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震災復興需要が一息ついた中で……

スーパーゼネコンで竹中工務店だけが赤字に転落の理由

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 開業後は竹中工務店など、プロジェクトに参画している上位数社に10%を上限にテナントの賃料収入などが分配される予定で、数10年にわたる収入源になるといわれている。ただ、大阪の大手企業の東京への本社移転が相次ぎ、オフィスビルの慢性的な供給過剰が指摘されている。11年5月に開業した大阪ステーションシティは、JR大阪駅に隣接しており、北ヤードを上回る好立地だったか、それでも賃料交渉で苦戦した。グランフロント大阪の3.3平方メートル当たりの賃料は、梅田地区の平均賃料の倍にあたる3万円弱。果して、どのくらいの入居率になるのかが最初の試金石となる。

 そのほか関西の大型案件では、近畿日本鉄道が大阪市阿倍野区で建設している、日本一の超高層ビル「あべのハルカス」も竹中が施工している。地上60階建てで、14年春に開業予定。しかし、これもテナントの入居に関しては苦戦するだろうといわれている。

 大手ゼネコン各社が大震災被災地の瓦礫処理などの大型受注で一息ついている中で、竹中だけが赤字に沈んだため、一際目立ったのである。

 さらに、赤字のもうひとつの原因として関係者があげるのが、土木部門を担当する子会社、竹中土木の業績不振だ。もともと東北地方に弱いこともあり、瓦礫処理の案件をほとんど取れなかった。竹中土木は“グループのお荷物”と酷評されている始末だ。

 竹中工務店は江戸時代前期の1610年に、織田信長の家臣であった初代竹中藤兵衛正高が尾張国名古屋で、寺社仏閣の造営に携わったのが始まり。明治になりヨーロッパの建築技術を導入し、1899(明治32)年、14代竹中藤右衛門が神戸に進出した。この時を創立元年としている。

 戦後、14代藤右衛門の息子である錬一氏(15代)が大阪本社の社長、弟の宏平氏(16代)が副社長として東京に常駐、竹中土木社長も兼務した。竹中兄弟コンビが、在阪ゼネコンであった竹中工務店を鹿島、清水建設、大成建設、大林組と並ぶスーパーゼネコンに成長させた。現在の竹中工務店の社長は、錬一氏の長男、統一氏(69)、竹中土木社長は、宏平氏の長男、康一氏(62)が務めている。

 竹中には公共工事から連想させる談合のイメージがない。工事のほとんどを民間からの建築工事の受注で占めるためだ。競争入札以外の契約は、民間では特命工事と呼ぶ。竹中は特命の民間建築工事が主力で、ここがほかのスーパーゼネコンと決定的に異なる点だ。

 ただし、民間工事でも競争入札が普通になった。これは、と思う重要なプロジェクトで竹中は安値受注も厭わない、といわれてきた。竹中が07年に竣工した、三菱地所が建築主の「新丸の内ビルディング(通称新丸ビル)」(丸の内)や、三井不動産などの「東京ミッドタウン」(六本木)も安値受注したといわれている。竹中は「いずれもランドマーク的な建物。戦略的にとった。建築は赤字でも、オフィスのメンテナンスで20年かけて回収するビジネスモデルになっている」と反論した。非上場の同族経営だからできる離れ技であることは確かだ。

BusinessJournal編集部

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