第三に、ではなぜ付加価値の高い商品を開発することができないのだろうか? 「付加価値の高い商品をつくれ」と叫ぶ人たちに、「ではその付加価値を生むためにはどうすればいいか?」と質問しても、まともな回答がない。
この第三の点について、テレビを例にとって見てみよう。総務省の調べでは、10代と20代のテレビ平均視聴時間が大幅に下がった。05年にそれぞれ、1日106分、104分だったのが、10年には70分、76分と3割も低下した。その代わり、50代と60代では、05年にそれぞれ110分、157分だったものが、10年には119分、161分と上昇している。つまり、テレビはすでに年長者の道具なのである。その世代の何%が、家電メーカーがテレビの売り文句として叫ぶ「CELLプロセッサ」「WLED」「IPSパネル」「エコ機能」というフレーズを聞いて、それぞれの意味を理解できるだろうか?
各社は新機能開発に経営資源を投入したものの、それを受け止める消費者が差異を理解できなかった。「ようわからんけど、安けりゃいいわ」という消費者の率直な声は、価格下落を止めることがなかった。
では、たとえば稼いでいる企業は何をやっているのか?
アメリカのVIZIO社は、莫大な数の保有者がいる携帯端末を新たなテレビとしてとらえ始めた。携帯端末はテレビ「も」見られる道具ではない。スマートフォンは新たなテレビなのだ。スマートフォンはスマートテレビとなり、その垣根は消えてゆく。同社は据え置き型のテレビから移動型テレビへの舵を切った。
日本メーカー各社は、ビデオカメラ、デジタルカメラ、DVD、ブルーレイ、オーディオ、シアター、それぞれのプラットフォームとして据え置き型テレビを位置づけ、その呪縛にはまった。各社の「儲からないカラクリ」を「儲けのカラクリ」に転換することは、これまでの商品戦略すら転換することだ。