全世界でひと月当たりの乗車回数が約1億回にも上るとされるライドシェアアプリ「Uber(ウーバー)」。日本でサービスを開始してから10年以上たった現在はタクシー配車アプリとなり、普及したとはいいがたい状況が続くが、これまでたびたび国の当局から反発を招くなど混乱を起こしてきたこともあり、「ウーバーが失敗したのは、日本では企業は法律を犯してはいけないということを経営者が知らなかったことが原因ではないか」という指摘が一部で注目されている。米国のビジネスの世界においては、とりあえずサービスを開始してみて法的な問題などが露見すれば都度対応すればいいという考えが許容されている、という解説が聞かれることもあるが、実際のところ、米国企業には「必ずしも法律を破ってはいけないということはない」「ビジネスを展開する上で、法律を破ってもよいとされるケースがある」という考えは一般的なのか。そして、なぜ世界的に成功したウーバーは日本では普及しないのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。
いまや社会インフラとなった感すらあるフードデリバリーアプリ「Uber Eats(ウーバーイーツ)」だが、米ウーバー・テクノロジーズが日本で当初、手掛けていたのはライドシェアサービスだった。2012年に日本に進出し、14年に東京都内でハイヤー・タクシーの配車サービスを開始したが普及は進まなかった。15年には福岡県でライドシェアの実証実験をスタートさせたが、国土交通省から中止するよう指導され、中止に追い込まれた。16年には富山県でサービスを予定していたが、地元タクシー業界の反発を受け中止となった。その後は当局からライドシェアサービスの承認を得るべく交渉を重ねる方針に転換したが、当時は基本的に日本では法律上、ライドシェアは認められておらず(現在は国土交通省が認める「相乗りサービス」、カープール型などは適法)、ウーバーはライドシェアの提供を断念。ハイヤー・タクシーの配車サービスに注力することとなった。20年からは東京でタクシー配車サービスを開始し、徐々に対象エリアを増やしているものの、普及スピードは遅い。
そんなウーバーを尻目にシェアを伸ばしてきたのが、タクシー大手の日本交通が手掛けてきた「JapanTaxi」だ。23年には日本交通ホールディングスとDeNAが出資するGO株式会社が運営するアプリ「GO」にサービスが継承され、国内シェア1位となっており、サービス提供エリアも広く利用可能なタクシー会社も多いため「タクシーを呼ぶならGO」という認識が定着しつつある。
アメリカは判例法の国
前述のとおりウーバーは当初、日本でのサービス提供開始にあたり、当局との事前交渉や法律遵守を軽視していた様子がうかがえるが、こうした傾向は米国企業ではしばしばみられる。たとえば動画共有サイト「YouTube」の日本語版サービスが始まったのは07年だが、その直前には日本音楽著作権協会やテレビ局など国内23の著作権権利者団体がYouTube運営会社に対し、違法にアップロードされた動画約3万件を削除するよう要請し、著作権侵害に対する抜本的対策の提示を要求するなど対立が鮮明化。YouTubeは著作権の問題をどうクリアするのかを“すっとばしたまま”サービスを開始していたわけだが、現在ではテレビ局などのメディアを含めて多くの大企業がYouTube上に公式チャンネルを持ち、積極的に動画を投稿するに至っている。
経済評論家で百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏はいう。
「ネット上でウーバーの日本での失敗についてTim Romero氏が書いた記事が、英語圏でバズっているようです。欧米企業のCEOは法律を破った際の罰金が安ければ、法律を破ってもいいと考えるのですが、日本では法律を破ってはいけない。そのことをウーバーが知らなかったという点が、欧米人を驚かせたようです。
これは少し説明が必要です。アメリカを例にとってお話しします。アメリカは判例法の国です。技術の進化でこれまでの法律ではグレーだと考えられる事例が誕生すると、訴訟が起きて、その判例で法律が定まってきます。たとえば音楽のMP3ファイルが無料でダウンロードできるナップスターが立ち上がった当時、『ナップスターとは個人が持っているMP3ファイルを検索するシステムなのか、それとも著作権を無視した音楽の流通システムなのか』が裁判で争われ、後者であることが確定してナップスターは閉鎖されました。
これがいつもそうなるかというと、ケースバイケースで異なります。音楽ファイルよりも先だって、レンタルビデオビジネスがアメリカ全土で広がった当時は、やはり著作権侵害で裁判が起きるのですが、その過程でレンタル業者が映画会社に許諾料を支払う仕組みが誕生したことでレンタルビデオは一大ビジネスへと発展します。
新しいサービスを生む際に、アメリカ企業ではあらかじめ訴訟費用を予算化します。訴訟のリスクについても株主に開示・説明したうえで、まずはサービスを開始します。ウーバーの場合も同じです。アメリカでもタクシーには免許が発行されていて白タクは禁止されています。一方で車社会のアメリカですから相乗りは昔から容認されています。ネットフリックスの創業者2人はカルフォルニア州の海辺の近くに住んでいて、相乗りでシリコンバレーまで通勤していました。その車内で起業アイデアを議論して誕生したのがネットフリックスだというエピソードが知られています。相乗りのコストは当然、折半して支払っていたはずです。
ライドシェアは、スマホ上で簡単に相乗りする相手を見つけるアプリとしてサービスが開始されました。これが相乗りなのか白タクなのか、グレーなところなのですが、アメリカでは『グレーならまずやってみて、裁判を受けてたって、それで白黒をつければいい』と起業家は考えるのです」
関税障壁としての「行政指導」
では、なぜウーバーのタクシー配車サービスは日本で苦戦していると考えられるのか。
「ウーバーは世界各国でまずはサービスを始めたうえで各国政府と折り合いをつければいいと考えました。日本では日本社会の慣習を検討したうえで社会実験からサービスを始めました。福岡で無料のライドシェア実験を始めたのですが、結果としては当局による強い指導から実験を中止せざるを得ない状況に追い込まれます。ここは実に日本的だと思うのですが、法律上はウーバーのやろうとしたことは合法だったのです。法律ではお金をとる白タクは禁止しているのですが、お金をとらない無料のライドシェアは禁じていません。
実際、かつてこんなことがありました。関西のMKタクシーが東京に進出しようとした際の話です。MKタクシーは格安サービスで関西で人気があったのですが、名古屋で500円タクシーを始めようと営業申請をしたのです。価格破壊されては困るということで当局はこの申請認可を渋りました。するとそれに抗議するかたちでMKタクシーは無料で名古屋でタクシーを運行します。無料タクシーは昔から合法だったのです。
しかしウーバーは、日本には非関税障壁としての『行政指導』があるということを知りませんでした。『いずれお前たちは有料でライドシェアを始める前提で、無料で実験をしているのだろう。そんなのはダメだ』と役所から言われたのです。当局ににらまれたまま実験を強行すると日本での免許が下りなくなることを知らなかったのです。ウーバーが方針転換をしたことで、日本ではウーバーイーツを大々的に展開して成功しています。もし実験を中止せずに強行していたら、ウーバーイーツの自転車も徹底的に道路交通法違反で取り締まりを受けてサービスを中止させられていたでしょう。
この行政指導は監督官庁によって温度差があります。産業振興を重視する経済産業省は比較的話し合いの余地が大きく、秩序を重視する金融庁は保守的です。国土交通省の場合は利権が大きいことからアメリカの私企業が勝手に公共交通のサービスを始めるのはそもそも難しい。ウーバーはその意味で、YouTubeやSpotify、Instagramとは監督官庁が違ったことが最大の障壁だったのでしょう」
(文=Business Journal編集部、協力=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)