落第経営のソニー・ストリンガー卒業 赤字続きでも高額報酬で株主やOBから非難轟々
サー・ハワード・ストリンガー氏。
(「Wikipedia」より)
ストリンガー議長の退任表明を受け、平井社長兼CEOは9日、「ソニーにおける多大な貢献に心から感謝する」とのコメントを発表した。
だが、ストリンガー氏はソニーに「多大な貢献した」といえるのか。「心から感謝」するようなことがあったのか。断じて「ノー」だろう。
経営者は結果で評価される。ストリンガー氏が取締役兼代表執行役会長兼CEOに就任したのは05年6月22日。その日のソニーの株価の終値は3890円。時価総額は3兆8791億円。12年4月1日、社長兼CEOを退いた。その前日の3月30日のそれは1704円。時価総額は1兆7119億円だった。
CEO在任中に時価総額を2兆1672億円減らした。これが、ストリンガーCEOがソニーにもたらした実績、いや被害である。経営者としての勤務評定は不可。落第点しかつかない。「多大な貢献」どころではないのである。
ストリンガー氏は、ジャーナリスト出身という珍しいキャリアの経営者だった。米国の3大ネットワークのひとつ、CBSで30年以上テレビの報道記者としてのキャリアを積み、88年から95年までCBSの社長を務めた。
CBSを辞めてインターネットテレビ会社の会長兼CEOになった時に、当時、ソニーの社長だった出井伸之氏にヘッドハンティングされた。97年に米国ソニー社長、98年には同社の会長兼CEOに就いた。映画やレコードなど米国の事業をソニーの稼ぎ頭に育てた実績を買われて、99年ソニー本社の取締役、03年に副会長に昇任した。そして05年6月、会長兼CEOに就任。09年4月からは社長も兼務して、全権を一手に握った。
「ストリンガーはカルロス・ゴーンになれるのか?」
これが日米エレクトロニクス業界の最大の関心事だった。カルロス・ゴーン氏が日産自動車のV字回復を果したように、ソニーを復活させるのではないかという、大きな期待を背に華々しく登場した。
だが、ストリンガー氏はゴーン氏にはなれなかった。黒字回復など具体的な数値目標を掲げたゴーン氏は、「達成できなければ退任する」と不退転の決意で改革に取り組んだ。その結果、日産は巨額な赤字から過去最高の利益へと、絵に描いたようなV字回復を果した。
一方、ストリンガー氏がトップとして在籍した7年間のうち、4年間は赤字を計上した。営業赤字の元凶は、主力事業であるテレビの不振にあった。テレビの再建なくしてソニーの再生はなかった。しかし、テレビ事業をどうやって再建させるのかという具体的な道筋を示さなかった。いや、示せなかったのである。
ストリンガー氏は本音の部分では、自分の守備範囲である映画・ソフトなどの事業をソニー本体から切り離して分離・独立、その会社をニューヨーク証券取引所に新規上場して、その経営に当たりたいと考えていたのではないだろうか。東京にいるソニーの日本人の経営幹部は、だから疑心暗鬼になっていた。
ソニーはモノ作りにかかわる技術力や、音楽を携帯して聴くウォークマンのような新製品を生み出す発想力が衰え、製造部門はリストラを繰り返すだけになった。平井体制になった現在でも、基本的には同じパターンである。
結局、主力のテレビ事業を黒字に転換させることができなかった。ソニーは05年3月期の赤字以来、ストリンガー氏がCEOを退任する12年3月期までテレビ事業は8期連続の赤字となった。12年3月期に2700万台の薄型テレビを全世界に売りまくったが、それでも赤字だ。テレビ部門の累積赤字は約7000億円と推定されている。ストリンガー氏がCEOに在職中も、社長を兼務して、文字通りワンマン体制を確立してからも、テレビ事業は一度も水面に浮上したことがないのである。
平井社長に交代した13年3月期も、テレビ事業は赤字の見通しだ。平井社長は来期(14年3月期)はテレビ事業の黒字化を公約しているが、達成できなかったら、ゴーン氏のように腹を切る覚悟はできているのか。はなはだ疑問なのだ。