最愛の相手を亡くした人が、その痛切さを明かす場面に遭遇した経験の持ち主ならば、きっとおわかりだろう。
その彼(彼女)が打ち明けたい相手は、何も自分とは限らず、身内か親友か仕事仲間かという関係の濃淡にも関係なく、耳を傾けてくれる誰か(=赤の他人をも含む)でありさえすれば、それで幾分かは気が鎮まることを……。
ならば、いかにも今日的なSNSやブログなどのネットへの書き込みは、彼(彼女)にとって最適な「つぶやき装置」にも思える。
ブログへの書き込みに賛否両論
最愛の妻・小林麻央さん(享年34)の死亡当日(6月22日)以降も、23日に15回、24日は15回、25日に16回と、自分のルーティンを変えないでブログを更新し続けた市川海老蔵。
そんな彼に対して、インターネット上では「嫁が死んだのにブログ更新とか、気持ち悪い」「海老蔵のブログ更新回数がすごくて、ネット中毒って怖い」など、批難気味の書き込みが飛び交った。
もちろん、その一方で「弔うカタチは人ぞれぞれ。哀しみの表しかたも、立ち直る術も違う」「書くことが心の整理になることもある」といった擁護意見も多数投稿された。
しかし、渦中の6月27日午前9時前、当の海老蔵本人が次のような内容でブログを更新したことで事態は一応、鎮静化の方向へコマを進めた。
「ブログが支えの<第二の患者>」
「私は今こころの頼りは/こうしてブログでも/皆様と繋がっている事も/私の支えになっています。ありがとうございます。更新しすぎという意見もあるとか、確かにその通りです」
「が、ごめんなさい。御理解してくださいとは言いません。居ても立っても居られないとき、私はブログが1つの支えになってます。皆様のコメントや/こころの在りようを表す事で少しだけ/気を取り戻せるような気もするのです」
「お許しくださいね。人ぞれぞれですから。私は私のやり方で許してください」(以上、原文ママ)
この一点の揺るぎもない、海老蔵流の姿勢表明はどうだろう。どこかの国の首相に読ませたいほどの「丁寧な説明」が、しかも簡潔に綴られており、もはや批難の「返信」など投げ返せないほどの正直さに満ちている。
「NPO法人ぴあサポートわかば会」理事長の寺田佐代子氏(サバイバー、ファシリテーター)は、一連の流れについて、こう語る。