弁護士もオフィスワークもサービス業の仕事も「なくなる」恐れ…機械による代替が加速
本連載前回記事では、AI(人工知能)、正確にはディープ・ラーニングに代表される機械学習の進歩によって、機械による雇用喪失が加速化するという時間的恐怖心が強まることはあれ、弱まることはないという状況を考察した。今回は、技術進歩による仕事の喪失のその他の特徴を探ってみたい。
まず、機械による仕事の代替の範囲について、これまでは産業転換のように局所的であった。炭鉱閉鎖や鉄鋼メーカーの製鉄所の高炉停止などのように、ある程度国が主導しながら配置転換をする産業政策としての整理がこれまでは可能であったが、もはやそれは限界に達している。なぜなら、機械による仕事の代替は、全産業で同時多発的に進行するので、一つの産業の問題ではないからである。これは、あらゆる産業にかかわる問題であり、霞が関の官僚や政治家による産業政策の手に負えるものではない。
機械化の歴史のなかで、まず製造にかかわる反復的作業が機械化され、経験に裏打ちされた勘が重要で計数化が難しいとされた職人の仕事も、徐々に機械化されてきた。こうした事態を、多くの人々は仕方のないことであると受け入れてきたが、その行きつく先が無人工場(機械を看視するオペレータとして人間はいる)である。
一方、オフィスワークというホワイトカラーの仕事は知的作業であり、サービス業は対人インターフェースが重要なため機械による代替は進まないとする論調もあるが、どれほどの人が高度なインターフェース技能を有しているであろうか。
これらは「人間の仕事」であり、労働集約的でなければならないという認識が広まっているが、「人間のやっている仕事だから価値がある」という議論の倒立が起こっている。これらの仕事の大部分は、実は反復的である。労働集約的であったのは、サービス業では賃金の安い労働者の確保が容易であること、ホワイトカラーの仕事では製造ラインと違いオフィスワークを機械化するために投資をしても、その回収が期待できなかっただけである。日本の大企業のかなりのホワイトカラー社員は社内失業者といわれており、ほとんど解雇ができないので、経営者にとって機械化のインセンティブは低かったといえる。加えて、仕事の工程の標準化よりも独自化を好む日本の企業組織では、「人間の仕事である」と捉える傾向が欧米に比べると強い。