「一帯一路」構想を声高に叫ぶことは正しいのか
「一帯一路」は、2014年に中国・習近平国家主席が提唱した経済圏構想である。こうした壮大な構想は、共産党による一党支配により長期政権が約束されている中国だからこそ打ち立てられる素晴らしいものであると評価することもできるかもしれない。しかしながら、ここまで声高に叫ぶ必要があったのだろうか。いたずらに中国脅威論を助長させ、現在のアメリカとの制裁合戦、さらには今回のファーウェイ問題にも悪影響を与えることになってしまったのではないだろうか。構想を掲げたとしても、大きくアピールすることなく粛々と進めるほうが、はるかに利があったのではないだろうか。
たとえば、一帯一路構想には東南アジアも含まれている。筆者が暮らすフィリピンはもちろんフィリピン人により統治されているが、経済においては華人が極めて大きな影響力を保持している。ついでに言えば、スペイン人の末裔もいまだに勢力を保っている。こうした状況は、フィリピンに限らず、ほかの国々でも見られる。
本来、こうした事態は、各国において大きな問題となってもおかしくはないが、いたずらに力をひけらかすようなことはせず、寄付をはじめ社会貢献活動などに注力することによって、批判をうまくかわしているように思われる。たとえば、筆者が勤務する大学の図書館は、華人によるフィリピン最大の財閥であるSMの寄付によるものである。
こうした華人たちは何世代にもわたり現地に暮らし、国籍も現地の国のものになってはいるが、それでもなお多くの華人は中国語を話し、中国の文化や習慣を尊重した生活を送っている。
「血は水よりも濃し」という言葉もあるように、たとえ共産党の一党支配に批判的であっても、中国という国に対しては多くの華人が特別な思いを抱いている。一帯一路などを掲げるよりも、粛々と現地で強い影響力を有する華人たちと関係を深め、事業を展開していくほうが、よほど利があるのではないだろうか。
一帯一路をはじめ、中国が自らの力をいたずらにひけらかすようなことをしなければ、米国との制裁合戦やファーウェイ問題なども、回避もしくは少なくとも少しは緩和できたかもしれない。
(文=大﨑孝徳/デ・ラ・サール大学Professorial lecturer)