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“世紀の怪作”?映画『愛・旅立ち』の真実に迫る【後編】

1985年、マッチ“裏切り人生”の原点…近藤真彦&中森明菜“驚異の封印映画”のなぞ

文=峯岸あゆみ
1985年、マッチ“裏切り人生”の原点…近藤真彦&中森明菜“驚異の封印映画”のなぞの画像1
記念すべきデビュー40周年の節目に不倫報道があり、結果としてジャニーズ事務所を退所した近藤真彦。そして今年は中森明菜のデビュー40周年。そんな2人の共演が当時話題となった、1985年公開の映画『愛・旅立ち』は、オカルト&超常現象が満載の“トンデモ共演作”だった!?

【前篇】から続く

 不倫騒動、芸能活動自粛、ジャニーズ事務所離脱、そして芸能活動再開……昨年末より近藤真彦がメディアで取り上げられる機会が増え、あわせて中森明菜との過去の恋愛に関するアレコレが掘り起こされている。トップアイドル同士の交際、近藤宅での明菜の自殺未遂、『紅白歌合戦』と同時間帯に行われた明菜の緊急会見(近藤も同席)など、80年代後期の芸能ニュースの主役となった2人にはまた、1985年に『愛・旅立ち』という映画で共演した歴史がある。

 Wikipediaに掲載された『愛・旅立ち』の解説には、「本作をきっかけに近藤と中森は交際を始めた」とあり、Web上ではそれをソースに「マッチと明菜は映画共演をきっかけに付き合い出した」という記事が多数見られる。しかし、実際には少なくとも1984年の時点でメディアは2人の親密な関係を報じていた。つまりこの映画は、恋人同士だと噂された男女のトップアイドルをキャスティングするという、かつてないスキャンダラスな要素をはらんだ超話題作だった。

 ではそんな作品に対して、ファンはどんな内容を求めただろうか? さわやかな青春ラブストーリーだろうか? 80年代らしい都会的な男女の物語? 軽妙なコメディ作? 2人なら、アウトローな世界の若者も似合っただろう。しかし、『愛・旅立ち』は、両者の熱心なファンでさえも無言にならざるを得ない、オカルト&スピリチュアル&超常現象&宗教をごちゃまぜにミックスし、和風の味付けでひたすら陰気に描写した暗黒映画だったのである……!

 そこで本稿では、ファンの期待を大いに裏切ったと思われる、このスキャンダラスな“怪作”『愛・旅立ち』のストーリーを追いかけつつ、検証してみたい。今回はその後篇だ。

【註】ここからは“ネタバレ”的な内容を含みます。
また以下、近藤真彦は「マッチ」、中森明菜は「明菜」と表記。

【『愛・旅立ち』前半部の内容】
 重い心臓病により死期が迫った明菜は、フィクションの世界から突如現れた子どもの姿の「耳なし芳一」の不思議な力で元気を取り戻す。また、「好きだと言ってくれる男の子と会いたい」という願いが叶えられ、ビルから飛び下りようとしていたマッチと出会う。意気投合した2人はマッチのバイクでデートするが、明菜がバイクに乗るには耳なし芳一と一体化する必要があり、それはエネルギーを激しく消耗する行為だった(理由は不明)。海辺まで行き、楽しく過ごした2人だが、帰り道にバイクがガス欠に。ガソリンスタンドを探すためにマッチが一時的に明菜から離れている間に、耳なし芳一のライフがゼロになってしまう。芳一パワーを失った明菜はその場に倒れ、搬送された病院で死亡した。

明菜は「神」に遭遇。マッチは死体を盗難…2人の身に起こるまさかのミラクルとは?

 ガソリンを入手したマッチがもとの場所に戻ると、明菜の姿がない。状況を理解した彼は病院へバイクを飛ばした。そこで明菜の死を知ったマッチは、蘇生を試みようと遺体を無許可で院外に運び出す。そこから明菜は死後の世界にイン。耳なし芳一にエスコートされながら光のなかを歩き、神らしき存在と「死」について会話をする。

 現実世界では、「動物実験治療所」と看板を掲げた古ぼけた建物内に侵入したマッチが、明菜の遺体に心臓マッサージやマウスツーマウスの人工呼吸を施す。公開当時、映画館がザワザワしたシーンだろう。だが、人工呼吸を受ける際に鼻の穴が塞がれていないこともあり、明菜が生き返る気配はない。

 すると、まさかのどんでん返しが。突如、大地震が起き、マッチと明菜がいた建物が全壊したのだ。テレビのニュースでは、首都圏で多くの建造物が倒壊したことを伝えている。犠牲者は少なくないだろう。マッチも死後の世界に行ってしまったのか? しかし、そうはならなかった。駆けつけたレスキュー隊が瓦礫を除去していくと、マッチは生きていた! しかも、地震の衝撃で明菜の心臓が再び動きだしていた! ミラクル発生!

 神が明菜を救うために、ほかの多くの人々の生活や生命を犠牲にしてまで大地震を起こしたのだろうか? ほかにやり方はなかったのか? おまけに神のやることは中途半端で、蘇生したはいいが、明菜の重篤な心臓病はそのままだった。

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1985年に公開された、近藤真彦・中森明菜主演の映画『愛・旅立ち』。80年代トップアイドルによる甘い青春ラブストーリーかと思いきや、まさかのオカルト・超常現象ごちゃまぜミックス、一貫性や整合性のないツッコミどころ満載の暗黒映画だった……。(画像は、同映画パンフレットの表紙)

熱い接吻も、楽しい時間は一瞬で終了…明菜は二度死ぬ。マッチも後追いを宣言?

 それから半年後、明菜はどこかの島の診療所で元気に働いている。ある日、マッチが船でやって来た。太陽の下で久しぶりの対面した2人は抱き合い、口づけを交わす。この映画で初めての明るいシーンだ。

 2人はその夜、浜辺で行われた島の宗教的な儀式に参加する。やはり、明菜は具合が悪そうだ。そんな状況ながら、2人は野外で徹夜をしたようで、次の場面では夜明けの浜辺をマッチが明菜を背負って歩いている。水平線から太陽がのぼり、鳥居のシルエットが意味ありげに大きく映し出される。仏教(耳なし芳一)、キリスト教(マリア像)に続き、神道の要素が登場だ。

 生と死、宇宙、愛、そして結婚生活についてなど、2人の話は尽きない。ただし、耳なし芳一の話は出てこなかった。幸せそうなマッチと明菜だが、ハッピーエンドとはならず。そのまま明菜は眠るように息を引き取るのだ。劇中2度目の死。

 マッチは明菜を地面に下ろすと、抱き寄せて話しかける。「仕事が終わったら、すぐに君のそばに帰る」「そして、2人で太陽みたいに燃えよう。宇宙への旅を続けながらね」。明菜を弔ったら自分も後を追うかのようなニュアンスである。それが「愛・旅立ち」ということなのだろうか。

 再び宇宙空間が映し出され、映画は終わる……。

『太陽を盗んだ男』の監督による明菜単独主演作から『宇宙戦艦ヤマト』監督のトップアイドル共演作へ

 かように、『愛・旅立ち』は多くの謎が残る映画である。

 まず、架空の人物であるはずの耳なし芳一を、超能力者、神の使徒、死後の世界のナビゲーターとして登場させた意図が不明だ。マッチの最後の台詞から、「人間は死んでも宇宙空間で生き続ける」ということだとしても、その思想と耳なし芳一がつながらない。また、極めて俗っぽい人物として描かれる明菜が、神に選ばれし者として特別待遇を受ける理由もわからない。明治時代の一文学作品である『怪談』の愛読者だったというのが選考理由なのだろうか? また、彼女があれだけ推していた耳なし芳一について、最後まで愛するマッチには一言も話さないのも不思議である。

 しかし最大の謎は、「なぜ、このような映画になってしまったのか?」ということだろう。

 たとえば、『十戒』(1956年)、『釈迦』(1961年)、『ノストラダムス戦慄の啓示』(1964年)のような特定の宗教的価値観に基づく映画では、超常現象が描かれる目的が一貫している。それは、まさにその宗教の正当性を示すためのものだろう。

 他方1980年代には、薬師丸ひろ子主演の『ねらわれた学園』(1981年)、原田知世主演の『時をかける少女』(1983年)、菊池桃子主演の『テラ戦士ΨBOY』(1985年)のような超常現象を描いたアイドル映画もあった。しかしこれらの映画は基本的にSFなのであり、ゆえにたとえ非現実的であっても、作中で描かれる超常現象が「なぜ起こるのか?」について、最低限の辻褄合わせはなされている。

 しかし『愛・旅立ち』にはそのどちらもが存在せず、一貫性や整合性は置き去りにされてしまっている。そのことが、多くの破綻を生んでしまった一因と考えていいだろう。ただ、超常現象云々を抜きにしても、伏線の未回収やストーリー上の矛盾など、粗の多さがどうしても目立つ“薄っぺらい”ものになっている。

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5月1日にデビュー40周年目を迎えた中森明菜。そのアニバーサリー企画第1弾として、全シングルの2014年リマスターによる豪華30枚組7インチ/12インチ/カセットボックスが6月9日に発売された。(画像はワーナーミュージック・ジャパン公式サイトより)

「どんな一流の監督や脚本家にも失敗作はある」を証明したマッチと明菜の共演作

愛・旅立ち』を仕掛けた山本又一朗プロデューサーは後年、同作はもともと、『太陽を盗んだ男』(1979年)以来の新作が待望されていた長谷川和彦監督による、中森明菜主演映画として企画されたものだったことを明かしている。しかし、同監督による超能力者の女性を描いたシナリオを採用すると予算オーバーになるとのことで、NGになったとか。

 その前後に紆余曲折があって、明菜近藤真彦の共演作に企画変更となり、監督には、『ハイティーン・ブギ』(1982年)、『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』(1983年)など、ジャニーズ映画でも実績のある舛田利雄が起用された。舛田はジャニーズ2作品以外にも、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズや、『二百三高地』(1980年)、『大日本帝国』(1982年)などの戦争映画、さらに『人間革命』(1973年)、『ノストラダムスの大予言』(1974年)、『続・人間革命』(1976年)といったスピリチュアル系映画(3作品とも丹波哲郎が主演)と、実に多様なジャンルの作品を手掛け、いずれもヒットさせている。『愛・旅立ち』の監督としては適任者といえた。

 脚本は、長谷川和彦のシナリオにあった“超常現象”という題材のみが残され、任侠映画での実績が豊富な笠原和夫に任せられた。ところが、かつて『仁義なき戦い』シリーズを大傑作にまとめあげた力量を持つ笠原も、超常現象ネタには苦戦。それを途中から舛田が預かって完成させたといわれている。

 どんな一流の監督や脚本家にも失敗作はある、とは巷間しばしば語られることだ。暗黒映画『愛・旅立ち』は、その典型例なのかもしれない。

『うる星やつら』のお陰で興収はまずまずながら、マッチと明菜の次回作は実現せず

 ファンの期待を裏切るようなクオリティではあったが、マッチと明菜の人気の高さに加え、同時上映だったアニメ『うる星やつら 3 リメンバー・マイ・ラブ』のお陰もあって、『愛・旅立ち』は11億7000万円とまずまずの興行収益を残した。

『愛・旅立ち』のパンフレットで、山本プロデューサーは「世界に出しても恥ずかしくない素質」と絶賛しつつ、2人が出演する国際的な作品を制作するビジョンを語っている。しかし、それが実現することはなかった。

 歌手としての明菜は、映画の公開年とその翌年、『ミ・アモーレ』(1985年)、『DESIRE -情熱-』(1986年)で2年連続日本レコード大賞を受賞するなど、さらに大きな存在に成長していく。しかしその一方で、『愛・旅立ち』で懲りたのか、以後、実写映画から完全撤退してしまったのだ。また、徐々に活動の主体を芸能からカーレースに移していったマッチにとっても、メジャー公開された主演映画は今のところ、『愛・旅立ち』が最後である。

 主演の2人のすったもんだも含めて、曰く付きの作品である『愛・旅立ち』は、VHS化、テレビ放送はあったが、DVD化されたことは一度もない。そして、マッチがジャニーズ事務所を離れたことで、今後は封印作品となる可能性が高いと考えられる。

峯岸あゆみ/ライター

峯岸あゆみ/ライター

CSと配信とYouTubeで過去のテレビドラマや映画やアイドルを観まくるライター。ベストドラマは『白線流し』(フジテレビ系)、ベスト映画は『ロックよ、静かに流れよ』(1988年、監督:長崎俊一)、ベストアイドルは2001年の松浦亜弥。

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