●無理なスケジュールを強いられる講師たち
「人がバタバタ倒れていた。今でいうブラック企業だ」
12月15日、愛知県庁内の労働委員会審問室で証人に立った佐々木信吾さん(52)は、自らの職場をこう表現した。
1990年、河合塾の講師に採用された佐々木さんは、主に関東地区で中学部の数学や理科の講義を受け持った。気さくな人柄で生徒から親しまれ、自らも公教育を補う予備校講師の職にやりがいを感じた。しかし、当初は契約書など一切なく、本部から賃金や雇用期間を一方的に突きつけられ、従わされる関係。講義時の姿勢からチョークの使い方まで厳しくマニュアルで示され、多くの講師は食事も取れない無理なスケジュールを強いられていた。
30代だったある同僚の国語科教師は、朝と夜に講義を受け持っていたが、日中に一時帰宅するのが難しかったため働き詰めだった。ぜんそくの持病で空調のある部屋に長時間いるのがきつく、なんとか昼間に講義をまとめられないかと本部に訴えたが却下され続けた。ある日、帰宅後に病状が急激に悪化。誰かに連絡しようとしてもできないほどだったのか、電話機の前で息絶えていたという。
別の60代の社会科講師は、離れた校舎をギリギリのスケジュールで移動することを余儀なくされ、炎天下を走っている途中に道端で倒れ、意識を失った。いずれも河合塾側からなんらかの補償があったとは聞いていない。
「一学期中に100人近い講師が倒れているとも聞かされた。労務管理をしっかりすれば防げたはずのことばかりだ」。審問で河合塾関係者を前に、佐々木さんは強く訴えた。
佐々木さんによれば95年ごろから年に1度、業務委託の契約が結ばれるようになった。しかし、書面が届くのは多くの場合、年度がすでに始まった5月以降。仕事の単価などについて交渉の余地はなく、署名・捺印することだけが求められる。これに異を唱えることは、職を失うという意味だ。