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「見えない残業」増加…長時間労働の40年前と実際の労働時間は変わらず?

取材・文=逢ヶ瀬十吾/A4studio、竹信三恵子/ジャーナリスト、和光大学名誉教授
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「gettyimages」より

<1985年頃に会社に勤めてた人の働き方を今の人が見たら、勤務時間の3分の1くらいが休憩に見えると思う。じっさい休憩してたし>

 少し前にX(旧Twitter)に投稿された上記ポストが、1.7万いいね(10月2日現在)以上を集め、話題となっていた。1985年といえばバブル経済が始まる直前で、会社員は朝早くから夜遅くまで働くことが当たり前の時代だったが、長時間の勤務をしていたようで実働時間はそこまで長くなかったのではないか、という内容だ。現在はワークライフバランスが謳われ、過労死が社会問題となったこともあり、「残業=悪」という風潮も強くなっている。そのため、約40年前となる1985年頃と比較すると労働時間はかなり短くなっているだろうが、こなしている業務量はさほど変わらないということもありえるのではないだろうか。そこで今回は、労働問題に詳しいジャーナリストで和光大学名誉教授の竹信三恵子氏に話を聞いた。

長時間残業は当たり前? 1985年頃の働き方とは

 まず、1985年の働き方とはどのようなものだったのだろうか。

「1985年は高度経済成長期で急激に経済が伸びた時期を経ていますから、仕事量が増えて労働者の長時間労働につながっていたという社会的背景があります。さらに当時は、男女雇用機会均等法の施行前で、女性の社会進出は現在ほど進んでおらず、男性が働いて家族を養うという価値観が一般的でした。夫一人の稼ぎに依存する、という家庭が多かったため、男性が『大黒柱』として家族のために長時間働いて残業代を稼ぐと考えていた人が多かった時代なのです。

 それに加え、長い時間、会社の要求に沿って働くことが会社への忠誠心の高さを示し、そういう人材こそが優良社員と見られる社会的風潮がとても強かったのです。今回のポストにあがっていた『3分の1くらいが休憩』というのも、当時は確かにそういう面もあったかもしれません。長い時間拘束されているため自分で工夫して休息時間を確保しながら、連絡があればすぐに仕事ができるような待機体制を整えていたような職場もあり、そういう意味で『待つことも仕事のうちだった』のだと思います」(竹信氏)

 では、そのような働き方や社会的風潮が変化したきっかけは何だったのだろうか。

「昔も長時間労働に異論を唱える労働者はいましたが、その声は弱く、また、日本は住宅や教育への公的補助が弱く、各家庭の自己責任でしたから、残業しないとそれだけの生活費を賄えないという状況にいる労働者が多くいました。そんななか、アメリカなどの対日貿易赤字の拡大による日米貿易摩擦が1980年代に激化します。アメリカ側からは、日本は不公正な長時間労働をして利益を上げているという声も上がり、他の先進国も、日本との競争に勝つために労働者が長時間労働を余儀なくされないよう、労働時間の規制など人間らしく暮らせる仕組みを整えてから経済競争をすべきだ、と日本を批判します。貿易摩擦の背景では文化摩擦が起きていたのです。

 また、国内でも過労死問題がクローズアップされ、『KAROSHI』を海外に訴えるなど、労働環境の改善を求める世論も盛り上がりを見せていきます。そういった事情が重なり、日本の経済界は真摯に対応しなければ先進国グループから弾き出されてしまうと危惧し、労働環境の改善を考え始めるようになります。これが現在につながる働き方や社会的風潮の変化のきっかけになりました」(同)

1985年当時と現在を単純に比較することはできない

 では、1985年当時と比較し、現在はかなり時間単位の生産性は上がっているのだろうか。

「1985年と現在を単純に比較することは非常に難しく、『1985年は無駄に会社にいる時間が長かったから生産性が低かった』『現在はきっちり8時間で終業できるから生産性が高い』ともいえません。例えば現在は『働き方改革』として、残業させない企業が社会的評価を得るようになり、残業代負担などを減らそうとする動きとあいまって、8時間以上はオフィスにいさせないようにすぐ帰そうとする企業もあると思います。ところが、実際には抱えている業務量は変わらず、自宅に持ち帰って作業する『見えない残業』に追い込まれる例は少なくありません。労働者に業務の進め方や時間配分を自由に決める権限を与える『裁量労働制』が広がるなかで、労働時間規制があいまいな職場が増えたことも、『見えない残業』を加速させていると言われます。

 また、現在はデジタル化やグローバル化などの産業の大転換が起き、これに対応するための自己研鑽を業務時間外で行うように指示されることもあるでしょう。このように不払い労働が増えている例も少なくないのです。ですから、『1985年の正社員より現在の正社員のほうが労働時間は減っている』ともいえないと思います」(同)

 また、現在は労働形態も多様化しており、正社員以外の働き方も多くなっていることで、問題は複雑化しているという。

「2017年度の内閣府の『経済白書』では、『非正社員(パートタイム労働者)一人当たりの平均でみた労働時間は低下している中で、正社員の労働時間の水準は大きく変化せず、2000年以降、労働時間は二極化している状況となっている』と記されています。長時間労働の核となる働き手の状態は相変わらず深刻で、女性を中心とするパートの増加とこれらパート労働のさらなる短時間化が見かけを引き下げていると考えられます。1985年当時と現在を比べた1人あたりの平均労働時間の減少には働き方の多様化が大きく影響しており、長時間労働問題が解決したとは言えないのです。

 1990年代後半に多くの企業で大リストラが起こる時期があり、失業率引き下げ策の一環として、とりあえず職に就ける人を増やすためとして1999年に派遣法が改正されるなど、非正規労働での雇用条件が緩和されました。そして多くの企業が安い賃金に設定したフルタイム勤務ではない非正規労働者を増やし、人件費削減を行っていったのです。その結果、1人あたりの労働時間の平均値が下がった部分もあると考えられます。労働時間問題にはいくつもの錯覚が潜んでいるのです」(同)

「労働時間減少」は見せかけの部分も多い

 現代では、業務に応じて企業と自由に契約を交わし働くフリーランスや、仕事を掛け持つダブルワークの増加など、労働形態の多様化によって1985年当時よりもかなり複雑になっているようだ。

「フリーランスはその最たるもので、自営扱いのため成果物ベースの賃金体系が基本で、余程の交渉力がある人でなければ安い報酬で長時間働かざるを得なくなっています。そういった実際の労働時間が見えにくくなる仕組みが次々と導入されているのです。先ほどの裁量労働制という制度の拡大もそのひとつです。ほかにも、年収1075万円以上という一定の年収要件を満たした、専門的かつ高度な職業能力を持つ労働者を対象に、労働時間にもとづいた制限を撤廃する高度プロフェッショナル制度もあります。

 企業側が労務管理責任を軽くするために、労働時間を労働者自らに管理させるようになってきているともいえるでしょう。いずれにしても、このように労働時間を測らない働き方が増えているので、表面的な数字として平均労働時間が短縮されているからといって、1985年よりも生産性が上がっているということや、労働環境が改善されているということは、一概にいうことはできないのです」(同)

「労働時間減少」に錯覚の要素が多いということであれば、1985年より実質的な労働環境の改善がされているとはいいがたい。見せかけの労働時間でなく実際の労働時間を把握する試みを推進していくことや、働いた成果がきちんと賃金に反映される仕組み作りなどを、社会全体で行っていく必要があるのではないだろうか。

(取材・文=逢ヶ瀬十吾/A4studio、竹信三恵子/ジャーナリスト、和光大学名誉教授)

竹信三恵子/ジャーナリスト、和光大学名誉教授

竹信三恵子/ジャーナリスト、和光大学名誉教授

東京生まれ。1976年、朝日新聞社に入社。水戸支局、東京本社経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)などを経て2011年から和光大学現代人間学部教授・ジャーナリスト。2019年4月から現職。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)、「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)、「ミボージン日記」(岩波書店)、「ルポ賃金差別」(ちくま新書)、「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)、「家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの」(岩波新書)など。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。

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