「患者の本当の痛みに医者はどうやって向き合うべきか」というテーマが描かれた第5話。患者の痛みより自分の保身を優先する名取の姿と、赤ちゃんを失った冴島と藤川の姿を通してこのテーマを伝えようとしていた。ここ数話の中では一番見やすい回だったが、見終わって感じるのはやはり物足りなさ。前シーズンまでは、制作陣のメッセージが伝わった瞬間、心にグッサリと刺さるものや、じわじわと染みてくるものがあり、放心したり涙を流したりしたものだ。だからこそ、息抜きになるコミカルなシーンも非常に効いた。今回は残念ながら心に刺さって抜けないものが今のところまだない。一体何が違うのか?
まず、「こんな医者に罹りたくない」という人が多すぎる。誰しも初めは未熟だし、成長していく姿を描くのがドラマだとは思うが、ここまで医者としておかしい人が集まると、そもそものリアリティが崩壊してしまう。第5話までにフェローのダメっぷりを一人一人丁寧に描いてくれたが、彼らに「頑張れ!」とエールを送りたくなるような感情にさせてくれない。これは、誰も本気で叱らないことが原因のようにも思う。確かに現代の理想とされる「叱り方」は相手のプライドを傷つけないように理解させることなのかもしれないが、ドラマの中で何度もこれをやられるとフラストレーションが溜まる一方だ。誰かが、本気で、全身全霊で怒鳴ってやる姿をなぜ見せてくれないのか? それでも食らいついていく姿に人はエールを送りたくなるのではないか。
そして人と人との関係が表面的にしか描かれていないという点を、第5話でも強く感じた。なぜあれだけ思わせぶりだった奏の手術シーンを省くのか? 2人が脳外科でどのような信頼関係を築いていったのかが描かれていない。せめて手術に懸ける藍沢の姿や、術後の2人のやりとりで関係の強さを伝えてほしかった。……が、冒頭で手術はすでに終わっており、最後に麻痺が出るシーンまで一切描かれていない。この先、2人の苦悩の日々が始まるのだろうが、正直あまり見たいと思わない。
緋山の恋も同じで、緒方の奥さんの存在ってなんだったの? と頭の中で疑問がグルグル回る。描き方が中途半端で、緒方と奥さんの別れの理由が「もう料理ができなくなったから」だけでいいのか? そういうことなのか? だとしたら、怪我をした後に別れ話が出たってこと? と理解に苦しむ。あまり必要のない人なら、出さないほうが余程いいと思ってしまう。
前シーズンまでは、ほんの数分しか出ていないキャラクターでも、その人の感情とドクターたちとの関係性が良くわかり、患者が助かったり亡くなったりすることに非常に重みがあった。だが今回は、生死の一つ一つがただのエピソードで終わってしまっている感が否めない。ドラマは作り手のもので、どう変えたって制作側の自由だ。だが、『コード・ブルー』には歴史がある。過去、積み重ねてきた思いで視聴する人が圧倒的に多いだろう。視聴者の心というのを無視して作っていいものだろうか? 名取先生の姿が、今回の『コード・ブルー』全体の姿に重なる。
(文=西聡美/ライター)