歌舞伎界を代表する名優で人間国宝の十五代目片岡仁左衛門が、37歳年下の壇蜜似の色気のある美人と2年以上にわたって不倫関係にあると「文春オンライン」(11月1日配信)で報じられた。この女性はもともと仁左衛門のファンだったらしいが、2020年3月頃からプライベートで会うようになり、やがてウォーキングに同伴し、同年7月に大阪のホテルで結ばれたという。
掲載されたツーショット写真を見ると、仁左衛門はジーンズにストライプの白いワイシャツというラフな格好だが、本当にかっこいい。仁左衛門が孝夫と名乗っていた頃から大ファンだった私は惚れ直した。これだけかっこよかったら、78歳とはいえモテないわけがないというのが正直な感想だ。
仁左衛門は芸一筋の真面目な役者として知られており、これまで不祥事が報じられたことはない。こういう“堅物”でも、不倫しているのであれば、歌舞伎界はやはり「遊びは芸の肥やし」という言葉がいまだに生きている世界なのではないかと疑いたくなる。
これだけの大御所に不倫が報じられたら、たとえば何度も不倫が報じられてきた八代目中村芝翫(タレントの三田寛子の夫)に注意できる役者などいないだろう。また、今月十三代目市川團十郎を襲名する海老蔵や香川照之の乱行を誰もとがめられないのではないか。もしかしたら、歌舞伎役者の不倫に目くじらを立て、テレビのように不倫が報じられたら降板という対応をしていたら、興行が成り立たなくなるかもしれない。
芸術家に世間的縛りを適用することが妥当なのか
今回の不倫報道で、役者に世間のルールを適用することが妥当なのかと改めて考えた。こんなことを考えたのは、最近エレン・テリーという19世紀のイギリスの女優の肖像画に関する中野京子氏の解説を読み、次のような文章が目にとまったからだ。
「芸術家はそうした世間的縛りから自由な身だと、次第に捉えられるようになっていたのだ(現代日本はなぜかそれに逆行している気がするが……)」(『運命の絵―もう逃れられない』)
エレンは旅役者夫婦の娘として生まれ、子供の頃から舞台に立つが、16歳で30歳も年上の画家ワッツと結婚。もっとも、わずか10カ月で実家に戻り、すぐに舞台に復帰。20歳で建築家と同棲して娘と息子を産むが、7、8年後に破局。その後、同じ劇団内の役者と再婚するが、著名な役者にして演出家、そして劇場経営者でもあったヘンリー・アーヴィングと愛人関係にあるとささやかれていた。アーヴィングの相手役に抜櫂されたことで、エレンは大女優にまで昇りつめたので、やっかみや妬みもあったのかもしれない。
それでも、アーヴィングとエレンは20年以上にわたってイギリス演劇界を牽引し、それまで軽蔑されていた役者の地位を芸術家の域にまで高めた。その功績により、アーヴィングは男優として最初に「サー(Sir=ナイトの称号)」を授与されたし、エレンもイギリス人女優として初めて「デイム(Dame=男性のサーに対応する称号)」を獲得した。だから、この2人は愛人関係にあるとささやかれはしたが、そのことで社会的制裁を受けることはなかったわけで、この点を取り上げて中野氏は上記のように評したのだろう。
エレンの人生は、現代の価値観からしても十分スキャンダラスだ。ヴィクトリア朝時代の価値観からすれば、なおさらそうだったはずだ。にもかかわらず、女優として評価され、「デイム」を獲得したのは、女優という芸術家を市民社会の物差しで測るのはいかがなものかという考え方があったからではないか。
役者に求められるのは、人間の欲望をいかに生々しく演じられるか
このような考え方は、歌舞伎役者にも適用されてきたように見える。歌舞伎には、道ならぬ恋を描いた演目も少なくないが、そういう恋に身を焦がした人間の情念や業を演じるためには、実際に体験することも必要という考え方があったのではないか。だからこそ、「遊びは芸の肥やし」という言葉が生まれたともいえる。
そもそも、役者の価値は、人間の欲望をいかに生々しく演じられるかで決まるというのが私の持論である。だから、欲望に忠実に生きる姿を体現することこそ、役者には求められると思っている。それなのに、世間の掟に従い欲望を日頃抑圧して生きているわれわれが、世間的縛りを役者に押しつけたら、面白みのない役者ばかりになってしまう。
中野氏が括弧付きで「現代日本はなぜかそれに逆行している気がするが……」と述べたのは、そのあたりのことを危惧したからだろう。テレビに出演しているタレントやアナウンサーなどが、不倫を報じられて降板するのは仕方ないかもしれない。だが、役者や歌手はれっきとした芸術家であり、そういう芸術家に世間的縛りを押しつけるのはいかがなものか。
「現代日本はなぜかそれに逆行している気がするが……」という言葉は、不倫に不寛容になっている現在の日本社会への皮肉のように聞こえる。不倫報道の急先鋒といえば、いわずとしれた文春砲だ。その版元である文藝春秋から『運命の絵―もう逃れられない』が出版されており、しかも、この言葉が削除されなかったのは粋なはからいだと思う。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
中野京子『運命の絵―もう逃れられない』文春文庫、2022年