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碓井広義「ひとことでは言えない」

なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?空前絶後のドラマ、すべてが尋常ではない

文=碓井広義/上智大学文学部新聞学科教授
なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?空前絶後のドラマ、すべてが尋常ではないの画像1DVD『北の国から』Vol.1(主演:田中邦衛/フジテレビジョン)

 連続テレビドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる脚本家・倉本聰の自伝エッセイ『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)が出版された。

 81歳の現在も旺盛な創作活動を続けている倉本は、草創期からテレビに関わり、数々の名作を生み出してきた。本書では、幼少時代の思い出、怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾、演劇、そして自然と環境までを縦横に語っている。

 倉本の代表作である、『北の国から』の放送開始から35年。あらためて、この国民的ドラマの意味を考えてみたい。

衝撃的だった『北の国から』の登場

 それは、過去のどんなドラマとも似ていなかった。思わず、「なんだ、これは?」と声が出てしまった。1981年10月9日(金)の夜、『北の国から』の第1回目を見終わった時のことだ。

 この日、午後10時の同じ時間帯にドラマが3本、横並びだった。1本目は前月から始まっていた、山田太一脚本の『想い出づくり。』(TBS系)。もう1本は、藤田まことの主演でお馴染みの『新・必殺仕事人』(テレビ朝日系)である。どちらもドラマの手練れたちによる優れた仕事で、すでに高い視聴率を叩き出していた。『北の国から』はそこへ遅れて参入してきたわけだが、あらゆる面で“異色”のドラマだったのだ。

 固定ファンが多い『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』が話題になっていた。当時では結婚適齢期だった24歳の女性たちが、“平凡な日常生活”から脱却しようと、都会を彷徨する物語だ。演じるのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人。その秀逸な設定と彼女たちの掛け合いの妙は、2年後のヒット作『ふぞろいの林檎たち』に通じるものがある。ちなみに、脚本の山田太一、演出の鴨下信一、プロデューサーの大山勝美という『ふぞろいの林檎たち』の座組みは、『想い出づくり。』と同じだ。

 一方、『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強い。ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。多くの視聴者は戸惑ったはずだ。

碓井広義/上智大学文学部新聞学科教授

碓井広義/上智大学文学部新聞学科教授

1955(昭和30)年、長野県生まれ。メディア文化評論家。2020(令和2)年3月まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。慶應義塾大学法学部政治学科卒。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年、テレビマンユニオンに参加、以後20年間ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に『人間ドキュメント 夏目雅子物語』など。著書に『テレビの教科書』、『ドラマへの遺言』(倉本聰との共著)など、編著に『倉本聰の言葉――ドラマの中の名言』がある。

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