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そして村上春樹を超越した『騎士団長殺し』が目の前に現れた。それだけで十分である。

文=深笛義也/ライター
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「いつもそうだが、ひとつの絵を描き終え次の作品に取りかかった時には、その前に描いていた絵のことはおおかた忘れてしまう」

 村上春樹も、考えているのはいつも次の作品のことで、書き終わった作品は読み返すこともないと語っていた。

 もちろん、異なっている面も多くある。36歳の「私」には、村上のように毎日ジョギングする習慣はないようだ。トライアスロン大会に出ようなどとは考えてもいない。
 
 毎日、体を鍛える習慣を持っているのは、もうひとりの主要人物である、54歳の免色渉である。

 妻から別れを切り出された「私」は肖像画を描く仕事を辞め、東北から北海道へと旅した後、小田原郊外の山頂にある家で一人暮らしを始める。そこに、エージェントを通じて、自分の肖像画を描いてほしいと連絡してきたのが、免色だ。免色は銀色のジャガーのスポーツ・クーペに乗って現れる。免色は、「私」の家から見える別の山上の邸宅に住んでいる。

ノーベル賞は、もはやどうでもいいこと

 謎が謎を呼ぶ展開。『1Q84』のようにダイナミックではないが、静かに静かに、読者を引き込んでいく。より深く。

 第2部「遷ろうメタファー編」を読み進んでいくと、『1Q84』よりずっとノーベル賞に近づいたのではないかと感じられた。ノーベル文学賞は作品に対して与えられるのではなく、作家の活動全体に対して与えられるものだ。『騎士団長殺し』は村上春樹をその高みまで引き上げたのではないかと思えた。

 文学的な完成度が高いだけでは、ノーベル文学賞は取れない。社会への影響を与えるような作品を生み出すのでなければならない。『騎士団長殺し』は、ファンタジックな小説でありながら、現代社会を正面から見据えている。

 09年、イスラエルの「ハアレツ」紙からエルサレム賞を授与された時、村上はこうスピーチした。

「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」

 壁と卵のことは、『騎士団長殺し』でも語られている。ベルリンの壁、イスラエルとパレスチナの間の壁。
 
 東京拘置所に収容された時の、壁の中での暮らしのことを、免色は語る。

「私はそこで狭い場所に耐えるすべを覚えました。日々そのように自分を訓練していったのです。そこにいるあいだにいくつかの語学を習得しました。スペイン語、トルコ語、中国語です。独房では手元に置いておける書物の数が限られていますが、辞書はその制限に含まれなかったからです。ですからその勾留期間は語学を習得するにはもってこいの機会でした。幸い私は集中力に恵まれている人間ですし、語学の勉強をしているあいだは、壁の存在をうまく忘れることができました」

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