先日、大学時代の友人から「10年ぶりにライブをする」という連絡をもらったので、会場に足を運ぶことにした。音楽の経験者であればわかると思うが、人前で披露できるレベルの演奏をするためには、膨大な努力が必要になる。忙しい仕事の合間を縫っての練習は、本当に大変だっただろう。
久しぶりにライブハウスで聴いた生の演奏は、ちょっと中年の耳には刺激が強すぎたけれど、懸命に音楽に打ち込む友人の姿を見て清々しい気持ちになった。一番の収穫は、「自分も何か始めたい」と素直に思えたことだ。
僕は高校時代に吹奏楽部に所属し、アルトサックスを吹いていた経験がある。普通に考えれば、音楽を再開したくなるのが道理だろう。帰宅途中の書店で購入したのは、サックスの教本ではなく、『ダルビッシュ有の変化球バイブル』(ベースボール・マガジン社)だった。スライダーを投げてみたくなった。
高校では部活で音楽に熱中し、大学・大学院以降は学問に真剣に取り組んできたという自負があった。しかし、友人のバンド活動再開をきっかけに、自分が一番好きなのは、野球なのだと気がつかされた。小学生の時に下手くそすぎてこっぴどく自尊心を傷つけられたにもかかわらず、である。
「夢」の呪縛からの解放は中年の特権
ちなみに、僕らは1975年生まれなので、今年で41歳になる。「そんなおじさんがバンドなんて、なんのために……」と、若い人は理解に苦しむかもしれない。おそらく多くの若者にとって、音楽は有名になるための「手段」として認識されている。だから、バンドを組む以上は、プロにならなければいけないと考えてしまう。
音楽にしても、スポーツにしても、若い頃の夢は実現しない。それは珍しいことではないし、驚くようなことでもない。中年であれば常識としてわきまえている現実である。「いつかはプロに」と願う若者のためにつけ加えておけば、仮にプロになれたとしても、その道だけで食べていける人はほんの一握りだ。
この文章を読んでいるみなさんも、かつては何かのプロを目指すも、壁にぶつかり、今は普通に働いているかもしれない。「サラリーマンなんて誰でもできる」などと寝言をぬかしていた学生時代とは違う。働くことの大変さが身にしみてわかっているはずだ。10年、20年と仕事を続けられるのは、それだけで素晴らしい。もっと賞賛されてもいいと心から思う。
ただ、これから先の人生を考えるならば、そろそろ、仕事以外の彩りを生活に添えてみてもいいのではないか。かつて情熱を注いだものがあるならば、再び挑戦してみるべきである。
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『不自由な男たち その生きづらさは、どこから来るのか』 男は不自由だ。子どもの頃から何かを成し遂げるべく競争するように育てられ、働くのが当たり前のように求められてきた。では、定年を迎えたら解放されるのか。否、「年収一千万の俺」「部長の俺」ではなくなったとき、「俺って何だったんだろう」と突然、喪失感と虚無感に襲われ、趣味の世界ですら、やおら競争を始めてしまうのだ。本書は、タレント・エッセイストとして活躍する小島慶子と、男性学の専門家・田中俊之が、さまざまなテーマで男の生きづらさについて議論する。男が変わることで、女も変わる。男女はコインの裏表(うらおもて)なのだ。