20世紀を自動車の時代として拓いたのは、米国の自動車量産システムだった。手づくりだったヨーロッパの自動車づくりに対して、米国の量産システムは圧倒的なパワーを持ち、1900年代の初期に19年間で1500万台もの自動車を生産するほどであった。また、EV(電気自動車)の生産方式で話題の「水平分業方式」も始まっていた。そして現在、自動車産業は再編成を要求されている。これまでの生産様式は生き残れないようだ。
デトロイトの勃興
資料によれば、20世紀が始まった1901年3月に起きた米国のある自動車工場の火災がきっかけで、後述するように世界初の自動車の「量産」が始まり、デトロイトが自動車の町になり、その後に世界の経済を大きく成長させることになる「自動車の世紀」が始まったという。
火災は 1908年にゼネラルモーターズ(GM)の傘下になったオールズモビルの工場で起きた。炎に包まれる工場から、オールズモビルの「カーブドダッシュ」という試作車が運び出された。運び出したのは、のちにデトロイト市長になるジェームズ・J・ブラディだった。デトロイトの部品メーカーが集まり、カーブドダッシュを生産することになるのだが、これがラインを組んでの量産車の第一号になった。しかも部品メーカーが集まって生産する、最初の水平分業の始まりでもあった。
ちなみにブラディは市長になると部品メーカーを量産に合うように再編成し、部品の共通化を図り、デトロイトを世界一の自動車の生産地にした。その結果、カーブドダッシュの生産は1901年の425台から1905年には6000台と飛躍的に増大した。
このような量産システムに乗って1908年からの19年間で1500万台という大量の生産を記録するT型フォードの生産が始まったのだった。デトロイトの勃興であった。
デトロイトの衰退
デトロイトは米国の三大自動車メーカーであるGM、フォード、クライスラーが根を下ろした世界最大の自動車産業の街である。しかし、世界一を誇ったデトロイトも衰退が始まって久しい。自動車生産の舞台は中国に移りつつある。しかも生産の中心は内燃機関からEVへと大きくシフトしつつある。
デトロイトの衰退を招いたのは、日本の小型車だった。安いだけではなく、当時としては壊れにくかったことで米国に小型車ブームを起こした。日本の小型車は、ビッグスリーの量産システムをしっかり学んだだけではなく、進歩・改良を行い、安くて壊れにくく、よく走る小型車を生産し、米国に大量に輸出したのだった。
そこにマスキー法と呼ばれた世界一厳しい排ガス規制が覆いかぶさった。世界のカーメーカーが音をあげるなかでホンダが新技術「CVCC」を開発、クリアしたことで、ますます日本の小型車が売れ、米国の市場を席巻した。
デトロイトの自動車労働者による日本車打ち壊し運動も始まったほどだったが、自動車の環境問題と、70年代に2度、米国を襲ったオイルショックというエネルギー問題が、デトロイト、そして米国の産業の形態に“NO”を突きつけた。デトロイトの米国三大自動車メーカーは、環境・エネルギーそして価格への対応のまずさで日本車に負けたのであった。その3つの課題に正面から立ち向かった日本の自動車メーカーの勝利であった。
しかし、EVシフトの現在、同じ環境・エネルギー・価格への対応のまずさで、今度は日本の自動車産業が衰退の憂き目に遭おうとしている。
日本の自動車産業の勃興と衰退
日本の自動車産業は戦後に大成長した。戦後の復興による経済成長で起きたモータリゼーションの大波と、前述の米国市場への躍進が功を奏したのだった。安くて壊れにくく、しかも環境・エネルギー問題に対応していたからだ。もっとも日本車の性能は米国のキャデラック等のビッグカーには遠く及ばなかったが。
しかし現在、日本の自動車産業は成長の頂点を極めて、衰退に向かおうとしている。環境・エネルギー問題への対応に大きく後れを取ってしまっているからだ。
まず、エネルギー問題だ。内燃機関自動車の燃料である石油の供給に赤信号が点灯している。SDGsとそれに沿ったESG投資によって、石油関連への新たな投資にブレーキがかかり、これ以上の油田の開発は不可能であり、石油の供給は減少を続ける。その結果、ガソリン価格が高騰し、内燃機関自動車の維持費は極めて高いものになりつつある。ここにロシアのウクライナ侵攻という暴挙が重なり、ますます石油供給は不安定になり、価格は上昇するだろう。EVシフトが必須である。
日本では、さらにGS(ガソリンスタンド)の減少という問題が内燃機関自動車ユーザーを苦しめる。このままの勢いでGSの減少が続くと、2041年には消滅してしまう。
環境問題は排ガスと二酸化炭素(CO2)排出量である。EUをはじめ、米国でも内燃機関自動車の排ガス規制は強まっている。たとえば2025年から始まるといわれるEUの排ガス規制である「Euro7」は、もはや従来のエンジンでは達成が不可能だ。EUの環境委員会は、自動車はCO2を含めてすべての排ガスをゼロにしろといっているのである。自動車メーカーが打つ手はたったひとつ。生産車のすべてをEVにするしかない。もう、画期的なエンジンだったCVCCのようなエンジン技術の改良では自動車は生き残れない。
次は価格だ。環境・エネルギー問題の解決にはEV化が必須だが、まだ高価である。安くするには1901年に始まった内燃機関自動車のような量産システムの破壊しかない。
その方法には2つある。1つはEVの価格を高騰させている電池の低価格化だ。これは新型電池の登場で数年内に解決されるだろう。2つ目は水平分業システムだ。これも台湾の鴻海精密工業(ホンハイ)に見るように始まりつつある。このシステムにEVのシンプルな構造が加わることで、内燃機関自動車の7割から5割のコストで生産できるようになる。日本も早急な対応が必須であるが、まだ内燃機関に軸足を置いている。
おそらく数年でEVの生産地の中心は中国になるだろう。デトロイトでも、ドイツでも、ましてやEVシフトに10年も遅れた日本でもなく――。
自動車の歴史はめぐる
米国のデトロイトで始まった自動車の量産の歴史は、日本、ドイツに移り、そして今や中国に移ろうとしている。そして、自動車の原動機も、蒸気から電気、内燃機関を経て、再び電気に変わろうとしている。しかも、情報の端末として使い方も大きく変わろうとしている。
そろそろ日本の自動車産業は退役なのだろうか。それとも10年からの遅れを取り戻して、現在のGMのように再び輝きを取り戻せるのだろうか。だが、そのためには大きな決断と痛みが伴うトップの交代が必須だ。
(文=舘内端/自動車評論家)