「中森明菜自殺未遂騒動」と近藤真彦も同席した「金屏風会見」はジャニーズ史上最大の事件 !?
あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか? 1970~90年代の「懐かしい」を集めた情報サイトが「ミドルエッジ」。あなたの記憶をくすぐる「懐かしい」から厳選した記事をお届けします。
今回のテーマは、「中森明菜と近藤真彦の金屏風記者会見」。30年前の大みそかにテレビ朝日の特番が急遽さしかえられて放送された伝説的な生中継と、そこに至るまでの経緯を振り返っていきます。
マッチのマンションで、血まみれの明菜が発見される
1989年7月11日の午後4時49分。六本木の自宅に帰宅した近藤真彦(当時25歳)は、当時交際していた中森明菜(当時23歳)が浴室で血を流して倒れているのを発見し、119番通報をしました。明菜の傷は、左肘内側に深さ2センチ、長さ8センチの神経に達するほどの重傷。ただちに救急車で慈恵医大病院に運ばれ、6時間に及ぶ緊急手術が行われます。幸い命に別状はありませんでしたが、明菜は2週間の入院生活を余儀なくされることに。
もちろん、当時人気絶頂だったアイドル同士に起こったスキャンダルとあって、マスコミは大騒ぎ。明菜の姿をキャッチしようと、入院先の病院には連日、テレビの中継車や記者が殺到しました。
公然の秘密だった2人の交際
明菜とマッチは数年前から交際を噂されていた仲。歌番組、バラエティ、雑誌などで幾度となく共演しており、その関係はもはや公然の秘密状態でした。極めつきが、1985年1月公開の映画『愛・旅立ち』(東宝)。親友を失い、生きる意味をなくした青年役のマッチと、不治の病に侵された少女役の明菜が運命的な恋に落ちるという同作は、当時、大きな話題を呼んだものです。
それにしても、なぜ明菜は自殺を図ったのでしょうか? 後述する金屏風会見にて明菜はその理由を「仕事上の人間関係」としていましたが、それ以外にもさまざまな原因が臆測として語られました。
まずは、マッチと明菜の結婚観の違い。すぐにでも結婚したいと願っていた明菜と、結婚は30歳を過ぎてからと考えていたマッチの間には少なからず温度差が存在していたといいます。もうひとつは、89年2月に雑誌「フライデー」(講談社)で報じられたマッチと松田聖子との密会報道が明菜にショックを与えたとも。
そして行われた大みそかの「金屏風会見」
謎が謎を呼ぶ自殺未遂事件から、約半年後の89年12月31日の午後10時、新高輪プリンスホテルで急きょ明菜の復帰会見が行われることになりました。約200名を超える記者の前に現れた明菜は、トレードマークだったロングヘアをバッサリと切り落としたショートヘア姿で登場。涙ながらに「皆さんにご迷惑をおかけし、そしてご心配をおかけしたことを本当に深くお詫び申し上げます……」と、か細い声で騒動について謝罪しました。
会見の途中からはマッチも同席。その態度はどこか他人行儀で、しまいには「僕も歌手として10年を迎えるわけで、歌に、ドラマに、レースに、そして『NHK紅白歌合戦』に出れるように頑張っていきたいと思います」と自身の決意表明をする始末。明菜との結婚に関しての質問に対しても「そういうことはまったくありません」とキッパリ否定していました。
こうした発言以上に物議を醸したのが、2人の背後にあった金屏風。本来めでたい席で飾られるはずの金屏風がなぜ、わざわざ謝罪会見の場で飾られているのか? もしかしたら、明菜がマッチとの結婚会見だと騙されて連れてこられたのではと噂されていますが、真相はいまだ謎のままです――。
この連載では次回以降も皆さまの脳裏に「懐かしい」が蘇りそうな記事を提供して参ります。「こんな記事は?」「あのネタは?」なんてお声も、お待ちしておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。
(文・構成=ミドルエッジ)