柴咲コウが主演するNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の第15回が4月16日に放送され、平均視聴率は前回より1.5ポイント増の14.4%(関東地区平均、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。
今回は、井伊直虎(柴咲コウ)の度重なる離反に業を煮やした寿桂尼(浅丘ルリ子)が彼女を駿府に呼び出し、申し開きをさせるまでを描いた。かつて、申し開きのために同じように駿府に呼び出された井伊直親(三浦春馬)が道中で今川の手の者に襲われ、斬殺されてしまったことは視聴者の記憶にも井伊家の人々の記憶にも新しい。主人公である直虎が死なないことはわかり切っているため、このピンチをどう切り抜けるかが今回の最大の見せ場であった。結論から言うと、直虎のこれまでの振る舞いが、巡り巡って彼女を助けたという回となった。
井伊家の側でも危険は重々承知しているため、傑山(市原隼人)や昊天(小松和重)ら龍潭寺の精鋭を護衛に付けた。墨染めの法衣をまとった僧侶が槍を振るって戦うシーンなど、大河ドラマでもそうめったに見られるものではない。いよいよ武闘派僧侶の本領発揮か、と思ったが、残念ながらそんな場面はなかった。その代わり、家臣の中野直之(矢本悠馬)が直虎のピンチに駆けつけ、映画『ロード・オブ・ザ・リング』(日本ヘラルド映画、松竹)かと思うほどの弓の名手ぶりで刺客を次々と矢で射貫いたかと思えば、東映時代劇並みの強さでバッタバッタと斬り伏せ、たった1人で敵を壊滅させてしまう鬼のような強さを見せつけた。なんだか、ここだけ娯楽時代劇的ではあったが、これはこれで「直之強ぇぇぇ」と盛り上がれたので良かったのではないだろうか。
あんなに直虎に反発していたのに、デレるのが早いなあとも思うが、南渓(小林薫)に頼まれて村人に文字を教えに行き、村人が直虎を信奉しているのに触発された……という流れはなかなかいい。文系(?)である六左衛門(田中美央)は、直虎の振る舞いを直接見て心を動かされたが、武闘派である直之は村人たちの「男が女を守らなくてどうする」との言葉に目が覚めたという違いも、キャラクターの対比としてよく描かれていると思う。
この後直虎は、虎松の後見になるのをあきらめて、小野政次(高橋一生)にその座を任せると宣言。自らは井伊谷に帰ると見せかけて直之と入れ替わり、無事寿桂尼と対面した。男装で烏帽子姿の柴咲コウが顔を上げた瞬間はハッとするほど美しく、ネット上では「いつものおかっぱよりもこっちのほうがかっこいい」「男装の麗人振りは素晴らしかった」「男装版柴咲コウにドキッとした」といった声が上がった。正直、私もいつものあの髪形が似合っているともかわいいとも思わないが、立場が安定するまでの過渡期を表す髪形なんだろうと思って我慢している。男の名で男として振る舞ったのだから、外見も男っぽくしていいと思うのだが、あのおかっぱに何か史実的な意味や根拠はあるのだろうか--。
さて、今回のハイライトであった寿桂尼との対面シーンは、ある意味戦闘シーンであった。昨年の『真田丸』に続いて今年も合戦シーンが少ないといわれるが、刀を振るって血を流すだけが戦争だと思ったら大間違いである。「外交とは血を流さない戦争である」との名言を引くまでもなく、いかに戦争を起こさずに自らに有利に事を運ぶかというせめぎあいもまた、戦争なのだ。そして多くの場合、武力衝突よりも武力を伴わないかけひきにこそドラマが生まれる。
この場面は、直虎・寿桂尼・政次が三者三様の思惑で次々に手を繰り出し、互いに相手の言い分をひっくり返していく緊迫の展開。まるで法廷ドラマを見るようなおもしろさがあった。最終的に決め手となったのは、直虎を支持するとの村人たちの署名と南渓(小林薫)の手紙。直虎が領民に支持されていることを知った寿桂尼は「次はないぞ」と言いつつも彼女を認め、晴れて直虎は正式に虎松の後見となった。これがどういう立場なのか、はっきりとは表現されていないが、当主代行もしくは実質的な統治者と考えて間違いないだろう。
ここで気になるのが政次である。なつ(山口紗弥加)が指摘する通り「政次は直虎を守るために自らが盾になろうとしている」のだとしたら、今後は直虎と今川家の間でどんな立ち回りをするのか。「井伊家を守る」と「直虎を守る」ではまったく意味合いが違う。井伊家を守ろうとしてきた政次が直虎個人を守ることを命題として選択した時に、彼の中で何か歯車のかみ合わない部分が出てきたのではないか。そんなことを考えている。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)