3.57%、兵庫製紙2.44%、兵庫パルプ工業2.13%の5社。その持ち株比率は15.91%だ。これ以外に創業家の10人強の少数保有株主がいる。大王製紙持ち株会の持ち分を合わせると、筆頭株主の北越を超える可能性がある。
分家が大王株式を買い増したのは、疑惑を追及している北越に対抗する狙いがあるものとみられている。北越との提携を解消して、分家の手で「新・井川王国」を再興するという秘めた狙いがあるといわれている。
創業家(分家)の株式買い増しに、北越は困惑している。北越の岸本社長は積極的な業界再編論者として知られ、大王との経営統合で、王子ホールディングス、日本製紙に続く「第三極」を目指していた。だが、大王の佐光社長は、北越に高雄氏の防波堤を期待しただけで、経営統合を前提とした提携ではなかった。「3位連合」の結成は空中分解しそうな雲行きなのだ。
円安による新・パルプの輸入原料の高騰、国内紙の需要の低迷、中韓など新興諸国の安値攻勢の三重苦にあえぐ日本の製紙業界。本家、分家などと言っていられる状況にないことは明らかだ。北越が提携を解消して大王株式を売却すれば、業界地図は一から描き直さなければならなくなる。
(文=編集部)