●強い地元の反発
とはいえ、この老朽原発の廃炉促進にも、まだ心もとない面が残っている。その第一は、原発関連の補助金(交付金)が打ち切られることになる地元への補償問題だ。原発関連の雇用を失うことも、地元経済にとっては大きな打撃である。立地するサイトが多く「原発銀座」と呼ばれる福井県では、西川一誠知事が「発電を停止したからといって、国や事業者の責任がなくなるわけではない」と廃炉に強く反発しているという。
第二は、老朽化した原発の再稼働を目指す電力会社が出る懸念が払しょくできていないことだ。実際、関西電力が運転開始から40年前後が経過している高浜原発の1・2号機の再稼働にこだわりをみせている。地元と電力会社、いずれも経産省が今後、ハンドリングを問われる問題だ。
それぞれ課題が残るとはいえ、環境省や経産省がようやく重い腰を上げたのは歓迎すべきである。世界的な課題となっている温暖化ガスの排出削減と安定的なエネルギーの確保を両立するためにも、また、国民的なコンセンサスとなっている脱原発依存へ向けて日本が現実的な選択をするという意味でも、大きな意義があると思われる。
●安倍首相の逃げ腰
そうした中で気掛かりなのは、安倍首相が相変わらず表舞台でできるだけ原発問題を話題にしたくない、または指導力を発揮する気がないと受け取られかねない対応を続けていることだ。特に、首をかしげざるを得ないのが、仙台市に招致して14日から開いた「国連防災世界会議」における首相自身の逃げの姿勢である。首相は開会式と首脳・閣僚会合の両方で演説したが、2つの演説を通して、福島第一原発事故に言及したのは、「東日本大震災と福島第一原発事故を踏まえ、長期的視点に立って、さらなる防災投資に取り組んでいます」という、ひと言だけだった。
この点について、メディアは先週末、「政府は原発の再稼働や海外輸出を推進しており、踏み込んだ言及で原発に関心が集まることは避けたかったようだ」(時事通信)、「二国間の首脳会談や歓迎行事で、風評被害の払拭(ふっしょく)は呼び掛けたが、福島県民約十二万人が避難生活を強いられていることなど、悲惨な現実を語る場面はなかった」(東京新聞)と手厳しく論評した。実際のところ、100カ国以上の首脳、閣僚級らを前に演説しながら、深刻な原発事故の教訓を伝える姿勢がうかがえなかった首相の対応は、国民や被災者の目にも、決して誠実なものと映らないだろう。
よちよち歩き段階の原発再稼働を着実な流れにするためには、まだまだ難問が山積している。トラブル続きの福島第一原発の汚染水処理の完遂、被災者への損害賠償や生活再建の支援、いざという時のための避難計画の策定や訓練、使用済み核燃料の最終処分に向けた道程作り、欠陥が明らかになった原子力損害賠償制度の見直しなど、いずれも政府を挙げた対応が不可欠な難題ばかりである。
原発事故から5年目に突入した今こそ、厄介で面倒な仕事を官庁や各電力会社の現場、閣僚任せにするのではなく、安倍首相自身が前面に立って指導力を発揮すべき時期を迎えたのではないだろうか。
(文=町田徹/経済ジャーナリスト)