格差が助長する批判は、持たざるものが持つものに対してのみ有効な議論ではありません。自分が批判対象となっている相手と違うのだということを表明する時、自分が正しくて相手が正しくないという批判の言葉もまた、勢いを増しビビッドなものとなるのです。
こうして、他者との違いを自覚するほどに批判はより先鋭化して行き、その批判自体も他者から「個人のイメージ判断の材料」にされることを意識して行われるようになるのです。
●ソーシャルメディアが私たちにもたらした変化
ソーシャルメディアの登場で、離れた友人たちの近況をリアルタイムで容易に知ることができるようになりました。Facebookの普及フェーズで、かつての友人たちと再びコミュニケーションが可能になった人は多かったと思います。そういった仲間と久しぶりに飲む時、ソーシャルメディア上で日常的にお互いの近況を知っているから、久しぶりに会ったんだけどまるで久しぶりな気がしないと感じてしまう現象は、割と一般的なのではないかと思います。
Twitterの登場は現実世界の一部がネット上に溶け出し、誰が何を考えているかに24時間触れられるような、これまでにない情報体験となりました。Twitter以前ではありえなかった、著名人に直接コミュニケーションが取れるというフラットな世界観を私たちは手に入れました。
YouTubeやニコニコ動画の登場は、これまでテレビや映画を通して楽しむことが主流だった動画メディアにアマチュア制作者による自由な可能性を吹き込み、それまでに見たことがないフレッシュな動画表現が次々登場しています。
私はソーシャルメディアや動画プラットフォーム、ユーザー参加型のサービスが、この世に出てこなければ幸せだったと言いたいのではありません。数々のメリットとともに現れたこれらのサービスは私たちの人生を豊かにもしているし、ある面では人間関係のありさまをこれまでと違ったものへと変質させたのであり、元をたどれば、この変化は私たちのニーズによって起こるべくして起こった「革命」なのです。評価格差社会は、その革命がもたらした帰結であり、次の変化に向けた経過点にすぎないのです。
●株式会社アクトゼロ(http://www.actzero.jp/)
企業及び官公庁のソーシャルメディア活用、ソーシャルデータ分析、YouTubeやニコニコ動画などのネット動画プラットフォーム活用で、国内有数のクライアント実績を持つ。