デザインに迷っているとき藤野氏は、サルヴァトーレ・フェラガモのハイヒールを見て、「これだ!」と、インスピレーションがわいた。尖ったつま先からかかとにかけての鋭く流れるラインから、現在の尖鋭的なデザインが生まれたのだ。ホンダジェットがビジネスジェット機というより、ノーズが尖った戦闘機を連想させるような鋭い顔をもっている理由である。藤野氏は2012年、日本人としては初めて、米国航空宇宙学会の航空機設計賞を受賞した。
●“大”が“小”にひれ伏した瞬間
ホンダジェットが約20分間の初フライトに成功したのは、03年のことである。開発開始から17年の歳月が流れていた。
ホンダの航空機エンジンに目をつけたのは、GEだ。GEは大型航空機エンジンは得意としていたが、小型の航空機エンジンは不得意だった。実はホンダは、世界一のエンジンメーカーである。二輪、四輪、汎用のエンジンを生産しており、その生産台数は間違いなく世界トップだ。しかも、いずれのエンジンも小型であるのが特徴だ。新しく開発した航空機エンジンもまた、小型である。GEのエンジニアは、ホンダのエンジンを見て、「こんなに小型でシンプルなエンジンに、これほどの性能が出せるのか」と舌を巻いたという。いわば、“大”が“小”にひれ伏したのだ。
あろうことかGEは、04年に出資比率50%ずつの合弁会社、エアロ エンジンズ(GEホンダ)を立ち上げた。合弁発表の記者会見の席上、GEの航空機エンジン製造部門だったGE トランスポーテーション社長(当時)のデビッド・L・カルフーン氏は、記者の質問に答えて、次のように答えた。
「われわれにはノウハウがあるが、ホンダには自前開発のジェットエンジンがある。これは“ベスト・マリッジ”だ」
GEホンダ設立によって、ホンダは、エンジンの量産化やFAA(米連邦航空局)認定取得、販売チャネル確保への道筋をつけた。
そして、ホンダがホンダジェットの実験機を初公開したのは、05年のことである。翌06年には、事業化を発表した。ホンダジェットはマイアミのビジネス機ショーに出品され、3日間で100機以上を受注するという快挙を成し遂げた。奇跡といっていいだろう。
ホンダの航空機事業子会社、HACIの本社は、米ノースカロライナ州グリーンズボロ市にある。現在、現地社員は約900人で、そのうち日本人スタッフは立ち上げ当初30人ほどだったが、現在は10数人にすぎない。
ホンダジェットは、13年12月、FAAから型式検査承認(TIA)を取得した。書類審査通過を受け、現在はほぼ毎日、本社に隣接した滑走路からホンダジェットが大空に飛び立つ。FAAのパイロットが搭乗し、最終的な認定飛行試験が繰り返されている。
GEホンダ製のエンジン「HF120」に続き、15年前半にもホンダジェットの型式証明が正式に下りれば、その日から購入者への引き渡しが開始される。価格は一機450万ドル(約4億6000万円)だ。
●“ライト級”で市場を切り開く
ホンダは“ライト級”が得意な企業である。二輪にルーツをもち、現在のグローバル市場における競争優位は、二輪、四輪とも小型エンジンにある。「カブ」であり、「シビック」だ。
ホンダがホンダジェットで狙うのも、ビジネスジェットの中で最も小型の「ベリー・ライト・ジェット」と呼ばれるボリュームゾーンだ。もとより、搭載されるのも小型の航空機エンジンである。いってみれば、“ライト級”はホンダの得意のフィールドだ。それだけに、ホンダに十分チャンスがあるといえる。
小型ジェット機の市場は現在急拡大中で、ホンダは北米、ヨーロッパで受注活動を行っているが、今後、ロシア、ブラジル、中国、アジアなどへも進出を計画している。また、GEホンダは、航空機エンジン「HF120」を、機体メーカー向けにも販売する。ホンダがかつて手掛けたことのない、B2B(事業者向け)ビジネスへのチャレンジである。
宗一郎が、飛行機に魅せられてから97年。ホンダジェットが空を舞う日は目前だ。開発者や歴代社長らが今、誰よりホンダジェットに乗ってほしいのは、「夢」をくれた宗一郎に違いない。
(文=片山修/経済ジャーナリスト・経営評論家)